それ信用していいの?
地下の基地はパッと確認できるだけで部屋が六つはある。人の気配もそれなりに多く、日の光が届かない場所なのに明るい雰囲気だった。
「今日は普段別の拠点で活動している者たちが来ているのでね、少しうるさいかもしれないが彼らは夜には帰る」
リゼットは客人用の立派なテーブルがある部屋に通された。リゼットとジュルダンは向かい合わせに座る。
「まずは食事にしよう。ちょうどマノンがディナーを作り終えたらしい」
ジュルダンが部屋に取り付けられていたベルを鳴らすと、少し間があいてからドアがノックされた。
「お帰りなさい、おじいさま! お客様ですか?」
歳は十ほどだろうか。ドアを開けたのはエプロンをつけた女の子だった。彼女の笑顔や言葉からはジュルダンを慕っていることがよく分かったし、ジュルダンがこの子供を見る目もいくらか優しいものに思えた。ジュルダンは彼女のことを可愛がっているらしい。
「特別なお客様だからね、マノンも挨拶をしなさい」
料理上手なマノンというのはこの子供のことだったようだ。ジュルダンとマノンはおじいちゃんと孫のような関係なのかもしれない、とリゼットは思った。
「はじめまして! マノンです。今日のスープはトメをたっぷり使った特製ですよ!」
マノンは元気いっぱいにそう言った。トメはリゼットも大好きだ。酸味のあるジェリー状の果汁がたまらない。赤に近い黄色をした果肉部分は甘味もあってとても美味しい。
「はじめまして、こんばんは。お料理が上手だと聞いていたの。楽しみにしているね」
リゼットは彼らに名前を明かす気がなかった。彼らも無理に聞いてはこない。興味の対象がペンダントだけなのか、あとで始末するから関係がないと思っているからなのか、どういう考えなのかはわからないが、リゼットに不都合はない。
「あ、おじいさま、パトリックも食事がまだなんです」
「パトリックか――ここへ呼んできなさい。私よりもお嬢さんと年が近いから話が弾むかもしれない」
マノンは「はい!」と言ってパタパタと出て行った。見た目は確かに「基地」だったが、中に入ると「家」のようだ。家族中の良い家に招かれた、そんな感覚になる。
「マノンとパトリックが来る前に少し話をしよう」
ジュルダンはテーブルの上に指を組んだ手を置いて少し身を乗り出した。
「不躾な質問で申し訳ないのだが、お嬢さんはモルトゥナ教を信仰しているのだろうか?」
初対面の相手に宗教の話とは。リゼットはどこの宗教を信仰しているわけではないからよかったものの、人によっては地雷になるかもしれないことを理解していないわけではあるまい。特にカリズ教の信者は、心を許していない人に自身の精神的聖域に立ち入られることを好まない。
「わかっていらっしゃるようなので包み隠さず端的に話しますが、わたしは無宗教です」
「マノンを相手にしていたときとは随分と態度が違うではないか」
ジュルダンはわざとらしく口角を下げて戯けて見せた。細かな仕草まで「紳士」を模しているようだが、リゼットにはいかにも取り繕っているように見えた。滲み出る偽物らしさが消せていないのだ。リゼットが瞬きをしただけだったのでジュルダンは「まあいい」と仕切り直した。
「この世では宗教と名をつけて所詮人間の下等な頭脳で生み出した多様な神を崇め、また他宗教の者を排除しようとするが、異界からすればそれはそれは小さく醜い。それを理解する者がなんと少ないことか」
突然始まったジュルダンの演説は次第に力強く熱くなっていった。
「この世界の中で下らないままごとをするとは無利益もいいところだ。お嬢さんは異界には何が存在すると思う? 異界には無限の力と崇高な生命が存在する」
リゼットに問いかけたくせに、一呼吸も間を開けずにしゃべり続ける。
「かつてはこの世も異界とのつながりがあった。各地で語られるフェアリーやデビルなんかの伝承がその証拠の良い例だ。だが、現代はどうだ? 異界とのつながりは完全に断たれた。異界からもたらされた恩恵を踏みにじったのは他でもない我々人類だ」
これも一種の宗教なのではないだろうかとリゼットは思った。異界の存在の有無はリゼットの知るところではないが、ジュルダンを見ていると狂信という言葉が思い浮かぶ。
「お嬢さんには是非とも我々と同じ志を持っていただきたい。かつての世界体系に戻し、異界を受け入れる体制を整えるのだ」
