婚約者が大ピンチ?! ②
本当に、休憩所に来るまでこの人まともな足取りで歩けなかった。他の令嬢と比べて多少なりとも体力をつけているとはいえ、男性の身体を運ぶのは骨が折れる。部屋にたどり着いて、目の前のソファに投げ出そうとする前に「すまないがベッドで」と付け加えられた。
ここまで来たのならば自分の足でベッドに向かえばいいものの。女性に支えられるなんて恥ずかしいとは思わないのかしら。
彼は顔を俯向けているからわたくしの表情は見えない。そういうことで隠すことなく表情を歪め、ベッドの側まで移動する。放り出して多少顔を枕で押さえつけても文句は言われないはず。
「具合が悪いのでしたら使いの者を――ッ!」
グッといきなり腕を引っ張られ、身体は逆らうこともできずそのままベッドの上に横たわる。肩を力任せに押さえつけられ、仰向けにさせられたわたくしの身体の上に第三王子が覆い被さってきた。
「随分と警戒心がないじゃないか」
「……お酒に酔われたのではなかったのですか」
「はは! 生憎俺は酒豪なんだ、あの程度の酒で酔うわけがない」
男は首に巻かれていたクラバッドを外しベッドの下に放り投げる。あらわになった首筋を見てときめくはずがない。冷めた目で見ているにも関わらず目の前にいる男はその視線すら気付かない。
「あの王子の婚約者がどんなものかと思ったら。恋沙汰には疎かったようだな。駆け引きなんぞなくホイホイ釣られるなんて。それともわざと俺を誘った?」
身動きできないよう足でガードされ、その間にも男は着飾っていた装飾品をひとつずつ剥いでいく。嫌らしく喉をクツクツと鳴らしながら笑っている様はまるで理性のない獣のようだった。
わたくしが着ていたドレスも力任せに引っ張られ、首元周辺の装飾品がブチブチと音を立てて弾き飛ぶ。
「他の女に比べて随分ときめ細かい美しい肌だな……こんなものを隠し持っていたとはもったいない。ナルのように周りに見せつければいいものの」
髪をひと房すくい取られ、男は徐ろに顔を近付け大きく息を吸い込んだ。
「いい香りだな。どんな香水をつけている?」
「……教えるとでも?」
「ククッ、つれないな。それとも緊張してる?」
手首を掴まれベッドに押さえつけられる。完璧に身動きができなくなったわたくしを男は見下ろし、まるで舐め回すかのようなねっとりとした視線を向けてきた。
「如何にも真面目そうな顔しているが、少しぐらい遊んでみたらどうだ? どの貴族だって遊んでるだろ。知らないっていうんなら俺が教えてあげようか?」
「……貴方にも婚約者がいるのではなくて?」
「もちろんナルも愛しているさ。だが彼女も彼女で遊んでいる――今頃、あの王子と仲良くやってるんじゃないか? ハハハッ!」
腕に力を入れたもののそれ以上の力で更に押さえつけられた。ジロリと視線を向けたところで男は臆することなく笑顔を浮かべたまま、身を屈めてくる。
「不安になることは何もない。今までの女だって最初こそはイヤイヤ言っていたが、最後には涙を流して俺を受け入れた」
息が首筋にかかり、その瞬間ゾワッと鳥肌が立った。
「楽しもうじゃないか――ぃっだぁッ?!」
さっきまでわたくしの身体に伸し掛かっていた男が情けない声を上げながらベッドから転げ落ちた。真っ赤になった頬を押さえながら唖然とした表情でこちらを見上げている。
「なっ、な、なっ?! い、一体何を、持ってるんだ?!」
「何をって、見てわかりませんの――鞭ですわ」
「鞭?! なんでそんなもん持ってるんだ?!」
「あら嫌ですわね、淑女の嗜みですわ」
ベッドの上で仁王立ちし、持っている鞭を両手で引っ張ればパシンッ! と小気味よい音が鳴った。
「わたくし、貴方の仰る『遊び』がよくわかりませんの」
すとん、とベッドから降り呆けたままの男の足元付近にスナップを利かせて鞭を叩きつければ、面白いほどその貧弱な身体がビクリと跳ねる。
「なので。わたくしの知っている『遊び』をお教えしますわね」
わたくしも今まで何人もの者とこの『遊び』に興じてきましたもの、それはそれは手取り足取り、丁寧にお教えしてあげるつもりですわ。
先程までの気持ち悪い視線はどこへやら。にやついていた顔はすっかりと鳴りを潜め、呆然とわたくしを見ながらもゆっくりと尻込みしていく。
「あらあら嫌ですわ、なぜ逃げるのです?」
「ヒッ! ち、近寄るなッ――」
「クロートザック様ぁっ!」
目の前の男の名前を叫びながらけたたましく扉を開けて入ってきた者は、これまたけたたましく開けた扉を急いで閉じしっかりと鍵をかけた。着衣を乱し整えられていた髪もすっかり解れている。必死に走ってきたのか息も上がり、とても王子の婚約者という姿には見えなかった。
