第4話 師匠と弟子と魔法動物

 ――さかのぼること六年。


 嵐の森で運命的な出会いをした王子と猫は、白いウサギに導かれて、三代目『惑わしの森の隠者』に助けられた。


「災難だったな」


 三代目は、これまた隠者のイメージとはかけ離れた男だった。伸び放題の赤い髪はぼさぼさで、ひげが顔の下半分を覆っていた。

 鬱蒼うっそうとした森にぽつんとたたずむ粗末な庵からぬうっと現れ出たその姿は、冬眠から目覚めたばかりの熊のようだった。

 名は髪の色そのままに、フラン

 フランは魔法使いでもあった。見かけとは裏腹に、かなり繊細な術も自在に操る。

 彼のおかげで子猫は命をとりとめ、人肌に温めたヤギの乳を飲ませてもらうと、わらを敷き詰めた籠の中でぐっすりと眠りこんでしまった。


 少年は身分を明かし、ここに至るまでの状況を語った。

 驚いたことに、隊列とはぐれた場所からこの庵までは、馬でも一日はかかる位置にあった。しかも北のウィングロットに向かっていたはずが、まるっきり逆の方向。アンセルスの端にいた。


「お前さんはたぶん、女神の隠れ道とやらに迷い込んだんだな」


 ものも言えず、ただただ呆然と目を見開いている少年に対して、隠者らしからぬ男は、何でもない事のように片付けた。

 大地の女神ダヌは、しばしば白いウサギの姿を借りて人の前に現れるという。


「女神はたまにこういうことをなさる。気に入った人間をひょいとてのひらにつまみ上げるんだ。お前さんは気に入られたのさ。

 ――で、死にゆく運命からはずされたってわけだ」


 その代償は小さくはなかった。命と引き換えに、女神は彼の髪に宿る黄金の光を所望した。

 太陽のアリルアリル・ルー、と光の神ルーにも例えられた黄金の髪は輝きを失い、燃え尽きた炭のような色に変わっていた。


「ま、命あっての物種ものだねって言うだろう。その若さで野垂れ死にすることに比べりゃ、全然大したことはないさ」


 隠者は軽く肩をすくめた。

 そして、とことこと居間の隅に歩いていくと、開けっぱなしになっていた押し入れの戸を閉めた。

 何やら口の中でごにょごにょと呟き、再び戸を引き開ける。と、さっきまであったはずの木箱やら桶やら箒やらが見当たらない。

 代わりに見覚えのある部屋が見えた。


「つないでやったぞ。ここから帰れ」


 右手の親指をぴっと立て、赤い髪の隠者が示したそこは、少年の部屋だった。

 家具や調度の配置からして、壁のど真ん中に穴が開いてしまったようだ。


「なかなかいい部屋じゃないか。ちいっとばかし殺風景だが」


 押入れに頭をつっこみ、隠者は興味深げにしげしげと中を覗きこんだ。ゴトンと音がして、「いて」と男が頭を抑える。落ちてきたのは、消えた壁に飾られていた小さな風景画だった。少年ははっと我に返り、背後からおずおずと男に声をかけた。


