だって世の中不景気でしょお?
清水すこすこ侍
決意の企画発表
「次の企画では破魔矢くんに人を殺してもらおうと思います」
長机を挟んで素っ頓狂なことを言う女と俺が対峙している。それを少し離れたところからビデオカメラ越しに見つめる女がさらに一人。
「いやです」
当然のごとく即答である。というのもこの女はあまり冗談を言うタイプじゃないからだ。はっきりと意志表明をしておく必要がある。ただし……
「実はね、前週からオンエアしてる、東南アジア密売人密着シリーズだけどもさ、深夜帯放送の番組としては異例の視聴率4%なんだよね」
このように彼女が俺の意志を汲み取ってくれるかは別問題である。やや灰色ががった銀髪、ほら、ちょうど彼女が先ほどから口にしているタバコの灰のような色である。肩に髪がかかって、そこに滝ができるような、そんな感じの長さ。
「村雲くんさ、どんな背景、どんな理由があったとしたって、人を殺す企画なんてさ? 通る道理があるわけないでしょ?」
「いやいや、破魔矢くん。私はそんじょそこらのDとは違う。天下の村雲エメ様だぞ?」
ふふんと、少し得意げな表情をする。彼女こそがこの番組のディレクター、村雲エメである。
「【だって世の中不景気でしょ】は密着ドキュメンタリーの革命児。他の番組がやらないことに挑戦してこそじゃないか」
【だって世の中不景気でしょ】、通称、よふけ。この番組はとあるローカルテレビ局の深夜番組だ。涙あり笑いありの密着ドキュメンタリー、らしい。ただし、泣いている基本的には俺だけだと思われる。視聴者は爆笑しているかもしれないが。
「君はさぁ、この企画が面白いと思っているのかもしれないよ? でも、俺は面白くないね。だって人を殺すという、この企画の趣旨を全うするのは僕なわけでしょ? タレントにそんなことさせるの? 犯罪に手を染めるのは勘弁だねぇ。オンエア後、どんな顔をして学校に通えばいいのさ?」
「大丈夫、大丈夫。今どきの視聴者ってのは賢いからね。ドキュメンタリーと銘打っていても、当然ヤラセだということは分かっているのさ」
灰皿にこつんとタバコを叩きつけて灰を落とした。俺たちのいる会議室は霧がかかったかのように視界が悪かった。
「俺が言ってるのはそういうことじゃないでしょ? 視聴者はそりゃヤラセだと思ってゲラゲラ笑うさ。ただ、当事者たる僕はどうだよ? 実際に人を殺す…… そういうことでしょ?」
「今更、人を一人くらい殺すくらいで大げさだな…… 一介の高校生には到底手に入らない報酬だってある。それに君には借金があるでしょ?」
プルルルル。質素な会議室に鳴り響く着信音。ちょうど村雲が言い終わると同時に、ズボンの右ポケットに振動を感知する。
「はい、破魔矢ですが……」
「破魔矢くん、ちょっとスピーカーオンにして」
「いや、ちょっと……」
「いいから」
止むを得ず携帯のスピーカーをオンにすると……
「おい、テメェ先日約束した50万の振り込みはどうした?」
電話越しからいきなり怒号が響き渡る。毎度のこととはいえ名乗りもせずに。テーブルの向こうでは村雲エメがニコニコと笑っている。こいつムカつく。
「いえ、ちょっと仕事の都合がつかなくて」
「あ、仕事だ? どこの世界に高校生相手に50万支払う仕事があるの? 援助交際でもしてるのか? お前のその面で? そんな天然パーマで?」
「いやーよくわかってるじゃないですか。ええ、一介の高校生に50万請求するのは、いやーキツイでしょ」
「開き直るな。ゴミ。カス。アホ。ボケ。天然パーマ」
「天パを悪口みたいに言うな」
「黙れ、とにかく今月末までに50万用意しろよ。無理なら…… そうだな、お前の人体から取り立てるからな」
「人体?」
「肝臓とかぁ? いずれにせよ、50万も支払ってくれる非合法な仕事なんてないからな。覚悟はしとけよ? 左の肝臓と右の肝臓、どちらとサヨナラするかよく話し合って決めることだ。じゃ」
「ちょっと待って……」
嵐が過ぎ去ったかのように再び会議室に静寂は訪れる。が、静寂を乱すように小さく、クックックックッと声が漏れる。
