役に立つ見習い魔女です

 エリーネの言葉を思い出し、ぎゅっと「魔女の箱」の入った袋を抱えると、リゼットは近くの街へ走り出した。

『直感を信じて、前を向いて』

 ヤニックという人を知らないかと街の人に尋ねてみよう。見つからなかったらこのモルトゥナ教会というところに行ってみればいい。

 

 北アクスはのどかな場所だ。南の方――ジェシャ港を中心に広がるところは、ジェシャ港が一昔前には他国との貿易港であったことから商業地としても栄えていた歴史がある。隣のメバ地方に貿易の中心が移った今でも、比較的賑やかな場所だ。

 川から引かれている水路をひょいと飛び越えた。こんなふうにさっきの柵も越えられたら良いのに、とリゼットは思った。


 

 北アクスは列車に乗った場所、南ホンチェイとはまた雰囲気が違った。大きな商業施設や宿泊施設は南アルクに集中しているのか、ここは地元の人のための街という様子だ。時間の流れも穏やかに感じる。ただ、整備の状態は非常に良い。首都レゼスとも引けをとらないのではないかと、首都どころかメバ地方や南アルクにすら行ったことのないリゼットは思った。


 リゼットはキョロキョロと左右を見ながら街を歩いた。無駄にお金を使えないため、ヤニックに関する聞き込みをお店で行うことはできない。物を買わないくせに尋ねに行くのは失礼なことではないかと思ったのだ。


 中央広場までやってきたリゼットは、徐々に違和感を覚えていた。

  いくら地元の人のための街だからといっても、よそ者への緊張感が尋常ではないように感じる。リゼットが歩いているとすれ違うたびに見られるし、中央広場に入ってからは市場に出店している人たちがリゼットを見ながら何かを話しているような気がする。そのくせ、リゼットがそちらを向けばさっと目をそらされる。

 リゼットの服はエリーネが仕立ててくれたものだった。ワンピースはスカート部分が濃い青でウエストより上がクリーム色になっている。その上には丈の短い茶色のベストを。首にはエリーネからもらった集落の伝統装飾具だというペンダント。

 リゼットは首を傾げた。見た目に変なところはないはずなのに。


「すみません、少しだけいいですか?」


 焦ったくなったリゼットはこそこそとしていた人に話しかけた。どうせ誰かにはヤニックについて聞かなくてはならないのだ。


「は、はい。なんでしょうか」


 木箱に座っていた路上理髪店の店番らしき男の人は、リゼットに声をかけられて慌てて立ち上がった。


「この街に住んでいるんですか?」

「え、ええ。生まれも育ちもここでして」


 遠慮がちに右手で頬を掻く。急に何を聞くのか、と言いたげだった。


「それなら、ヤニックさんという人をご存知ないですか?」

「さぁ……。自分は知りません。少しお待ちいただけますか?」


 そう言うと、周りにいた他の店の人やお客さんに聞いてくれた。しかしどうも反応は良くない。


「——すみません。この辺りの人じゃないか、もしくはお貴族様かですね。我々は富裕層の人間をよく知りませんで……」


 ヤニックについてはリゼットも名前しか知らない。身分のある人なのだろうか。エリーネの知り合いには位の高い人もいるだろうが、誰かを頼るときに権力のある人を選ぶかというとそうではないようにも思う。彼女は権利ある者の在るべき姿について散々リゼットに語っていた。


「そうですか……。ありがとうございます。あ、そうだ、もう一つだけ」


 新たなお客さんが来ないのをいいことに、リゼットはもう一つの聞きたかったことを聞いた。


「この街を出てしばらくのところにある川沿いの小さな森の『モルトゥナ協会』の所有地はわかりますか?」

「協会のですか……?」

「立ち入り禁止になっているところがあって、中へ入れなかったんです」


 宗教や教会についておおまかなことは学んでいたが、あの小さな、隠れ里とも言える場所では、この大陸の多くの人が持つ何かに対する信仰心と同じものを持つことができなかった。リゼットの信仰心について何かいうとしたら、それはエリーネに対する尊敬とイコールであるということくらいだ。見えない神より見える魔女、というような具合で。