「な、なんだナル、いきなり入ってきて! お前もお前で楽しんでいたんだろ?! まさか三人がご所望だったのか?!」
「に、にににっ逃げっ、早くっ、逃げっ――」
先程厳重に鍵を閉められた扉は、バキィッとても派手な音を立てて今度こそ大破された。パラパラと木屑が舞っている中、ひとつの影がすっと現れる。
「やぁ。案内ご苦労さま」
剥き身の剣を片手に、片足が上がっているところを見るとその足で扉を破壊したのだろう。笑顔を浮かべたまま部屋に入ってきたわたくしの婚約者に、先程必死で駆け込んできた女性はすっかりと震え上がり腰を抜かしていた。
レオンハルト様の視線が目の前の女性に、そして次に奥で腰を抜かしている男に、そして最後にわたくしに向かう。わたくしの姿を見て彼の瞳の奥は極限まで冷え込んだ。
彼は真っ直ぐにわたくしの元へ歩み寄り、着ていた上着を脱いでわたくしの肩にかけた。
「……はぁ? お前、アイビーの素肌に触れたのかよ」
被っている猫が剥がれ落ちていますわよ、と内心思いつつも一応「触れてはおりませんわ」とわたくしのほうから付け加える。
「こっちだってな、ずっと我慢しているんだ。なんと言っても僕たちはまだ学生だしまだ『婚約』だから。彼女の体裁のことも考えて貞操を守ってきたんだ。わかってんのかこの野郎」
レオンハルト様の殺気にすっかり怖気づいた第三王子は、剣を片手に近付いてくるレオンハルト様から逃げるようにジリジリと壁際まで追い詰められていた。
「やっぱり下半身がおざなりの奴には、去勢してあげるのが一番だよね?」
急いで足を閉じたところで、一緒に斬り落とされたらどうしますのと呆れの息を吐き出す。剣を振り上げたレオンハルト王子にそっと寄り添い、耳元に口を寄せた。
「お待ちくださいませ、レオンハルト様。わたくし先程あの口から聞きましたの」
「何を?」
「……『今まで嫌だと言っていた女も、最後は受け入れた』と」
「……へぇ?」
上がっていた腕が下ろされる。斬り落とされる心配がなくなったと思ったのか、男は冷や汗を流しながらわずかに口角を上げた。まぁその笑顔も引き攣っているけれど。
「なるほど? 今まで何人もの女性に無理強いさせてきたということか」
「む、無理強いじゃなっ――」
「いいことを思いついた――マリアンヌ」
「はっ」
レオンハルト王子の一言で今までこの場にいなかった人間がサッとどこからか姿を現す。突然のことで男と女は唖然としていたけれど、わたくしたちにとっては特にめずらしいことではない。
「捕えろ」
「承知致しました」
「おっ、おい! いきなり何をする?! 俺は第三王子だぞ?! こんなことすれば父上だって黙っていないんだからなッ?! 調子に乗るなよッ‼」
「……あっはは、面白いことを言うね」
縄ですっかり縛られた第三王子に、婚約者である女性も捕らえるように指示を出したレオンハルト様は振り返る。
薄っすらと浮かび上がっている微笑みに、男はサッと顔を青くさせた。
「君の父親からは了承済みさ。何かしでかした場合、状況によって処分は僕に任せるとすでに成約している」
レオンハルト様に話しかけてきた人物こそが、第三王子の父親だった。王直々にやってくるということは決して世間話ではないということ。わたくしを一人残した時点でこうなることはわかっていた。
だって、レオンハルト様はわたくしを囮に使ったんだもの。そしてわたくしもそれをわかっていてこの男を罠にかけた。
「さーって、今度は僕の『遊び』に付き合ってもらおうかな?」
男の首の後ろにマリアンヌの手刀が落とされ、ぐるんと目が回り身体は呆気なく床に崩れ落ちた。
薄暗い中、男は重たげに垂らしていた頭をゆっくり上げる。辺りを見渡し、そして身動きができない状況だと気付いたときその顔は一気に気色ばんだ。
「お、おいなんだよこれ?! クソッ、この縄を外せッ‼ 俺を誰だと思ってんだ?!」
「やぁ。僕よりもずっと地位が下の元第三王子だろう?」
辺りが暗かったせいでそこに人がいることに気付いていなかったのだろう。突如聞こえてきた声に肩を跳ねさせ、そして声のほうへ視線を向けようとさまよわせていた。
「おうおう、随分と威勢がいい坊っちゃんだな」
「待たせて悪かったね。さ、好きにしていいよ」
「それじゃぁ、お言葉に甘えて――本当に誰も来ないんだろうな?」
「もちろん。この場所を知っているのは僕たちだけさ」
「な、何を言ってんだ……ここはどこだ……? なぁ?!」
縄で吊るされて身動きが取れないでいる元第三王子と、同じ部屋にはその婚約者も座り込んでいた。彼女の足には逃げられないように枷が取り付けられている。その二人の様子を眺めているのがわたくしとレオンハルト王子。
