婚約者が大ピンチ?! ①

 差し出された手に自分の手を重ねて一緒に足を進める。

 今日は学園の催しではない、れっきとした社交パーティー。レオンハルト様の隣に立つのに恥じない格好をし、会場の中をゆったりと歩く。すでにパーティーは賑わっていてあちらこちらで会話が賑わっている。その会話は世間話やら噂話やらはたまた……多種多様だけれど。

 そんな中ちらほらとあらゆる視線がこちらに向かう。近頃レオンハルト様は学園祭の準備で忙しく社交の場には出ていなかった。久々の登場ということで誰もがある意味狙っていると言ってもいい。

「視線が痛いなぁ」

「まさに獲物を狙う獣の目でございますわね」

「そうだね……ふふっ、さて、狙ってるのはどっちだろうね?」

 会場に来てから常に穏やかに笑顔を浮かべているレオンハルト様だけれど、その目の奥は虎視眈々と何かを狙っている色。ぞわりと背筋に悪寒が走りついわたくしの口角も上がる。わたくしにデレッとした顔や楽しそうな顔をしている表情もいいけれど、やはり彼にはこの表情が一番似合う。

 徐々にわたくしたちに対しての挨拶も増え、当たり障りなくレオンハルト様とわたくしはそれに応えていく。レオンハルト様の手は常にわたくしの腰に回っており離されることはない。顔見知りの人間は「相変わらずのようで」と笑みを浮かべているものの、あまり関わりを持ったことのない人間はわずかに表情を歪めていた。その表情の奥には色んな思惑や打算があったのだろう。

「ある程度挨拶が済んだら帰ろうか」

「あら、よろしいんですの?」

「様子を見に来ただけだし今回の主役は僕たちじゃないしね」

 あらゆる貴族や、はたまた隣国の王族が集まっているパーティー。今回の主体は交流会でありそれは我が国だけが中心ではない。

「父上はまだまだ僕に譲る気はないようだし」

「まだまだご健在でございますものね」

「働けば働くほど若返るなんて本当に人間かな?」

 少し茶目っ気を見せながら肩を軽く上げたレオンハルト様にクスッと笑みをこぼす。確かに我が国の王は年齢のわりにはまだまだ若い。なので当分その座を息子に譲るつもりもないのだろう。

 ある程度の情報収集を済ませれば帰る気満々の彼にわたくしも反論するわけがない。常に淑女らしい振る舞いを忘れずに笑顔を浮かべていると、会場入口のほうで何やらざわりとした声が聞こえレオンハルト様と同時に振り返る。

「まぁ……よくも堂々と」

「隣を見てご覧なさい。なんてはしたない格好ですこと」

 近くにいる貴婦人たちからそのような声が聞こえ、確かにそう思いたくなるのも仕方がありませんわねと小さく息を吐きだす。

 この会場をざわめかせた登場人物は、周辺国の第三王子とその婚約者。双方きらびやかな衣装を身にまとい堂々と入場してきた。その衣装がまた品性を疑うというか、如何にも誰よりも一番に目立とうとしている魂胆が見え見えでわたくしたちはとても真似できませんわねと小さく表情を歪める。

「あれは確か……」

「第三王子のクロートザックだね。その隣は初めて見るけどあの噂は本当だったようだ」

「……わたくしには理解できませんわ」

 彼らがなぜこんなにも有名かというと、あの第三王子が本来の婚約者である令嬢にパーティー会場の中心で婚約破棄を叩きつけ、現在隣にいるご令嬢と結ばれたという噂が流れていたから。真実の愛を見つけたのなんだの言っていたようだけれど、正式な手続きを踏まずにその場の勢いで勝手に婚約破棄。破棄されたご令嬢は今は公爵のご子息と仲睦まじい関係を築いているようだから良かったもの。

 なんという愚かな頭。と、正直その噂を聞いたときはそう思ってしまった。

 唯一の救いは彼が第一王子で第一王位継承者ではなかったということ。もしあのお馬鹿がそうであったら将来隣国は滅びるに違いない。

 噂のせいで会場にいる人々の視線が向かっているだけなのに、まるで自分たちは有名で誰もが羨んでいるのだろうと勘違いしている顔にとても虫酸が走る。あまり関わりたくない人種――だけれど、隣にいるレオンハルト様がわたくしに向けて小さく苦笑をもらした。

 ああ、関わらないのは無理ですのね。そう悟った瞬間だった。

「これはこれは。お会いできて光栄です、レオンハルト王子」

 レオンハルト様を見つけて真っ先に来ましたのね、と内心思いながらもすっと小さく後ろに引けば同時にレオンハルト様がわたくしの前にすっと出てきてくれた。レオンハルト様はその美しい容姿のせいか例え距離があっても目立ってしまうからとても見つけやすい。

「どうも、クロートザック第三王子。そちらの女性は? シェーン令嬢ではないようだけれど」

「あの女のことはもうお忘れください。彼女はナル。私の心から愛する女性です」

「初めましてぇ王子様、ナルと申しますぅ」

 男に媚びる撫で声にゾゾゾッと悪寒が走る。よくもまぁ隠しもせずにそんな堂々と。しかも淑女らしく会釈するわけでもなく、第三王子の腕に絡みついたままの挨拶だった。それはもう他の令嬢たちが眉を顰めるのもわかる。