「ああ、あそこですか。数年前に協会が引き継いだ土地ですよね。立ち入り禁止の理由は我々もよくわかりませんが、あのような場所に立ち入る必要がないので特に気にしていませんでした」

「元の持ち主のこと、わかったりしますか?」


 理髪店の店番は困ったような顔をした。それに見かねたのか、隣の骨董品店の店主が口を挟む。


「あそこはもともと、何年か持ち主不明だったらしいですよ。それ以前は誰かが所有していたはずだが、わかりませんね。何にしても、我々にわかることは限られてますよ、お嬢さん」


 リゼットはお礼を言って彼らと別れた。リゼットと入れ替わるように理髪店に客が一人入った。



 この様子では、街の人に話を聞いてもわかることは少なそうだ。それならば協会へ行くのが早い。リゼットは市場を抜けて、店が並ぶ通りを歩き、街の外れにある一際大きな建物へ向かった。教会は大抵、街の外れにある。大きな理由は広い土地を確保するためだろう。


 装飾のついた建物は、少し離れた場所からでも確認できる。礼拝堂など、日頃から来客のある施設が備わった本堂が手前に置かれ、その裏手に関係者が利用するいくつかの建物があるのが一般的だ。


 教会の門をくぐると、リゼットと同い年くらいの青年が門番として立っていた。門守の青年はリゼットの姿を確認すると軽く会釈した。


 モルトゥナ教の一般職位の総称であるモル――女の場合ではモヌア――は、モルトゥナ教を信仰していれば一部の人を除けば、基本誰でも名乗ることができる。しかし、聖服を着ることができる人は教会に仕えているのみ。つまりは聖服が職業としてのモル、モヌアの証というわけだ。


 礼拝日でなかったこともあり、教会内は聖服を着ている人しかいない。リゼットは少し迷った後、礼拝堂の前を掃除していたモヌアに声をかけた。


「すみません」

「ヨウラントゥイナのお導きに感謝を。――いかが致しましたか?」


 灰色の髪を後頭部でまとめたモヌアは、教会の挨拶と共に綺麗なカト――指を合わせ、目を伏せ、膝を曲げる簡易版の女性礼――をした。


「ええと、お、お導きに感謝を」


 リゼットも慌てて膝を折る。慣れない動作だったが、「奉納の舞」をエリーネから教わった時に培われた体幹は伊達ではない。


「礼拝をご希望ですか?」

「いえ、お尋ねしたいことがありまして」

「助祭におつなぎした方がよろしいでしょうか」


 二番目とはいえ偉い人をすぐに出すなんてここは対応が丁寧だ、とリゼットは思った。しかし、内容を伝えてその上で判断してもらった方がいい。無駄に位のある人と話すより、リゼットの求める答えを持つ適切な人をよこしてもらえた方がありがたいとリゼットは思った。


「内容を聞いて判断していただいてもよいですか? 適当な方にお聞きしたいので」


 モヌアの彼女は控えめに頷いた。


「この街を出てしばらくのところにある川沿いの小さな森に『モルトゥナ教会』の所有地で立ち入りが禁止されている場所があったんです。その中に石造の立派な柱があると思うんですが、わたしはそこに行きたいんです」

「理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「それが、その、わたしもわかっているわけではないといいますか……そこに行けばわかるかもしれないといいますか……」


