5.婚約者の本性
「レオンハルト様、お口の端に付いておりますわ」
「え? わっ、ありがとうアイビー」
ふと隣を見てみると口の端にクリームを付けているレオンハルト様の顔があって、微笑ましくなりながらも持っていたハンカチで軽く拭って差し上げる。
「しかし生徒が作ったこのクレープ美味しいね。企画書にも素材にこだわっているって書かれていたからそれがしっかり証明されてるよ」
「取り引きから自分たちで行ったんですわよね? 一体どの生徒なのかしら……話を聞いてみたいですわ」
「確か商業学部の生徒だよ。あとでアイビーに紹介してあげる」
「ありがとうございます、レオンハルト様」
どういたしまして、と微笑んだレオンハルト様の笑顔に周りにいた女子生徒の心臓が撃ち抜かれた。彼女たちの気持ちはよくわかる。見目麗しい王子の微笑みはとても破壊力があるものだから。わたしくも十年の付き合いがなければ今頃彼女たちと同じように撃ち抜かれて倒れていたわ。
レオンハルト・オルトロス。彼はこの国の王子でそしてカナット学園の生徒会長、そしてわたくしの六歳の頃からの婚約者。穏やかな佇まいで自分の立場を引け散らかすこともなく、とても親しみのある方。学園内ではひっそりとファンクラブも立ち上がっていて、実はその会員番号一番はわたくしでもある。
そんなレオンハルト様を慕う者は多い。彼に悪い虫がつかないよう日々ヒヤヒヤしているけれど、面白いことに彼が毎日わたくしに愛情表現してくれるものだから実はあまり誰かに盗られる心配はしていない。
まぁ、今回のことには少し驚きましたけれど。
変な噂が広がっているのも知っていたし、周りの視線が段々冷たいものになっているのにも気付いていた。けれど同時にこれが一過性のものだということもわかっていた。噂は勝手に歩き出すけれど、人々が噂に飽きて忘れるのもまた早い。別にレオンハルト様のお手数をおかけする必要もないと報告もしていなかった。
でもまさか、レオンハルト様の前でありもしないことをでっち上げてああまで堂々とわたくしを糾弾してくるなんて。わたくしには到底想像できない所業ですわねと溜め息を吐き出したものだ。あんなおざなりな計画、恥ずかしくて口にすることもできない。
お三方はもう見るからに『魅了』の魔法にかけられているし、泣いているフリをしながらも上がっていた口の端も隠せてはいなかった。それでレオンハルト様を騙そうなんて、失笑も禁じ得なかった。
そもそもみんなわかっていない、レオンハルト・オルトロスという男のことを。
彼は確かに表情も口調も穏やかで、王子だというのにあまり威圧的なものを感じさせない。でもそれは、彼が敢えてそうしているだけ。
現在、第一王位継承者である彼には兄がおり、彼は次男だ。本来第二王位継承者であるはずだった。
ところが第一王位継承者である彼の兄は、あまりにも優しすぎた。優しくて、真っ直ぐすぎた。それだけ聞いたらとてもいい王になるだろうと思うかもしれないけれど、それだけで国を治めるなんてそんな簡単なことはない。あまりにも真っ直ぐな人は相手の裏を読めない、見れない、表に出ているものだけを見てしまう。そこにある計略も策略も、腹の黒さも気付けない。
彼の兄は、あまりにも清らかだった。
だから自分が王になることを嫌った。貴族とは、王族とはどういうものなのか嫌でも目に入っていたため、清らかな彼には耐えられなかった。彼の口から出てくるものはあまりにも理想論で現実的ではなかったため、リアリストな貴族は彼をあまり好んではいなかった。
一方、弟であるレオンハルト様はああ見えてとても野心家だった。
彼は兄の『スペア』として兄と同様あらゆる帝王学を学ばされた。ただ彼が兄と違ったのは、人には裏があるということをしっかりと理解しわかっていたこと。綺麗事では国を治めることはできないとわかっていた。
けれど彼はあくまで兄の『スペア』。自分に第一王位継承が来ないことも、また理解していた。
ところがだ、その第一王位継承者である兄が「王にはなりたくない」と言い出した。彼にとっては願ってもないことだった。こうして利害が一致した兄と弟は手を組んだ。
国外逃亡の手続きをし、無事兄を外へ逃がすことができた弟も無事第一王位継承者となりそして現在、王になるべくより本格的な教育を施されている。生徒会長というものも、将来王になったときのことを想定しての予習のようなものだ。
彼が家の継承が長男であることにこだわっていないのは、そういうことだ。自分もそうではなかったから。一言で言うと実力主義者。『スペア』と言われようともただひたすらに努力をし続けた彼は、訪れたチャンスを決して逃さなかっただけ。
ちなみにそういうことがあったからと言って、彼ら兄弟の仲が悪いということは決してない。彼の兄は努力家である弟を好んでいたし、弟も自分を認めてくれる兄を慕っていた。つい先日も国外逃亡した彼の兄から「子どもができた」という手紙をもらっていた。逃げた先で素敵な女性と出会って結婚し、村で行われた小規模な挙式に彼とお忍びで行ったものだ。そして生まれたばかりの子どもにも会いに行っている。
「アイビー、どうしたんだい?」
「いいえ、なんでもありませんわ。先日会いに行ったお兄様方のことを少し思い出しておりましたの」
「兄上の顔すっごい雪崩れてたね~。でもわかるよ、兄上たちの子どもすごく可愛かったから」
「そうですわね。愛嬌のあるお顔でしたわ」
「僕とアイビーの子だって絶対に可愛くなるよ! だってアイビーがこんなにも綺麗で可愛らしいんだから!!」
