昼間のうるさい娘

 パトリックは三番室には抜け道があると言った。パトリックが隠密にこなさなくてはならない仕事を引き受けたときにも使っている道だという。


「出口で待ち構えられたりしない?」

「ここから入ると森の出口付近に出る。駅の方へ行けば人がいるはずだから」


 パトリックにはリゼットと会話する気がないのだろうか。


「またいつか」

 

 パトリックは部屋から出て行った。三番室はベッドにクローゼット、小さな円テーブルと椅子がある。リゼットがパトリックの言っていた通りにクローゼットを横にずらすと壁に穴が開いていた。


 他基地の人たちが帰るというタイミングまで休憩していようと、リゼットはベッドに横になった。耳を澄ますと人の気配を多く感じる。こんな風に息を潜めて布団に包まる日が集落にいた頃にもたびたびあった。何の拍子にか、外の人が集落に立ち入ってしまった時である。エリーネはリゼットを部屋に隠し、外の人のところへ行った。リゼットはそういったことを詳しく知らされていなかった。エリーネは外のことを信用していない。リゼットも外の人の怖さは嫌というほど知っているし、エリーネにことあるごとに言い聞かせられてきた。


 そんなことを思い出しているうちに、集まって動きのなかった人の気配が徐々に動き出していた。団体様がお帰りになるらしい。


「――大丈夫、わたしは魔女としてつくられているはずだもん」


 リゼットはベッドから立ち上がり、パチンと両手で頬を叩いて気合を入れた。円テーブルの上に「ごちそうさまでした。ありがとうございました」と書いた紙切れを置き、クローゼットを動かして抜け道へ入る。内側からクローゼットを元の位置にずらすと、抜け道は完全に暗闇になった。ただまっすぐ行けばいいと教えられていたため、迷いなく走り出す。


 目が慣れてきたところで前方に行き止まりの壁が見えた。壁には石が打ち込まれていて足がかけられるようになっている。

 上を見上げると木の板で蓋をされていて、隙間から森の匂いがもれていた。リゼットは器用に壁を登り、上に人の気配がないかを確認すると、木の板を押し上げた。パラパラと土と木の葉が顔に降ってくる。口に入った土に顔をしかめながらリゼットは地上に這い上がった。


 パトリックの言っていた通りここは森の入り口の近くだ。板を元に戻し周辺の土や葉をかけたリゼットは、入り口の方へ歩き始めた。ジュルダンに基地まで案内された時に通った場所と同じところだったのでどこへ行けばいいかは大体わかる。

月明かりを頼りに、薄暗い森の中をリゼットは早足で進んだ。枯れ葉がこすれて音を立てる。追手が来ないかとビクビクしているうちに森の出口が見えた。


「結構簡単に出られそう」


 そう気を抜いたのが運の尽きだったに違いない。リゼットがそう呟いて息を吐いた瞬間、背後から足音が近づいてくるのが聞こえた。十人ほどだろうか。

 隠れてやり過ごす方がいいのか、走って駅の方まで行った方がいいのか。森から駅までの道は隠れられるようなものがない。この時間では人通りも期待できないから、そこで追いつかれればアウトである。


 まだリゼットを追いかけにきたと決まったわけじゃない、とリゼットは自分を落ち着かせた。

 持久力はそれなりにあるが、足が速いわけではない。背が高いわけでもないから、相手との体格差を考慮しても姿を見られるのは避けたい。


 リゼットはそばにあった茂みの中に入り、体を低くした。

 体ひとつだから簡単に隠れられる、そう思ってから「魔女の箱」のことをすっかり忘れていたことを思い出した。代わりに受け取った短剣すら置いてきた。あそこから出ることしか考えていなかったのだ。何かをやろうと決めるとその一つのことしか考えられなくなるのはリゼットの悪いくせだ。エリーネにも「外面を良くしようとしている割には抜けていますよ。いつ何時も気を引き締めておかなくては魔女はおろか人として呆れられてしまいますよ」と言われていたのに。


