退屈はさせない

「は? ……ハーウェル様、どうされたのです?」


 どうやらジェスマンの丁寧な対応はお客様に向ける所詮営業スマイルといったところだったらしい。雑な口調を咳払いでごまかしたジェスマンは、その目に明らかな困惑の色を浮かべていた。当たり前である。


「一通りの算術はできますし、礼儀作法もそれなりに学んでいます。掃除洗濯料理もできます。まだ見習いですがれっきとした魔女です。この教会の皆様に幸福をもたらします! それから――」

「ハーウェル様、少し落ち着いてください。モヌアの受付は常時しております。何か資格をお持ちでしたらサウストとしての契約も可能かもしれません」


 レジス王国のモルトゥナ教会は国民のモル・モヌア登録に寛容だ。国民でありさえすれば前科があろうが差別を受けている民族であろうが、老人であろうが子どもであろうがモルもしくはモヌアとして教会に勤めることができる。


 ただし、それは国民の話である。リゼットは正しくいえばこの国の国民にカウントされていない。リゼットの住んでいた集落は、存在の隠された言わば魔女の地、秘境。レジス王国に限らず、どこの国の国民でもないのだ。薬師や医師、技工師などの資格や実績を持っているわけでもないため、教会に専属契約で雇われるサウストとしても承認される見込みもない。


「モヌアになるには国民証明書が必要なのでしょう?」


リゼットの言わんとしたことを悟ったのかジェスマンは口を止めた。


「失礼ですが、他国の貴族、富豪家の方ではありませんよね?」

「わたしは魔女エリーネの孫であり弟子である見習い魔女のリゼットです! 今は寄付金は出せませんが、雇う価値はありますよ!」


 服装やペンダントなんかを見てどこかの貴族のお忍びだと思っていたらしい。そういえば街で装飾品を身につけていた人はいなかったかもしれない。


「落ち着いてください。私の判断で決められるものではありません」

「どうすれば雇っていただけますか? こう見えて体力もありますし、短期契約でも構いません!」


 リゼットの直感が、ここに居座れと言っている。というより、ここ以外に行く当てもない。

 ジェスマンはリゼットに断りを入れ、高い塀の奥から人を呼んできた。一般のモルとは違って凝った刺繍の入った聖服を着ている。長身のその人は青い長髪を後ろで束ねており、眼鏡をかけていた。いかにも気難しそうな人だ。眉間にしわを寄せてリゼットを見た。


「君か、雇えとうるさい娘というのは」

「料理洗濯掃除、算術、礼儀作法、どれもできる見習い魔女です。低賃金でも許せます。お買い得だと思いますよ!」

「フラン助祭様、こちらリゼット・ハーウェル様です。先ほど教会所有地区への立ち入りを求めに一度訪ねてこられています」


 フラン助祭様と呼ばれた男は表情を変えずにジェスマンの話を聞き、眼鏡を外してリゼットを眺めていた。眼鏡は金色の細いチェーンで首に下がっている。


「礼儀作法を学んでいるという割に礼儀がなっていないようだが」


 フランの冷静さ、いや、冷ややかさに当てられ、リゼットの捨てた羞恥心が持ち主の元へ帰ろうとしていた。じきに迷いと遠慮も束の間の家出から戻ってきそうだ。リゼットはそれらが戻ってこないように気を引き締めつつ、無理やり勢いを加速させた。


「きっとお役に立てます! 教会の前でわたしが飢死していてもいいんですか? 教会に救いを求める人が減りますよ?」


 滅茶苦茶な脅しをかけたリゼットは、当然のごとく教会からつまみ出された。


「君を雇うと教会の品位が疑われそうだ」


 フランの一言はこの場においてはもっともだった。フランはリゼットを追い出して早々に去っていく。ジェスマンはそんなフランの目を盗んでリゼットにパンを持たせてくれた。




 この街唯一の宿屋をあたってみたが、宿泊は銀貨三枚銅貨五枚からだった。南ホンチェイより宿泊客が少ない分価格が高いのかもしれない。リゼットの手持ちでは銀貨一枚分足りなかった。


「魔女と名乗らないほうが良かったかなぁ。しかも見習いなんて微妙すぎたかも。でも、他に名乗るものはないし……」


 そろそろ集落にいたときにおやつを食べていた時間だ。甘味どころか食事も満足にいかないなんて外の世界は優しくない。


 小さな広場の隅でジェスマンがくれたパンを半分食べて、リゼットは今後のことを思案した。

 ヤニックを探そうにも交通費がない。衣食住の確保も必要だ。どうにかしてお金を稼ぐ必要がある。ひとまず今夜、どうしよう。

 そんなことを考えていた時だった。


「お嬢さん、もしや『せいれい』を信じているね?」


 リゼットが声のした方を見ると、シンプルだが質の良い服を身に纏った初老の男が立っていた。


「どなたですか?」

「おお、これは失礼した」


 男はジュルダン・ロベスと名乗った。怪しすぎる、とリゼットは思っていた。


「お嬢さんはそれをどこで?」


 ジュルダンはリゼットのペンダントを目線で示した。


「祖母からの貰い物です。ただのペンダントですが」


 魔女だのなんだのは話を拗れさせるだけだと判断し、リゼットは特別な意味は全くないというふうな態度で返した。しかし、ジュルダンの興味は薄れないようだった。


「お嬢さんのおばあ様は随分と目が良くいらっしゃるようだ」

「わたしに一体どのようなご用事ですか?」


 ジュルダンはわざとらしく目をぱちくりとさせると満面の笑みを浮かべた。


「お嬢さんには是非とも我々の仲間になっていただきたい。そのペンダントもただの装飾具からありがたい神具の一つとなる。何より、お嬢さんには素質がある」


 怪しい。それ以外の言葉が出てこない。この人の正体が怪しさを具現化したものだと言われても信じられるくらいに怪しい。もはや怪しい以外の要素を見受けられない。


「わたし、あまり暇ではないんです」


 人気の少ない広場でパンを食べて考え事をしていた姿では説得力はないだろうが、それが余計に明らかな拒否の意を伝えるのに一役買っているはずだ。それなのにジュルダンに諦めるという選択肢を選ばせるには弱かったらしい。