「レ、レオンハルト様に似るという選択肢はありませんの?」
「え?」
そんな腹黒王子だけれど、こういった無邪気な一面もあるものだからもう何度もキュンキュンしてしまう。彼ってわたくしのこと、好きすぎでは? 愛情表現もまったく隠さないし言葉にしなくても視線がとてもうるさいときもある。
本当にうまく二面性を使い分けている殿方ですこと。表面だけの関係しか築いていない人間は彼を騙そうと画策し、そして見事に返り討ちに合うというのが常だ。残念なのは、生徒会員でそれをわかっていたのがファルク様だけということ。
「本当に、彼らには失望致しましたわ」
将来レオンハルト様を支えるためにと生徒会員に任命されたというのに。その責務を果たせなかったばかりが恥をかく始末。いくら泣き寝入りしたところで彼らが将来レオンハルト様の重鎮になることはなくなった。
「本当に参ったよね。よりにもよってアイビーにだよ? 学園祭の準備がなければもっと早くに対応できたのに……ごめんねアイビー、君に恥をかかせてしまった。僕の不徳の致すところだ」
「そんなことありませんわ。わたくしもわかっていながら貴方様に相談しませんでしたもの。それに今回はあのお三方に責任があるのであって、レオンハルト様はわたくしの無実を証明してくださったでしょう?」
「君は本当に、寛大だなぁ……もっと怒っていいんだよ?」
「あら。レオンハルト様はわたくしに叱られたいのですの?」
「……ふふっ、それもいいかも」
それは駄目だなんだか彼の性癖を歪ませてしまう恐れがある。目の前にある顔がデレデレになっているのが何よりの証拠だ。
コホン、と軽く咳払いをして顔を上げ周りを見渡す。生徒たちとその生徒たちの可能性を実現させようと奔走したレオンハルト様の努力の成果が、今目の前に広がっている。あちことにある出店からはとてもいい香りがしているし、午後にあるという催し物も趣向を凝らしているという。
「レオンハルト様のおかげで、素敵な学園祭になりそうですわね」
「僕だけの努力ではなかったけれど、君にそう言ってもらえて誇らしいよ。ただしばらく回復薬は見たくないかな」
「今度美味しいものをご馳走致しますわ」
「そしたらアイビーの手作りお菓子がいいかな?」
「お安い御用ですわ」
彼のためならわたくしだってなんだってする。それはもう彼にしつこく付き纏う虫だって排除するし、茨の道になりそうであればその茨だって取り払ってあげる。
六歳からの出会いだ。魔力がないとわかっていながらも、それでも彼はわたくしを見限ることはなかった。逆にサポートしてくれて時には盾にもなってくれた。そんな彼に釣り合う女になりたくて、ひたすら努力をし続けた十年間。その努力を誰よりも認めてくれたのもまた傍で見守り続けてくれた彼だった。
「アイビー、もう考えたかい?」
薄っすらと微笑む顔に、同じように笑みを向ける。十年も一緒にいるのだからすべてを言葉にしなくてもきちんと伝わっている。
「いいえ、まだすべて決めておりませんわ。貴方様を貶めようとした罪、如何にして美味く料理しようか熟考したいですもの」
「へぇ、気になるなぁ。決まったら教えてくれる?」
「もちろんですわ――そうですわ、例の男爵も材料にするとまた美味しそうですわよねぇ?」
「ああ、彼ね。本当にいらない仕事ばかり増やしてくれる。僕も父上に男爵の件は任せてもらうよう進言してみるよ」
「ふふっ、いいですわね」
今回は例の女子生徒が主犯だろうけれど、どんな打算があったかは知らないけれど果たして人を貶める術に長けていないただの生徒がこの国の王子を貶めようとするだろうか。
例えば、ひっそりと耳元で囁いた者がいたとしてもおかしくない。「王子を手に入れたいのであれば、婚約者は邪魔ですね」と。彼女にはこの程度の囁きだけで効果は十分にあるだろう。更に「王女になれば何もかも独り占め」などと付け加えれば効力は上がる。
さらり、と髪をひと房意外にも節くれ立っている手が拾い上げる。イザベラから貰った香油、彼も大層気に入っているようで度々こうして口づけを落とす。その度に目撃してしまった女子生徒からは短くも黄色い悲鳴が上がっていた。今回もまた然り。
そして平然とした表情をしているこのわたくしも、実は心臓がバックンバックン激しいビートを刻んでいた。
「つくづく思うよ。婚約者がアイビーでよかった」
「わたくしもですわ、レオンハルト様……」
「ふふっ、同じ気持ちでよかった」
ふわりと微笑む顔はわたくしと二人きりのときにしか表に出さない。彼の表情がわたくしに隠れていて周りに見えていなくてよかった。誰かの視界に入っていたら、嫉妬で狂ってしまいそう。
「わたくしはレオンハルト様に命もこの身も何もかも、捧げておりますの」
「ありがとう、大切にするよ。僕の心ももちろんアイビーのものだ」
「まぁ、嬉しいですわ」
友人のミラは気の弱いところがあるけれど、そんな彼女からわたくしたちは「似た者同士」だとはっきりとよく言われる。考え方も似ているし、実行の仕方も似ていると。わたくし的には若干違っていた方が考え方も視点も変わっていいのではないかと心配しているのだけれど。
でもきっとそういうところやファルクや他の方々がサポートしてくれるのだろう。そしたらわたくしは今まで通り、レオンハルト様を力の限り支えるだけですわ。
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