そして、この場に元第三王子とその婚約者の見知らぬ人物が一人現れた。明らかに貴族ではない風貌。彼は一体何者なのか、この場で知っているのはレオンハルト様ただ一人。
「君は数多の女性に無理強いをして、しかも君の婚約者はそれを見て楽しんでいたそうじゃないか」
石畳で作られた、まるで牢屋のようなこの部屋の中にその声は冷たく響き渡った。
「君も同じ思いをしたら、彼女たちの気持ちがわかるんじゃないかい」
「は……? お、おい、待て……近付くなっ、やめろ!」
「『嫌だと言っても最後は涙を流して受け入れた』、だそうだね。君もそうしてみればいい」
「やめっ、やめろ! 嫌だ! やめっ――」
ギィ……とゆっくりと閉じられた扉と共に男の叫び声も閉じ込められた。一緒に入れられていた婚約者も動くことができずただ目の前で行われるものを見ていることしかできない。王子が、目を閉じれなくなるようそういう魔法を彼女にかけていたから。
「アイビー」
先程の冷え冷えとした声と同じものとは思えないほど、穏やかで優しい声色がわたくしの鼓膜を揺らした。彼は肩にかけられている上着がずれ落ちないようしっかりと襟元を手で閉じた。
「嫌な思いをさせてごめんね?」
「レオンハルト様が謝ることはありませんわ。わたくしだってわかっていたんですもの」
「うーん、でも僕はやっぱり斬り落として晒してやりたかったなぁ」
「ふふっ、また同じことをなさいますの?」
「帰ろうか」
「ええ」
彼に肩を支えられ、髪に軽く口付けを落とされる。その手にその唇に、嫌悪感なんて何一つ抱かない。あの男に触れられたときは鳥肌が立ち吐き気まで催したというのに。
「今回は僕も父上に利用されたな。今頃父はあの国と自国に有利な交渉をしているに違いない」
あの無作法な王子が来た瞬間、こういう流れになることは決まっていたのだろう。チャンスをみすみす見逃す王ではないし、レオンハルト様のそういう抜け目のなさは父親譲りだった。
けれど例え自国に不利な条件を突きつけられたとしても、それでもあの第三王子をどうにかしてかったのだろう。もしかしたら、レオンハルト様の噂を聞きつけて賭けに出たのかもしれない。そして、自国に有利に働くと素早く察知したレオンハルト様はそれに乗った。
「あの男の被害に合った女性たち一人ずつに援助をしよう。恩は売るだけ売っておかないとね」
レオンハルト様の手に触れ一緒に歩いていると、目の前にはわたくしたちを待っていた馬車。もうパーティーの会場に戻ることはない。一緒に馬車に乗り込み静かに揺られる。行き先はきっとルゥナー家だ。
馬車がゆっくりと減速し、そして扉が開かれた。先に降りたレオンハルト様がわたくしに手を差し出し、迷うことなく自分の手を重ねた。レオンハルト様の傍にいたメイドのマリアンヌはレオンハルト様から離れ、わたくしの傍に立つ。
「今日はゆっくり湯に浸かってね」
「ええ、もちろんですわ」
彼の手がわたくしの胸元に伸びる。ドレスは破られ肌が露出してしまっているけれど、わたくしよりも一回りも二回りも大きな上着がそれを覆い隠してくれている。
伸ばされた手は、わたくしの素肌に触れることなくぴたりと止まった。
「……触れてくれないのですね」
手や頬以外でわたくしの素肌に触れたことなど一度もない。彼はあの男に言っていたことをずっと実践してくれていた。
「……そうだね。僕は君が思っている以上に、君を大切にしたいんだ」
「……触れずとも、その言葉だけで十分ですわ。レオンハルト様」
だって出会ってから十年間、隣でずっと見てきましたもの。わたくしに何かあればいち早く駆けつけてくれた、助けてくれた、守ってくれた。わたくし、それをちゃんとわかっているからわたくしもレオンハルト様に何かあると我を忘れて怒り狂ってしまう。
彼との距離を縮め少し背伸びをし、その頬に小さく口づけた。距離をわずかに離し少し見つめ合ったあと、彼はわたくしの髪に触れそこに口づけを落とす。
「おやすみ、アイビー」
「おやすみなさいませ、レオンハルト様」
おやすみの挨拶をすませ、馬車に乗り込み去っていく彼を見送った。
きっとこれからも似たようなことがあるかもしれない。彼は自国が有利になるためにわたくしすら利用する。けれど、わたくしだってそれをわかっている。ただ守られるだけのか弱い女になるつもりだってない。
「もっともっと、貴方にふさわしい女になりますわ」
そのためには今度は武術をもっと本格的に習ってみるのもいいかもしれない。だってわたくしの傍にはとても心強い味方がいるんですもの。マリアンヌと目を合わせて微笑めばわたくしの意図がわかったのか、力強い瞳で頷き返されてわたくしは口角を上げた。
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