 回収するために戻らなくてはならない。今戻って何食わぬ顔でベッドで寝てしまえば抜け出したこともなかったことになるし、身の安全はわからないが振り出しに戻るだけのような気もする。パトリックには呆れられそうだが。


 足音はいつの間にか消えていた。通り過ぎたのかわからない。つくづくダメだなとリゼットが落ち込みかけた時、リゼット目掛けて何かが飛んできた。


 反射的に横へ転がって避ける。リゼットが真横に目を向けると、そこには矢が刺さっていた。避けなければ頭に刺さっていただろうし、あといつだったかの奇襲に似ているな、とリゼットは冷静に思った。


「――申し訳ありません、当て損ねたみたいです。おそらく一人だけかと」


 矢が飛んできた森の入り口側に目を凝らすと、クロスボウを構えた体格の良い男が立っており、その後ろにも四人ほどの人がそれぞれ武器に手を当て、いつでも構えられる態勢をとっている。

 クロスボウを構えた男の後ろから、剣を抜きながら一人が前へ出てくる。殺気は抑えられているものの、剣の先が向かうのは間違い無くリゼット。こんなことなら短剣を持ってきていればよかったのかもしれない。


 動いたらすぐにでも矢が飛んでくるだろうとクロスボウを構えたままの男を見て思ったリゼットは、隙を見逃さないように近づいてくる男に視点を合わせた。

 しかし、男が月明かりの差し込んでいるポイントを通ったところで、リゼットは思わず体を起こした。オレンジの髪が光を反射させている。この男は昼間リゼットにパンをくれた人だ。雰囲気こそ違うが間違いない。


「ジェスマン、さん?!」


 リゼットが動いたことで飛ばされた矢を再び避け、地面に転がったまま声をあげた。


「わたしです、リゼット、リゼット・ハーウェルです! 昼間はお世話になりました!」


 剣を下ろすことはしなかったが、ジェスマンはリゼットの姿を見て思い出したらしい。後ろに攻撃を止めるよう指示を出した。


「なぜこのような場所に?」


 それはリゼットも聞きたい。なぜジェスマンたちがここにいるのか。というか何と説明すればいいものか。


「ええと、ご飯を食べさせてもらってきた帰りです、かね?」


 ジェスマンは片眉を上げた。


「ご飯、ですか……」


 納得できない気持ちはよくわかる。諦めたように剣を下ろしたジェスマンは、リゼットについてくるよう言った。

 服についた土をはたきながらジェスマンの横を歩く。ジェスマンと共に来ていた人たちのところに着くと、クロスボウを下ろしていた男がジェスマンに説明を求めるような視線を送った。


「彼女はおそらく『異界信仰』とは無関係だ。まあ断定はできねーが」


 荒っぽくなったジェスマンの口調に驚き顔を上げる。昼間は丁寧に撫でつけられていた髪を掻き上げているし、聖服も来ていないため、この姿だけではモルだと言われても信じられない。


「――君は昼間のうるさい娘か? なぜここにいる」


 フラン助祭様、とジェスマンに呼ばれていた人だ。冷酷眼鏡だ、とリゼットは心の中で毒づいた。追い出されたのは当然かもしれないけど。


「皆様こそなぜここに? 急に攻撃されるし、『異界信仰』でしたっけ、何なんですか?」

「こちらの質問に答えてくれないか? 私は質問しろとは言っていないのだが?」

「質問に答えなきゃいけない義理もありませんよ!」


 フランは目を細めた。反抗心が湧いて子供っぽい態度をとってしまったが、フランの機嫌が悪そうな様子に先ほど剣を向けられた時よりも身の危険を感じる。


「え、えっと、『異界信仰』ってもしかして、かつての世界体系に戻して異界とのつながりを復活させるっていうやつですか?」

「ほぉ?」


 フランはイエスともノーとも言わずにリゼットから情報を引き出そうとしていた。異界信仰は高確率でジュルダンたちの信仰に近いあれのことだ。この様子だと間違っていなさそうだと思ったリゼットは、そのまま続けることにした。


