そこそこ厚い本
カナット学園の生徒はほぼ寮住まい。貴族だったり近くに住まいがある者はそのまま馬車や徒歩で通学しているけれど、それはそれぞれ自由に選べた。
わたくしは貴族の娘ということとルゥナー家にとって特殊であるということもあって安全面を考慮して馬車での登校になっている――この件に関してはレオンハルト様が強くお父様に進言したようだけれど――
そんな中、最も警備を強化しなければならない立場であるレオンハルト様は、まさかの寮住まいだった。当人が言うには「社会勉強」とのこと。けれど本当はきっとそんな大層なことではなくただの好奇心に違いない。
そんなレオンハルト様に会うべく寮の中を歩く。貴族も庶民も部屋の広さはあまり変わらない。基本的な家具や道具は常備されているけれどアレンジ可。貴族でも寮住まいの者たちは自分の好みの家具に変更している。前にクラスメイトからお茶のお誘いを受けて赴いてみた部屋は、学園の寮とは思えないほどきらびやかなものだった。
「レオンハルト様、今お時間ありますの?」
「ああアイビー。君ならいつでも大丈夫だよ」
ノックをして声をかけてみれば中からすぐに声が返ってくる。周りからは時間が空いたときいつも一緒にいると思われがちだけれど、わたくしたちだってそれぞれプライベートの時間ぐらいある。
レオンハルト様も自分好みの家具に変更しているけれどどれも実用性重視。尚且王族の名に恥じないようどれも一流の職人が作ったものだ。けれど貴族特有のくどさなど一切ない、洗礼されていて部屋の中はすっきりとしている。
「あら、お忙しいところでしたの?」
視線を部屋からレオンハルト様に向ければ、何やら窓辺近くにあるテーブルの上で一心不乱にペンを走らせている。もしかして王子としての案件でも入ったのだろうか。出直したほうがいいのかしら、とひらりとテーブルから落ちた紙を一枚拾い上げる。上の方には何かのタイトルだろうか、「華の麗人」と書かれていた。
「ごめんねアイビー、手を外せなくて。ただ少しでも早く書き上げたくてね……!」
「わたくしのことはお気になさらないで?」
でもめずらしい、レオンハルト様がそんな切羽詰まった状態で何かを書き上げようとしているなんて。一体なんの研究なのかしらと紙にサッと目を通した。
そしてバンッ! とテーブルを叩く勢いで紙をレオンハルト様の前に戻す。
「……レオンハルト様? こ、この、内容。なんだかとっても、既視感を感じるのですけれど?」
「それはそうだろうね、だって君のことだもん。アイビー」
「はい?!」
「タイトルだって本当は『アイビー・ルゥナー』にしたかったんだよ。でもそれは流石にアイビーが恥ずかしいだろうって、ファルクに止められたんだ」
なんだかもう、一体どこからツッコめばいいのか。こうしている間にレオンハルト様はドンドン、ドンドン文字を綴っている。
「なぜわたくしのことを書いておりますの?!」
「それはもちろん! アイビーのことを周りに自慢っ……知ってもらうためだよ! 大丈夫安心して、出版するつもりだけどちゃんと実費だから」
「たまに見かける女子生徒たちが書いている本にしては薄いものではありませんのよ?!」
「何を言っているんだい、あの程度の薄さで収まるわけがないだろう?」
「そうではなくてっ!」
わたくしの半生を本にして売ろうだなんて正気ですの?! 確かにレオンハルト様のわたくしに対する愛情の注ぎ方というか、とても大きなものを感じるけれども!
わたくしのことを津々浦々書かれて、レオンハルト様は楽しくて嬉しいでしょうけれど恥ずかしいのはわたくし‼ しかもレオンハルト様の主観で書かれているのであれば絶対何かしら盛られているに違いない!
「お止めくださいレオンハルト様! あっ、こら! 手を離しなさない!」
「離さいなよ?! これをいち早く完成させるために一体僕が何日完徹したと思っているんだい?!」
「このようなことで徹夜などしないでくださいませッ‼」
ペンを取り上げようと試みてみるも、流石は剣術も習っている身。とんでもない握力と体幹である。いつもなら力加減をしてくれるというのにまったく微動だにしない。そんな彼の反応にかなりの本気度が伝わってきた。
と、感心している場合ではないここで止めなければわたくし将来その本を片手にずっとにこにこニヤニヤしているレオンハルト様に追い詰められてしまう!
「お願いだよアイビー、最後まで書かせて?」
わたくしが意地でも手を離さないことを察したレオンハルト様はシフトチェンジしてきた。わたくしは立っていて彼が座っているものだから、自然と彼の上目遣いが視界に入る。幼い頃から鍛え上げてきた猫かぶりはここぞとばかりに効果を発揮させる。
お願い、ってそんな、目をきゅるきゅるさせてまるで捨てられた子犬のように! わざとだとわかっているのに思わず「ウッ……!」と手を離して心臓を押さえてへたり込んでしまった。だって可愛いんですもの。
わたくし、きっとこうして今後もレオンハルト様に負けてしまうのだわ。
「ごめんねアイビー。僕も使命感を抱いてこれを書いているんだ……例え君でも僕を止められないよ」
「一体どういう使命感ですの……」
「言っただろう? 君のことを書いてるって」
わたくしがどうやっても止まらなかった手がなぜか今ここでピタリと止まる。へたり込んでいるわたくしに彼はとろりと溶けた目で微笑んできた。
「アイビーのことを知れば例え魔力がゼロでもどうとても生きていけるって、同じような思いをしている人たちもきっとわかってくれるはずさ。自分が強く望んで、そして突き進んでいけば何にだってなれる。この本はね、その人たちへのお手本だよ」
「え……」
「だって君は彼らにとっての希望の光なんだから」
ずるい。本当に彼はずるい人。自分の欲望のままに書いているのかと思いきや、こういう一面も見せてくるのだから。
わたくしだってわかっている、きっとそれは他の誰よりも。魔力ゼロの人間が周りにどのような目を向けられるか。数が少ないからこそ、より一層立場が悪いということも。
わたくしはこうして近くで守ってくれる人がいる。例え冷たい視線を向けられてもそれでも家を追い出されることもなかった。でも他の人たちは? これがもし庶民であれば? わたくしが庶民だった場合、果たして力強く立っていられただろうか。
ノロノロと立ち上がったわたくしは彼の向い合せにある椅子に腰を下ろし、テーブルの上に散らかっている紙を一から丁寧に揃えてトントンと整える。
「……わかりました、もう止めませんわ。ただし、添削はわたくしがやらせていただきますからね」
「……えぇ~?」
「不満そうな顔をなさらないで。一体何を盛りましたの」
「……盛ってないよ。ありのままのアイビーを書いてるよ」
「『その美しく気高い佇まいは感嘆の息をもらすほどのもので』。この部分はいりませんわね」
「どうして?! とても必要なところじゃないか!」
「いりません‼」
これは、膨大な量の添削を行わなければならないのでは。目の前にどっさりと積み上げられた大量の紙にこちらは呆れの息がもれてしまう。
彼が執筆している側から次々に添削を行っていると、最終的に彼は「こんなのアイビーのすべてじゃない……」とグスグスと言い出す始末。
ごもっともなことを言っていたけれど、きっとこちらがレオンハルト様の本音ですわね。
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