「やー、破魔矢くんやい、良かったじゃないの」
「何が?」
小さく笑みを浮かべタバコを自分の顔の前で燻らせる。
「一介の高校生にぃ、50万支払ってくれてぇ、ひごーほーな仕事。目の前にあるじゃん」
「性悪女」
「別に男性と結婚する気もお付き合いする気もないのでねぇ」
「バーカ」
瞬間、彼女の指の隙間からスナップを効かせた一投。物理法則を無視するかのように一切の弧線を描くこともなく、俺の頬に着弾したそれは火花をまき散らした。
「あ、お、へ? あああああ、き、君? お前何してんのさ? え、あっつ。うおおおお」
「私は君より年上なんだぞ? 言葉遣いには気をつけようね、4流タレント?」
頬を優しくこすりながら、目の前に置かれた飲料水のペットボトルをそっと押し当てる。視界の端に、ビデオカメラのモニターをじっと覗き込んでいる女性が映った。
「ちょっと、そこのカメラさんー、今の録画してたでしょ。これは重大な証拠動画として、法廷に提出するのでダビングしたテープを後でいただけますか?」
しかし、彼女は微動だにしない。
「ちょっと、あの……」
まるで不動明王のようだ。いや、不動明王とはそういう意味ではないのだが。実のところこの仕事を始めてから彼女とまともに話したことはなく——
「相羽ちゃんはねぇ、人見知りだから。テレビの中の人間が自分に話しかけてくることはないでしょ?」
「うん…… はぁ?」
相羽トゥリ。少したわわな胸が目に付く女性。かなりの美形なんじゃないかと思う。長髪の青髪で顔の半分を隠しているから、その青髪を振り払った際の想像でしかないが。村雲エメがいつもタバコ臭いのとは対照的に、いい匂いを振りまいている。甘いバニラのような香りだ。総評としては、悪い人ではない、という感じ。
「破魔矢くん、相羽ちゃんの胸をじっと見つめてどうしたの?」
「いや、そんなことしてないでしょ」
「まぁ、撮影中の相羽ちゃんは集中しているから気にはしないと思うけど。多分、胸とか触っても気づかないんじゃないかな」
「へーそうなんですねー」
なんのこっちゃ、セクハラディレクター。
「ふむ」
村雲がふと立ち上がって、相羽さんの胸にそっと手を伸ばそうとする。俺はそれを無言で叩き落とした。互いに席に着きなおす。
「ところで、破魔矢くん」
何事もなかったかのように、村雲エメの声色が急に真剣味を帯びる。釣られるようにして自分の表情が強張るのが分かった。
「人を殺してくれるね」
簡潔に一言。たったその一言で、空気が凍り付いて体温が下がる。それは彼女にとって冗談ではないからだ。東南アジアで密売人を負う最中、拳銃で発砲され肩を負傷した。北極圏で動物の密漁者と交渉中に指が凍傷した。その全ての体験が体に刻みこまれている。必死に記憶の端に追いやっているつもりでも、きっかけさえあればすぐに記憶のど真ん中を占領されてしまう。
「分かってるよ、あんたとはそういう約束だ。そういう間柄だから」
「やー、よかったよかった、ふぅ……」
いつもの飄々とした声の調子に戻る。大人はズルいなあ、と。
「それで今回の企画の趣旨なんだけどね。いつもとは打って変わって感動路線というか、視聴者をしんみりさせるような台本を考えています」
「具体的には?」
「そうだねぇ、まずは……」
村雲エメは会議室のドアをじっと見つめる。ドアというよりは、ドアの先の空間を気にしているかのように目をじっと凝らしている。
「星見ちゃーん、ちょっと入ってきてくれるかなー?」
ドアノブがグルリと半回転。室内に充満していたタバコの煙が行き場を求めて扉の外に吸い込まれていく。白煙を切り裂くように現れた人物。身体的な特徴を殊更に語るまでもなく美少女であった。
けほん、とか細い声で咳き込むと、
「星見エトワです。短い期間ですがお世話になります」
両手をお腹の前あたりに重ねて、少女はペコリとお辞儀をする。
「ん、今回殺してもらうのは彼女ね」
殺されるから短い期間ということ、なんだろうか?
