愚弟を持った姉
「お父様、ただいま戻りました」
「戻ったか、ソフィア。話は手紙に書いていた通りだ。跡継ぎの件は正式に決定された」
「わかりました。尽力致します」
ところで、と大量の書類と商品に向き合っている父に話を切り出す。
「アレは、どうしました」
「罰を与えている。アレが最も嫌がるものでな」
「なるほど」
では様子を見に行ってきます、と一言告げればそれ以降父は私の目を見ることなく、再び机に戻す。その心情察するところもあり、私もそれ以上しつこく聞くことはしなかった。
自分の力で一体どこまでやっていけるのか、それを試してみたくて家から飛び出した。ツテも頼りもまったくない状態は精神的にくるものもあったけれど、気付けばそれが楽しさに変わり充実した日々をもたらしてくれた。飛び出して正解だった。
どうせ私は長子であっても父は跡継ぎを長男と決めていたから、家にいたところで私にとっては無意味なものだと。そう思っていたんだけどね。
屋敷を出て街まで足を伸ばす。あちこちにある露店の裏で商品の仕入れなどでひしめき合っている。商品によっては重いものや大きいものがあるため裏で働いているのは屈強な身体付きの人たちもいる。
汗水流しながら自分たちの暮らしや、または雇い主のためにせっせと働く人たち。その中で一際身体が小さく細い子どものような姿が見えた。周りに挨拶しつつズンズンと一直線にその者の元へと足を進める。
「どうだ、汗水垂らして働いている感想は」
「ッ……姉上ッ……!」
「どうやら随分と派手にしでかしてくれたそうだな、この愚弟は」
三人姉弟の中で唯一男児である弟、コリンが学園で何をやらかしてくれたのか。その詳細を事細かく書いて父は手紙を送ってくれた。
私は幼い頃から父の背中を見続けていたため、商いに関してとても興味があり勉強にも励んでいた。周りに「女なのだから無意味」だと言われ続けていても。ところがだ、この弟は男であるために跡継ぎが約束されていた。そのせいでろくに学びもせずに遊び呆けて周りから甘やかされていた。
それをどうにかしようと父と相談してそして放り込んだ学園だったわけだが。結果はこれだ。
「すまない、少し弟を借りてもいいだろうか」
「これはエトワールのお嬢さん。戻ってきていたのですね」
「ああ、呼び戻された。失礼する」
周りの者たちの比べて大量の汗を掻き随分ゼェゼェと息を乱している弟の首根っこを掴み、ズルズルと表に運び出す。途中文句を垂らしていたが私にとってはどうでもいい。寧ろ日陰があり風通りのいい場所へ運んでやったことに感謝してもらいたいぐらいだ。
「イダッ! もうちょっと丁寧に扱ってよ!」
放り投げれば投げたでまた文句。どうやら甘ったれの性格はそう簡単には直らないらしい。
「女に『魅了』の魔法をかけられた挙げ句、随分と王子を罵倒したそうじゃないか。どういうつもりだったのか弁明できるか?」
「ばっ、罵倒したんじゃないっ! ただちょっと、注意したぐらいで……」
「王子に忠告できるほどお前はいつ立派な人間になったんだ? しかも婚約者であるアイビー様には罵倒どころではなく無実の罪を着せようとした始末。始末に負えないのはお前の方だ、コリン」
「だからそれはっ、騙されてっ」
この後に及んでまだ言い訳。よくもまぁお父様はこいつの首を撥ねなかったこと。立ち上がろうともせず座ったままキャンキャン吠える犬に蔑みの目を向ける。
「一族の恥さらしめ」
「っ! そ、そこまで言うことないじゃんっ! 姉上っ」
言葉を強めればすぐ涙目になる。泣き落とせばこっちが罪悪感に襲われるとでも思っているのか。剣が振れるわけでもない、強い魔法が使えるわけでもない。細いその身体を押せば簡単に尻餅をつく。
「お前はレオンハルト王子のことを何もわかっていない」
いつも穏やかなように見えて、その頭の中も腹の中も探らせようとはしないあの王子のことを。そして政略結婚前提の婚約、そう思っているのは二人のことをまったく知らない者だけということを。
わかっていれば、アイビー様に罪を押し付けようなどという発想には至らない。将来王子の支えとなれるようにと傍に置いてもらっていたのに、王子の傍にいながらも何も学ばない、何も知ろうともしない。
ただ学園生活を満喫するだけだった弟の向上心のなさに段々と腹が立ってきた。
「エトワールの跡継ぎなら心配するな、正式に私に決まった」
「なっ?! 父上は、ボクにって!」
「レオンハルト王子からの働きかけがあった。彼は実力主義者だ、使えない人間を跡継ぎに推すわけがない」
唖然としている弟の傍に屈み込み、ポンと軽く肩を叩いてやる。
「これからも贅沢することなくあくせくと働くんだな」
エトワールにはまだ名が残っているが、この弟が家に戻ってくることはもうない。家からの援助もないため、必要最低限生活のできる家で生きていくためにせっせと働くしかない。頼めばすぐ言うことを聞いてくれるメイドも、黙っていれば美味しい食事を作ってくれるシェフも弟の周りにはいない。
呆然としてしまった弟をその場に捨て置き、私は立ち上がって背を向けて歩き出す。弟と違って正式に跡継ぎに指名された私にはやることがたくさんある。まず今家がどんな商談を進めているのか、その他諸々の確認。そして私を跡継ぎにと薦めてくれた王子へ感謝のための謁見もしたい。
「待って……待ってよ姉上っ! ボクはただ好きな人の助けになりたかっただけなんだ! ねぇお願い、父上に言ってよ! 確かにボクにも悪いところあったけど、そこを直すから! 反省してるからぁっ!」
弟の言葉を背に受け、奥歯を噛みしめる。どうして同じ血が通っているのにこんなにも違うのだろうか。周りの迷惑も考えずに保身のためにワーワーと騒ぐ弟の姿など、もう見たくはない。
「その甘ったれた性格をなんとかするんだなッ‼」
振り返ることなく感情のままそう怒鳴り、そこから二度と足を止めることはなかった。グスグスと泣き崩れる声が聞こえたところで後ろ髪を引かれることなどまったくない。
そして、あんな性格で周りとうまく溶け込めるとも思えない。今まで貴族という身分だけでいい思いをしていた愚弟は、これから自身が想像していた以上に辛い状況に立たされるだろう。だがそれでも、私は弟を手助けしようとはどうしても思えなかった。
「お前は今まで私が長男ではなかったということだけで、ずっと見下してきたものな」
姉として尊敬することもなければ、敬うことすらしなかった。
「ごめんね~姉上。姉上が男だったら跡継ぎになれたのに。なんで男に生まれてこなかったの? なんのために家にいるの? ボクと違って姉上にできることってなんにもないじゃん」
そんな弟を助けようなどと、私はそんな物語の聖女のようなできた人間でもなかった。
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