「皆さんは今からそこへ行くんですよね? それならわたしも連れて行って欲しいんです」

「お嬢さんはどうして――」


 優しそうな男性が心配そうに問いかけるのをフランが遮った。


「いや、いいだろう。連れて行く。ただし」


 まさに悪い笑みといった表情で腰につけていた袋から縄を取り出し、もう片方の手でリゼットの手首を掴んだ。


「ただし、終わったら君は重要参考人として連行させてもらう」


 骨張った手はリゼットの想像に違わず冷たい。掴まれた片手が素早く縄で縛られた。


「え? ちょっと待ってくださいよ! どうして捕まらなきゃいけないんです⁉︎」

「夜中にこんな場所にいて、さらには少なからず『異界信仰』と関わりを持っている。これ以上の理由が必要か?」


 その通り過ぎる正論にリゼットはうぐっと言葉を詰まらせた。


 それにしても、ジュルダンたちのことを怪しいとはリゼットも思ってはいたが、犯罪組織のような扱いを受けるような人たちだったのだろうか。あそこにはマノンやパトリックもいるし、せめて二人はつかまって欲しくない。そもそも教会のモルがなぜこんな自警団のような仕事をしているのか。

 不満げに手首につけられた縄を見ていると、フランに「まだ片手だけにしてやっているんだ。ありがたく思え」と言われた。


「イヴォン、何かあったら指示を待たず攻撃しろ」


 物騒なことを言ってフランはリゼットに結びつけられた縄をイヴォンと呼んだ男に渡した。さっきリゼットに質問しようとしたところをフランに遮られた優しそうな男の人だ。

 縄を受け取ったイヴォンは「痛かったら教えてくれる?」と縛られた手首を心配してくれた。ありがとうございます、とリゼットは返す。実は案外、痛くはない。おそらく行動制限を科すためというのと危機感を与えるための警告的な意味合いで縛ったのだろう。本気で縛られていないことはリゼットにもわかる。


 基地の場所は既に調査済みだったらしく、ジェスマンを先頭に迷いなく入り口まで進んでいく。リゼットはイヴォンと共に最後尾を歩いている。縄はあまり気にならなかった。イヴォンがリゼットの歩幅に合わせて歩こうとしてくれたり、リゼットの手の位置が楽になるように考えて縄の端を持っていてくれたおかげだ。フランが優しさの対極にいるおかげでイヴォンがものすごくいい人に見える。


「ここか――俺とカルスはこっから入る」


 正面突破組はジェスマンとクロスボウの人カルスらしい。カルスはこの中で一番年上に見え、戦い慣れた威厳なのか強者の風格を感じる。リゼットと年が近そうなジェスマンも場慣れしているように思うし、イヴォンは優しい人オーラがにじみ出ているのに研ぎ澄まされた静かな強さも感じる。もう一人の若者エドワードは軽薄そうな見た目をしている割に殺気を帯びた目はそれだけで人を殺せそうだ。フランに至っては存在が恐怖。……そう思うのはリゼットだけではないはずだ。

 ここにいる五人は少数精鋭という言葉がよく似合う。


 フランはジェスマンの言葉に軽く頷き、入り口が隠されている大木の岩から離れた。イヴォン、エドワードもそれに従う。リゼットとしては基地の中に入って「魔女の箱」を回収しに行きたかったのだが、まともに戦えないリゼットがついて行けばお荷物になることは目に見えていたので素直にイヴォンにくっついて行った。


 フランたち三人は、正面突破組からの合図があったら突入する算段らしい。木の影に隠れて合図を待つ。エドワードとイヴォンからは戦いに備えた緊張がわずかに伝わってきたが、フランからは何も感じられない。