「あの……」

「なんだ?」

「とってもありがたいんですけれど。ぼくが帰った後、この穴はどうするんですか?」

ふさぐつもりだが、それがどうした」

「あの、このままにしていただけませんか?」


 少年は必死に頼み込んだ。


「ぼくはまだ幼くて、いろいろなことを学ばなくてはなりません。あなたは、城では得られない知識や知恵をお持ちのようです。それをぜひ、ご教授いただきたいのです」


 そう言いつつ少年は籠の方を振り返る。その中で、ふかふかに乾いた毛玉が安らかな寝息を立てていた。

 隠者は困ったようにがしがしと頭をかいた。


「先々、お前が困ることになるぞ」

「そんなことはありません」


 ラピスラズリの深い藍色の瞳に浮かぶ強い決意に、隠者が折れた。もともと物事にこだわらない性質ではあったのだ。


「ま、いいけどな」


 三代目の脳裏を、白いウサギが駆け抜けて行く。

「それもまた、女神の思し召しってか。そこまで言うなら、いつでも好きな時に来いや。だが、今は帰れ。家族のところへな」


 こうしてダナンの王子は、隠者の弟子となった。

 王子は三日とあけずに隠者の庵に通いつめた。

 それはもう、細かいことも大きなことも気にしない隠者が、思わず心配してしまうほどに。

 そうして、かいがいしく働いた。

 独身男の庵が、新妻をめとったかと誤解されるほどに小ざっぱりと整えられた。


「お前も物好きだよなあ。城で大事にかしずかれてお勉強している方が、よっぽど気楽だろうに」


 呆れたように言いながらも、師匠の顔がゆるむのを年若い弟子は見逃さなかった。

 家族もなく、森の奥でたった一人の隠者暮らし。

 この男の人となりを知れば知るほど、似合わない。

 もっとこう、仲間に取り囲まれて酒場でよた話に興じている姿の方がしっくりくる。孤独を楽しむより、賑やかな場を好む性質に見えた。


 この男が三代目隠者だと聞かされたときは驚いたが、初代、二代、三代と、血がつながっているわけではないと聞いて納得した。

 噂に聞く『惑わしの森の隠者』とは、もっぱら初代の逸話から作られたイメージなのだ。

 聖樹の賢者のおさにしてイニス・ダナエ最大の魔法使い、マクドゥーン。それは、伝説の存在だった。

 彼がその称号と名誉を捨てて隠者となったのは、統一王クネドが即位したすぐ後のことだ。王の頭上に冠を載せたとき、彼は魔法使いとしての、俗世での役割が終わったことを知った。


 ミース、アンセルス、コーンノート、スウィンダン、そしてウィングロット。


 五つの国と無数の小さな部族がクネドを認めた。

 我こそは上王ハイ・キングにふさわしい、と豪語する者たちが小さな島の中で血で血を洗う戦を繰り広げる時代は終わった。これからは島がひとつの国となって結束し、海の外側の国々と渡り合わねばならぬ。


 そう、人の力で。


 そこでマクドゥーンは世捨て人となり、イニス・ダナエの東に広がるケイドンの大森林に入った。

 彼が庵を構えたその一角を、人々は隠者の森、または惑わしの森と呼ぶようになった。巧妙にめぐらされた魔法の仕掛けが、不用意に近づく者を道に迷わせたからである。

 今も庵の書架しょかに並ぶ貴重な古書は、初代がのこした蔵書だ。


「二代目は小役人だった」 


 ひたむきに耳を傾ける少年に、三代目は語る。


「上司の汚職の罪を全部ひっかぶせられて、妻と子に逃げられて、首をくくろうとしていたところを、たまたま初代に助けられた。それでここで初代の手伝いをしながら暮らして、その最期さいご看取みとった。と、まあそういうことになっている」


 初代がいなくなってからもここで暮らしていたのは、魔力こそなくとも、その事蹟じせきを次代へと伝えることこそが自分の使命だと信じたからである。

 初代の教えを事細かに記録し、森を歩き、大いなる自然の言葉に耳を傾ける。近くの村の者たちのために初代から伝えられた薬の処方をし、役人時代の経験を活かして生活のための助言を与える。それが彼の暮らしだった。