「ああ、怪しいと疑っているね? 確かにそれも無理はない」


 そう愉快そうにそう言ってのけた。


「我々はこの国では有名ではないがね、ファンガル連合王国では王家の承認も受けた団体なのだよ」


 ジュルダンはジャケットの内ポケットから、ファンガル連合王国の王家の家紋が入った懐中時計を取り出した。


「すぐに決めろというのも不親切なものだ。そうだろう?」


 同意を求めるジュルダンに、リゼットは何も返さなかった。この老人には肯定も否定も無意味である。


「お嬢さんは我々を一度知るのが良いのではないだろうかと思うのだよ。知らないものには価値もつけられない」


 リゼットが観察した限り、あの懐中時計の紋章は本物だった。本物と偽物の区別はつくようになっている。これでもエリーネの弟子なのだ。


「どうだろう、我々がこの近くに構えている拠点に招かれてみてはくれないだろうか。退屈はさせないと保証しよう」


 行かないほうがいいとリゼットの直感が告げている。


「お嬢さんはまだ宿を取っていないようだから今晩の寝床と食事も提供しよう。拠点にいるマノンは料理の腕が素晴らしいんでね、きっとお嬢さんも気にいるだろうよ」


 行かないほうがいいとリゼットの直感は告げている。しかし願ってもいない好待遇かつ女性もいるのかという安心感がリゼットの判断を鈍らせた。空腹は最高のスパイスとはよく言ったものだ。慣れない場所で頭を使い、走り回り、一日半ぶりの食事はパン半分。空腹と先の見えなさはジュルダンの誘いをこれでもかと飾り立てていた。


「お話を伺うだけです。お誘いに魅力を感じなければ明日の朝すぐにでも帰ります」

「もちろんだとも」



 リゼットが今朝到着した北アクスの駅から線路沿いにしばらくさかのぼって、森に入る。アクス地方をまたいでゾル地方に入った。しばらく歩き、ジュルダンは一つの大木の前で立ち止まった。

 

「さて、お嬢さんはこれから我々の基地に入るわけだが……」


 ジュルダンは後ろからついてきていたリゼットのことを、目を細めて眺めた。


「お嬢さんは重要な客人だ。だがね、同時に我々の脅威ともなりうる」


 リゼットは一瞬、今ここで仲間になると言わなければ口封じだとか何か理由をつけて殺されるのではないかと思った。


「そこで、お嬢さんの大切なものと我々の大切なものをお互いに預けておくのはどうだろうかと考えたのだよ」


 ジュルダンの視線はリゼットのペンダントに固定されていた。よっぽどこのペンダントを手にしたいらしい。


「その考えには同意しましょう。ですが、あなた方の大切なものはなんですか? 半端なものでは頷くことができません」

「我々が渡すものはそうだな――この短剣にしよう」


 ジュルダンが手にしたのはいくつもの宝石で飾られた質の高い短剣だ。剣を渡すことで、「危害は加えない」と示しているつもりなのかもしれない。

 リゼットは少し考えた後、袋の中から「魔女の箱」を取り出した。リゼットの頭より少し大きいサイズのその箱には、金の装飾が施され、赤紫色の石が側面に一つ嵌め込まれている。


「では、わたしからはこれです」


 リゼットが「魔女の箱」を差し出すと、ジュルダンは眉を寄せた。


「お嬢さんはこの箱を?」

「大切なもの、と言いましたよね? わたしにとってこの箱以上に大切なものはないんです。服も、装飾品も、お金も、この箱には変えられません」


 それは事実だし、この箱は他の人の手に渡っても開けられる心配はない。リゼットにしか開けられないのだ。……現時点ではリゼットにも開けられないが。とにかく、それならば奪われてしまっても取り返せばいいだけの話で、大して困ったことにはならないだろう。


「ふむ、そうか……そのようなものをいただくのはこちらとしても心苦しいのだが……」


 ジュルダンがペンダントに視線を向けていることに気がついてはいたが、リゼットはそれを無視してエリーネ直伝のお貴族様スマイル有無を言わせぬ笑顔で箱を突きつけた。


「こういうものは誠意を伝えるに限りますから、遠慮はいりません。その短剣はとても価値があるようなので、せめてわたしはこれを」


 しぶしぶといった様子でジュルダンは箱を受け取り、代わりに短剣を渡した。

ジュルダンは木の根元にあった岩をずらした。重そうに見えたが作り物なのか簡単に動く。岩の裏から現れたのは大木に開いた空洞で、そこから地下へと続くハシゴが伸びていた。

 リゼットに入るよう促すと、ジュルダンも続いて入り、内側から片手を伸ばしてカモフラージュの岩を元の位置に戻した。

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