 これは無理だな、とリゼットは思った。明確な理由も示せない人間を立入禁止区域に入れてくれるわけがない。答えを用意しておけばよかった。


「少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか」


 若いモヌアはそう言うと、礼拝堂の横を通って奥へ行った。


 彼女はすぐにモルを一人連れて戻ってきた。普通、モルは護身用の短剣の所持までしか認められていない。しかし彼は長剣を腰につけていた。


「ヨウラントゥイナのお導きに感謝を。ジェスマン・テファミールと申します。お名前を頂戴しても?」

「リゼット・ハーウェルと申します」

「ハーウェル様は我が教会の管理区に御用事があるということですが――」


 ジェスマンはいかにも好青年というような人だった。オレンジ色の髪と日焼けした肌からは教会のモルというより騎士や軍人の印象を受けるが、物腰は柔らかく瞳が澄んでいる。


「実はあの土地を目指してケムトーの方から来たんです。祖母がそこでヤニックという人を頼れと」


若干ニュアンスは異なるのだが、そこを正確に言う必要はない。


「そうでしたか。長旅でさぞお疲れでしょう」

「お気遣いありがとうございます。――ですが、来てみれば教会が立ち入りを禁じていて。さらに街の人が言うにはヤニックという人物に心当たりはないようで」

「なるほど……。あの土地は四年前にこの教会に管理を依頼された土地です。元の持ち主は教会に管理費と称した大金と土地の権利書を送ってきたのですが無記名だったためどなたからのものかはわかりません」


 街の人が言っていたこととおおよそ同じ内容だ。元の持ち主がヤニックだったということはないのだろうか。情報公開できるところがここまでなのか、それとも単純にそこまでしかわかっていないのか、ジェスマンの説明はそこで途切れた。


「あの、入らせてもらうことはできないのでしょうか。正直なところ、ここまで来るのに手持ちのお金をほとんど使ってしまって、ここで何も得られなかったらものすごく困るんです」


 情に訴えかけよう、という作戦である。それにしても全て事実なのが悲しいところだ。

 ジェスマンは聖服の首元を少し引っ張って直した。リゼットをどうするか悩んでいるらしい。


「どうしてもダメですか?」

「……確認して参ります。ですが、よい返事ができるとは限りません」


 上の人に確認しに行ったのだろうジェスマンはしばらく戻ってこなかった。


「申し訳ありません、立ち入りは許可できないと……」


 ジェスマンがあまりにも申し訳なさそうにするので、リゼットも責められなくなった。


「そうですか……。しかたないですよね、忙しいところをすみませんでした」


 引き下がったリゼットに安心したというのがジェスマンから伝わってくる。


「ナウラスの幸福があらんことを」


 ジェスマンと最初にリゼットの相手をしてくれたモヌアはリゼットが教会の門を出るまでお辞儀をしていた。



 これで手がかりはゼロになった。今はまだお昼だが、このまま夜になってしまえば今夜は野宿かもしれない。安く泊まれる宿があったとしても、手持ちのお金はそれで確実に底をつく。明日からの寝床はないし、昨日から食事をしていない。


 リゼットは頭を抱えるほかなかった。いっそのこと勝手に忍び込んでしまおうか。ばれなければそれでよし。ばれてしまったら教会に拘留されるかもしれないが、そうすればその間の寝床と食事は提供される。


 しかし、偉大なる魔女の弟子としてそんなことをしていいはずがなかった。少なくとも、捕まるという不名誉なことは絶対にだめだ。ばれない保証がない以上、忍び込むのは得策とはいえない。


 リゼットは教会から少し離れたところで教会の屋根をぼうっと見つめた。


「魔女を残す……直感を信じて…………この際恥を捨てて、迷いも捨てて、あと遠慮も捨てよう」


 リゼットは「魔女の箱」を抱える腕に力を込めて自分を奮い立たせた。こんなところで飢え死にするわけにはいかない。



 再び教会へ走り、本堂の横を通り抜け、ジェスマンを探す。中庭に入ると、中庭と裏の建物たちを隔てる高い壁の端に、小さな扉を見つけた。

 扉をノックする。リゼットを見送った後からこの近くにいたままだったのか、ジェスマンが顔を出した。


「またなんかあったのか――っえ、ハーウェル様? 失礼いたしました」


 どうかなさいましたか、というジェスマンの言葉を遮ってリゼットは言った。


「役に立つ見習い魔女です、雇ってください! きっと後悔はさせません!」

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