 死角になる場所でそっと腕を擦っていると視線を感じ、ほんの少しだけ顔を上げてみればねっとりとした目がこちらに向いていて更にぞわりと鳥肌が立った。

「美しいご令嬢ですね。そちらが噂の婚約者ですか?」

「ええそうですが」

 レオンハルト様の声色が少し低くなったことに気付いていない相手は更にわたくしに視線を向ける。けれどここで黙って隠れているままではいられない、わたくしはレオンハルト様にふさわしい人間であると知らしめなければ。

 ほんの少しだけレオンハルト様の影から脱し、ドレスの裾をつまみ上げお辞儀をする。

「アイビー・ルゥナーと申します」

「お名前まで美しいですね」

「そうでしょう――アイビーは僕の唯一無二の婚約者なので」

 腰を抱き寄せられレオンハルト様の息遣いが髪にかかる。隠そうともしない牽制に周囲にいた令嬢は軽く頬を赤く染め、ほぅ……と息を吐き出している者もいた。

 のだけれど。本当にこの第三王子の頭はとてもとても残念だったようで。明らかな牽制にも気付かずに更にわたくしに近寄りあろうことか触れようとする始末。わたくしはもちろんレオンハルト様だってそれをさせるわけがない。わたくしが下がったのとレオンハルト様が盾になってくれたのはほぼ同時だった。

「おっと。そんなに睨まなくても。ほぼ同年代ですしあとでゆっくり話しませんか? ほら、周りは堅苦しいのばっかりだし。ナルだってアイビーとお喋りしたいだろ?」

「はい~。周りおばさんばっかりで全然話が合いそうにないんですもん。どうしようかと思っちゃいました~」

「あはは! そうだよな! ああ、あっちに挨拶してくるんでそれではまた」

 周りの温度が絶対零度になったことにも気付いていないのかしら。とんでもない問題発言ばかり投下していったあの二人は別の王族の元へと消えていく。絶対に挨拶しに行った先でも失礼な発言ばかりするに違いない。

 それにしても、とちらりとレオンハルト様のほうに視線を向け……ああ、やっぱりこめかみに青筋を立てている。だというのに顔は相変わらず笑顔なのだからなんという器用な。

「同じ空気を吸いたくない」

「もう帰りましょうか?」

「うん、そうだ――」

「レオンハルト公、少しよろしいでしょうか」

 足が出口に向かおうとした瞬間、別のところから声がかかる。一瞬だけ真顔になった顔だけれどそれもすぐに人当たりのいいものへと変わった。

「帰るのはもう少ししてからみたいだね」

「そのようでございますわね」

「少し席を外すね――アイビー」

 さらりと髪を通り越してレオンハルト様の手がわたくしの首筋に触れるかどうかのところで止まる。僅かに身を屈ませて口元がわたくしに耳元の近寄り、言葉を発する前の小さな息遣いがダイレクトに届いた。

「気を付けて」

 たった一言だけれど、それですべてが伝わってしまう。口角を上げて、わたくしも手を伸ばしレオンハルト様の首筋に触れた。

「ええ、わかっておりますわ」

 わたくしの答えに彼は小さく口角を上げ、声をかけてきた人物と共に人混みのほうへと消えていく。

 一人残されたわたくしはさっさとバルコニーへと移動しようとしたのだけれど、その前に他の令嬢に囲まれてしまった。誰も彼も一度は面識のある令嬢ばかり。そして聞いてくる内容がほとんどレオンハルト様との仲のことだった。中には学園に行っていない令嬢もいて、学園生活はどうか。休日はレオンハルト様とどのようなことをしているのか、目を輝かせて聞いてくるものだから無碍にもできない。

 ある程度対応して頃合いを見計らいその場を脱して、飲み物を片手にバルコニーへ移動する。夜風を浴びてほんの少し深呼吸。社交の場は切っても切り離せないものだけれど、ほんの少し学園が恋しくなってきた。学園はここに比べて打算や謀略が少ない分、まだ少し気が楽だった。

「やぁ、美しいご令嬢が一人で置いてけぼりかな?」

 わたくしが一人になるのを見計らって来たくせによく言う、と思いつつも決して口に出すことはしない。視線を向ければレオンハルト様のこめかみに青筋を立たせることができた男性がほのかに赤い顔をしてこちらに歩み寄ってきていた。

「少し顔が赤いのではございません?」

「あちこちで飲まされましてご覧の通り。ははっ、俺はあまり酒得意じゃないんですよ。だっていうのに、おっとと」

 ならばその片手に持っているワイングラス置いたらどうですの、と冷めた眼差しを向けたところですっかり酔ってしまっている様子を見せる相手が気付くわけがない。段差もない場所で躓いてよろけたところ、なぜかその手はわたくしのほうへと伸ばされた。

「ああ、すみません。かなり酔っ払ってしまって」

「……休まれたらどうですの?」

「そうしますそうします……すみません、えっと、道はどうなってます?」

「……お送りしますわ。このままでは危ないですもの」

「ありがとう、助かるよ」

 ぐったりとした様子で身体を支えたわたくしに少し凭れかかってきた。このまま首根っこを掴んでそのまま引き摺ってもよかったのだけれど、大勢の目が一斉に向けられること間違いない。仕方なく寄り添い歩けるように手伝ってあげる。

 というかそもそも貴方の婚約者はどうしたんですの、と言いたい。こういうときはしっかりと婚約者が付き添ってあげるものでしょう。そうでないと良からぬ噂が立ってしまうのだから。会場内をぐるりと見渡してみると、その婚約者は別の男性と寄り添って楽しげに話をしていた。

 似たもの同士ですわね、とひとりごちながら第三王子の身体をやや引き摺ってパーティー会場をあとにして休憩所へと向かった。

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