「遅いな……。エドワード」


 リゼットからするとそこまで時間は経っていなかったが、もとの予定では入って様子を見たらすぐに合図を送る予定だったらしい。フランがエドワードに目線を送ると、エドワードは「承知しました」と答えて入り口へ向かった。

 エドワードが岩をずらして中へ入ろうとした時、中からジェスマンが声を出した。


「気づかれてたっぽい。誰もいねー!」


 フランとイヴォンも入り口へ行き、下で待っていたジェスマンとカルスと合流する。六人で基地の中へ入ると、たしかに誰もいなかった。キッチンにはリゼットが使ったスープ皿やらが洗って立てかけられている。リゼットが案内された三番室には、リゼットの置いておいたメモの代わりに「また会おう。お近づきの印だ。受け取っておいてくれるかな」と書かれたメモと短剣、リゼットの「魔女の箱」が置かれていた。


「これを取りに来たかったんです。持って行っても大丈夫ですか?」


 隣にいたイヴォンをちょんちょんとつついてこっそり尋ねる。他の人に聞こえないようにしたのはフランに知られるとまた何か言われると思ったからだ。

 リゼットの頭の中では、フランは人間味の薄い冷徹人間、ジェスマンは紳士ぶるのがうまい生粋の騎士、カルスは頼もしい戦場の父、エドワードは女の扱いに慣れていそうな暗殺者、イヴォンは面倒見のいい優しいお兄ちゃん、という認識が固まりつつあった。

 もちろんそれが事実だとは限らないことくらいリゼットも理解している。集落の平均年齢はおよそ六十歳。リゼット以外は皆四十以上。正直カルスも若く見える。父はともかく兄という年齢の人や、現役で女遊びをしているような人が当然集落にはいなかったのでこの比喩が的確に彼らを表せているのかも定かではなかったが。


「うーん、元々リゼットちゃんのものだったんだよね? こっちで問題ないと判断できれば遺失物応急対応処置が適応できると思うよ」


 いまいちどういう集団なのかわからないこの人たちに片手に縄をかけられながらついてきている時点で、さっさと回収して別れることができないのはわかり切っている。返してもらえるとわかっただけでもよしとしようとリゼットは思い、基地の中を見回るジェスマンたちを大人しく眺めていた。


「リゼットちゃんはフラン様とジェスマンと知り合いだったみたいだけど」


 リゼットの手綱を持つために共に待機しているイヴォンが、暇を持て余すリゼットに気を使ってかそう話を振った。冷静になった今では、教会に突撃してなりふりかまわずに雇ってくださいと叫んだことを思い出すだけで頭が痛くなる。やはり恥や謙虚さは簡単に捨てていいものではないようだ。ただ、現在の状況を考えるに今後も捨て身でいかなければどうにもならなさそうにも思う。ひとまず謙虚さは半分くらい拾って、それ以外は自警団の遺失物保管所にでも預かっていてもらおうとリゼットは思った。


「昼間に教会を訪ねまして、その時にお世話になったんです。いろいろあってかなりの醜態をさらしてしまいましたが……」

「教会は悩みを持った人のためにあるようなものだから気にしなくていいと思うよ。むしろ悩みをさらけ出すべき場所であるべきだから」


 イヴォンの澱みのないフォローに慰められつつ、この人は唯一モルに向いているなと考えていた。その後も当たり障りのない、例えば、北アクスの街の様子や天気のことなんかを途切れ途切れに話し、一通り調査を終えたフランたちと共にモルティナ教会へ行った。この頃にはもう空がオレンジみを帯び始めていた。


 仮眠休憩の後に重要参考人としての取り調べを行うことをフランから告げられ、教会の裏にある作業棟の一室に通された。夜間列車で寝ているだけで疲れが溜まる一方だったリゼットには、捜査対象者留置用の小さな部屋の硬いベッドであることも気にならなかった。あっという間に深い眠りに入ったリゼットに、様子を確認しにきたイヴォンが苦笑したのは言うまでもない。

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