 その恩恵おんけいにあずかった者たちが彼を二代目と呼ぶようになったのは、自然な流れだった。


「俺はただのごろつき」


 なぜだか自慢げに三代目は胸を張った。


「危うく首が胴から離れそうになったところを女神さまの慈悲を得て、なんやかんやの末に流れ着いたのがここだった。以下略」


 何をしてそんな羽目におちいったのかは秘密だ、と笑い、もう十年以上も前になるのか、と遠くを見るような目をした。

 墓荒らしを生業なりわいとしていたと知ったのは、もう少し後のことだ。


 そんな生活が一年ほど続いたころ、シャトンと名付けられた子猫が言葉を覚えて話すようになった。

 シャトンは白銀の被毛に縞模様の浮かぶ美しい乙女猫に成長していた。だが、残念なことに、その口調は乙女というよりおばさんだった。

 この庵は若い娘とはまるで縁が無い。訪れるのは常連のデニーさんをはじめ、ほどよくお年を召したご婦人ばかり。自然と話しぶりが移ってしまったのだろう。

 フランは猫が口をきいたことよりも、アリルが猫の言葉を理解できるということに驚いた。


「お前には、素質があるのかもしれん」


 当たり前のようにシャトンと会話する王子の姿を見て、隠者は唸った。腕組みをして考え込む師匠を見てアリルは身構えた。この陽気な隠者は、たまに突拍子もないことを思いつく。


「あの、何の素質でしょうか」


 勇気を出して、おそるおそる聞いてみる。


「四代目だよ。惑わしの森の隠者の四代目!」


 その答えにアリルは驚きを通り越してあきれかえった。十六、七の子ども相手に何を言い出すのか。

 白々とした視線もフランはまるで意に介さない。声に熱がこもる。


「こいつはな、ただの猫じゃない。そんじょそこらの猫妖精ケット・シイとも違う。人類誕生以前、神々の時代の獣だ。古書には魔法動物と記されている」

「魔法動物、ですか」


 初めて聞く言葉に、アリルが首をかしげる。


「ああ。まさか生き残りがいたとはな。想像したこともなかったぜ。

 そいつと意思を通じ合わせることができるってことは、お前も只者ただものじゃないってこった。いやあ、思わぬところに思わぬ人材がいるもんだ」


 しかつめらしい顔を作ろうとしてはいるが、目の輝きは隠せない。声が弾んでいる。


「ぼくにも一応、家とか役割とかあるんですけど」

「通いでいいじゃねえか! 近道があるんだから」


 びしっと指さしたその先にある元押し入れだった小部屋は、隣の部屋への通り道になっている。隣の部屋というのがとんでもなく離れた場所にあるお城の中だというのが不条理ふじようりなのだが。

 どうにか辞退する方法はないか、と考えを巡らせていると、ふとあの日フランが発した言葉を思い出した。

 

 ――先々、お前が困ることになるぞ。


 魔法の通路を残して欲しいと、押して頼んだのはアリル自身だ。

 こんな形で警告が現実になるとは想定外だったが。


「よし! 決まり」


 黙り込む弟子の目の前で、三代目隠者はうきうきと旅支度を始めた。


「俺は常々、広い世界を見て回りたいと思っていたんだ。もう外界じゃほとぼりも冷めて……げほげほ。

 つまり、こんなところでくすぶって、みすみす若い時代を潰しちまうことはないんじゃないかってな。いやあ、いい後継者ができてよかった!」


 だだ漏れる本音に、アリルはじっとりとした目つきで師匠である男を見上げた。


「まさか、ぼくに全部押し付けて、トンズラするつもりじゃないでしょうね?」

「ははっ、そのまさかだ」


 フランは高らかに笑うと、急に真顔になって、俗な言葉を上手に使いこなすようになった王子さまの両肩をがしっとつかんだ。


「いいか、これは試練だ。苦難無くして何が男の人生だ。お前には俺の持てる全てを注ぎ込んだ」

「何か教えてもらいましたっけ」

「自信を持て。お前は俺がいなくてもちゃんとやっていける。各方面には根回しをしておいてやるから心配すんな」

「いや、心配しかないんですけど……。あ、ちょっと。待ってください!」


 何の未練も後顧こうこの憂いもなく、別れを惜しむこともなく、赤い髪をした陽気な男はある日さらりと旅立っていった。後に残される者たちに、見送りすらさせなかった。

 

 あれからもうすぐ五年になる。

 三代目の行方はようとして知れない。

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