宗教勧誘か、と一言で片付けることがリゼットにはできなかった。実際宗教勧誘なのだが、思い出してしまったのだ。ウォームの泉伝説第三章二節「アグトルドルへの道」に出てくる異世界「アグネルシア」の存在を。精霊の母体と膨大なエネルギーを持つ別世界。ジュルダンは最初に、「せいれい」を信じているだろうとリゼットに確信を持った言い方で言っている。このペンダントに固執している。
これは果たして偶然なのだろうか。伝説を行動指針にしていたこともあって判断に迷う。
リゼットの反応に手応えを感じたのか、ジュルダンは話を終えた。
タイミングを見計らったようにドアがノックされた。マノンが料理をワゴンに乗せてテーブルまで運んでくる。いい香りが部屋中に漂い、思わず気が緩んだ。
「おまたせしました!」
マノンは丁寧にリゼットとジュルダンの前にお皿を並べる。スープとパンと魚のムニエルだ。ここは海に面した地方だから魚が比較的安価に手に入る。リゼットの集落は山中だったため肉をよく食べていた。魚は久々だ。
マノンはジュルダンの横へ、マノンの後ろからついてきた青年、おそらくパトリックはリゼットの横へ座った。二人はリゼットたちよりも魚が小さい。
ジュルダンが食べ始め、それに倣って他の三人もフォークとナイフを手にとった。
「お嬢さん、これがパトリックだ。若い者同士仲良くやってくれるかな?」
見合いについてきた庇護者のような口ぶりでジュルダンはパトリックを紹介した。リゼットがパトリックの方に顔をやると、パトリックは軽く微笑んで会釈をした。紫色の前髪の間から見え隠れする垂れ目がちな目が妖美な雰囲気を漂わせている。
ジュルダンは食事の間宗教勧誘をしなかった。パトリックやマノンも無言で食べているので、食卓には食器とカトラリーの触れ合う音だけが響いていた。
ジュルダンは食事を終えると、普段別の拠点で活動しているという人たちのところへ顔を出しに行った。マノンは食器を片付けに出て行っている。部屋にはリゼットと、ジュルダンにリゼットのお守りを押し付けられたパトリックの二人だけだった。
「のこのこついてきて何やってるの?」
離れた場所にあるソファーに座っていたパトリックが不意に声を出した。沈黙が破られたこととその内容に二度驚いて、リゼットは彼の方を勢いよく見た。
「……どういうことですか?」
「どういうことも何もそのまんまの意味だよ。あの爺さんが善良な紳士だと思った?」
この人はどういう立場なんだろうか。ジュルダンの仲間だと思っていたが、そうではないのだろうか。彼のことがわからない以上リゼットは迂闊なことを言えない。なんと言えばいいのか迷っていると、パトリックはリゼットの方へ近づいて耳元に顔を寄せた。
「俺は別に、あいつの飼い犬じゃない。さしずめ居候ってとこかな」
リゼットが言葉を発しようとするのを止めて、パトリックは続けた。気怠げな物言いは、リゼットのことを案じているのか、気まぐれなのか、何かの策なのか、それすら感じ取らせてくれない。
「とにかく、さっさと帰ったほうがいい。今いる団体様は夜中のうちに出ていくから、その見送りやなんかで手薄になる頃に出て行きなよ」
リゼットの耳元から顔を離すと、パトリックは何事もなかったかのようにソファーへ戻って行った。
「――それ信用していいの?」
「そんなの勝手にすればいい。でも、今日のところは信用しておくことをお勧めするよ」
パトリックの表情は読めなかった。
結局野宿になるらしい。美味しい料理を食べられたから良かったか、と思ってからリゼットは気がついた。このままこっそり出ていくとしたらリゼットは料理泥棒で、ジュルダンはお金のない少女を助けたただの優しい民間人だ。リゼットは無理やり連れてこられたわけでもない。怪しいのは向こうだが、身勝手なのはリゼットである。
リゼットはどうにも複雑な気持ちになった。せめて食費を置いておくべきか。
ジュルダンがドアの外から声をかけた。
「お嬢さん、ベッドの用意ができたよ。パトリック、三番室に案内してやりなさい」
誰かに呼ばれたのか、それだけ言うと「今行く」と遠くへ声をとばして離れて行った。
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