第二章

第8話 真夜中の訪問者

 小夜啼鳥ナイチンゲールさえずりに眠りを破られた。


 コーンノート、『とりでの城』と呼ばれる海に近い館の一室。


「……誰ですか、こんな時刻に」


 ダナンの王子はベッドの上でもぞもぞと寝返りを打った。

 床に白い十六夜月いざよいづきの光が落ちている。

 小鳥はベッドのすぐそば、サイドテーブルの上で囀り続けている。本物ではない。森の庵に置いた木彫りの小鳥と対になっており、庵への来客を知らせてくれる。先代隠者の置き土産。この二羽の小鳥が庵と王子の居所をつないでいる。


 音を止めようと腕を伸ばす。夜気が冷たい。半分だけ目が覚めた。ふらふらと起き上がり、裸の上に厚手のガウンをはおる。灯りはない。月の光だけが頼りだ。

 寝ぼけ眼をこすりつつ、歩きながら帯を結び、クローゼット部屋に入って、奥にある扉を開く。

 この扉が彼の境界線。ここをくぐれば王子はひとりの隠者に変わる。

 月明かりを頼りに灯りをともし窓の外をうかがう。まだ夜明けは遠い。

 波の音に交じって大きな翼がくうたたく音が聞こえてきた。その音はだんだんと近づいてくる。アリルはためらいもなく窓を押し開けた。

 するりと黒いかたまりが窓から入ってくる。とん、と軽やかな音を立てて床に降りた塊は、翼をたたむと驚くほど小さくなった。


「馬車が来るよ」


 いつもの姿に戻ったシャトンが、丁寧に身だしなみを整えながら報告する。


「馬車?」


 アリルは首を捻った。

 こんな時刻に馬車で庵に乗りつけるような人物に心当たりがない。近くの村で何かあったとしても、わざわざ自分のような若造を頼っては来ないだろう。土地勘のない旅人ならば尚更なおさら、うっかり迷い込んでも暗い森の中を動き回るような不用意な真似はするまい。

 初代隠者、伝説の大魔法使いマクドゥーンの術によって外側からの悪意ある侵入者からは守られているが、もともと内部に住まうものたちはどうしようもない。知らぬ間に庵に入り込まれ、ベッドの中に栗のイガを仕込まれるくらいなら、まあ、我慢しよう。しかし性質たちの良くないモノも中にはいて……。


「――まさか、妖精の霊柩車れいきゅうしゃ、とかじゃないでしょうね」


 こんなところに居を構えながら今更だが、できれば大きな怪事かいじには関わりたくない。


「少なくとも、黒い屋根無し馬車じゃなかったね」


 ぼそっと呟いた声に、シャトンが銀の被毛ひもうめるのをやめて、顔を上げた。


御者ぎょしゃはあんたもよおく知っている人間だったよ」


 * * *


 慌ただしい一夜が明けるころ。

 二人がよく知る人物は居間ですっかりくつろいでいた。


「いや~、懐かしいなあ」


 その男は長椅子にどっかりと腰を下ろして、きょろきょろと面白そうに部屋の中を見回している。


「なんにも変わってないじゃないか。テーブルの位置も、壁に吊るしたまんまの籠も。食器棚の皿の数まで」

「変わってますよ、いくら何でも。もう五年も経つんですから」

「五年なんて、大した時間じゃねえよ。ああ、でも鉢植えがずいぶん増えたな」

「それはシャトンが世話をしてくれています」

「やっぱりな。男所帯はダメだ。お前さんがいてよかったよ、シャトン」


 赤毛の男、三代目惑わしの森の隠者が銀色の猫を撫でる。


「まあね」


 シャトンは金色の目を細め、グルグルと喉を鳴らした。


「師匠!」


 何か抗議の言葉を言おうとして、アリルは代わりに腹の底から息を吐き出した。


「一体、何があったんですか?」


 ほとんど獣道ばかりの森の中、馬車での訪問である。大柄な黒馬の息は荒く、全身から湯気を立てていた。

 イニス・ダナエに生まれた子どもたちは、男女を問わず、何をおいても真っ先に馬の世話を教え込まれる。

 アリルは可哀相な馬に水を飲ませ、噴き出す汗をぬぐってやった。

 納屋なやわらを敷いて間に合わせの馬房ばぼうを作る。

 ようやく休むことを許された馬は、ぐいぐいと首を押しつけてアリルに甘えた。幸い蹄鉄ていてつにもゆるみはなく、足やひづめに具合の悪いところはなさそうだったが、相当無理をさせたようだ。

 

 聞きたいことは山ほどある。

 奥の部屋のベッドで泥のように眠っている亜麻色の髪の少女。

 納屋の奥につっこまれた、ひつぎを思わせる木製の重厚な箱。

 全く似合っていない聖騎士の制服。


「何から聞きたい?」


 心中を見透みすかしたように、にやりと笑う。その余裕も腹立たしい。


「初めから最後まで、全部です」

「長くなるぞ~」

「かまいません」

「そういや俺、腹減ってんだ。なんか食いモン……」


 四代目の中で、何かがぷちっと切れた。


「今から何か作ってあげますからとっとと説明しやがりなさい、このヤロー!」

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