「はい、質問です」
芝居がかったように天高く右腕を突き立てる。聞きたいことは山ほどあった。
「どうぞ」
「彼女はその…… どう見ても同い年くらいの女の子なんですが、おいくつなのでしょうか?」
「星見ちゃん」
「秘密です」
「だそうです」
口元にそっと指を当てて星見エトワは言った。外見も相まっていっそうミステリアスというか、不思議な魅力を持つ少女である。肩に少しかかる程度の黒髪の先端がやや朱色がかっている。スレンダーな体形をしていて、大人しそうな印象を覚える。あと、なんていうか…… そう、姿勢が良い。背筋がスラっと伸びていて、骨盤に体重が乗っかているというか。
「あの、ある程度覚悟を決めていたとはいえ、このような…… 少女を手にかけるのは不本意なのですが」
「馬鹿にしないでください。私は立派な大人の女性です」
星見は少しムッとした表情で反論した。多く見積もっても同い年くらいだと思うけれど……
「でも、星見ちゃんは処女だよね?」
馬鹿ディレクターが飄々と言ってのける。親と金曜ロードショーの洋画を見ていて、唐突にエッチなシーンが始まった時みたいな空気になった。
「やっぱり、死ぬ前には一度体験した方がいいのでしょうか?」
村雲の発言に対して、特に臆することもなく問い返すものだから、金曜ロード―ショーのような空気は一瞬にして霧散した。というか、セクハラディレクター村雲、無言のカメラマン相羽さん、今のところ蔑称のない星見、そして俺。会議室にいるこの4人の中で、まともに思春期しているのは俺だけな気がする。だから、変に気恥ずかしさを感じたのは俺だけなのかもしれない。
「まあいいと思うけどね処女でも。処女の私だって立派な大人だしねぇ? ま、いざとなったら、破魔矢くんを誘惑してみるといいよ。そういう機会だってあるかもしれないし?」
「これから殺さなきゃいけない女と、そんな淫らな雰囲気になると思うか?」
「あーそれはねぇ、星見ちゃんが死ぬまでの間は破魔矢くんと一緒に住んでもらうから」
「は?」
「え?」
「なんで星見ちゃんまで驚いているのさ?」
「いや、だって……」
これから死ぬ女。俺に殺される予定の女。星見エトワがこの会議室に現れてから初めて困惑の色を見せたかもしれない。
「あれー、星見ちゃんに言ってなかったけ?」
「き、聞いてないです」
「おっかしーな、相羽ちゃんに頼んだよね確か?」
3人の視線が相羽さんに注がれる。しかし、彼女は一向に答えようとはしない。相変わらず、じっとカメラのモニターを覗き込んでいる。
「いやー俺、相羽さんが収録中話してるの見たことないんですけど。職人気質というか、そういう?」
場の沈黙を嫌って村雲エメに話を振ってみる。
「まあ、相羽ちゃんは収録中はなんていうか…… 破魔矢くんのことを集中して撮りたいというか…… 何にせよ彼女は今少しごまかそうとしているね。私は付き合いが長いから表情を見てれば分かる」
「うーん……」
相羽さんの表情をじっと見つめる。モニタの端と前髪から漏れた表情。頬が少し紅潮しているような気はするけれど、普段じっと見つめたこともないので違いが分からなかった。
「あ、あの」
俺と村雲の間を割って入るように星見が口を開く。
「とにかく、私聞いてないです。こんな…… クルクルパーマの人と一緒に暮らすなんて」
クルクルパーマ? この女大人しそうに見えて言うこと言うね?
「まあまあ、彼はこう見えて意外としっかりしてるよ? 今だって独り暮らしだしねえ」
「なおさら、良くないです。や、ヤリ部屋じゃないですか」
こいつ。
「おい、クソガキ。さっきから聞いてればずいぶんな言いようじゃないか。お前の歳がいくつかは知らないが、この業界では俺が先輩なんだよ。生意気だぞ」
「バーカ」
ぷつん。
「だいたい、どうせ死ぬんだから細かいことはどうでもいいじゃねえか」
気づいた時には、無神経な言葉が口から飛び出していた。室内が静まり返る。
言ってしまったなあ……
少しナーバスになっていたのだ。朝早くから次の収録があるからと、村雲ディレクターから呼び出され、開口一番、人を殺せ、と。いつものように村雲と馬鹿な言い合いをして紛らわしてはいたものの、借金の取り立てに急かされやる気になってはいたものの、ずっと心にわだかまりがあった。
人を殺すということ。
そのことに対する折り合いは付いてなんかちっともいない。だから、ちょっと嫌なことを言われて、普段ならそんなこと軽くあしらう程度のことなのに、彼女を傷つけるようなことを言ってしまった。
「確かにそうですね。どうせ死ぬわけですからね」
しかし、当の星見はというと、やけにあっさりとそう言うのだった。俺を罵倒していた時に少し垣間見せた彼女の表情は、今は月明かりがそっと雲間に隠れるように消えてしまった。
パン、パン、パン。村雲が突然手を叩いた。
「じゃあ、じゃあ、こんなものでいいかな? 会議室の使用許可時間も近いし、この辺でお開きにするよ。細かいことは後日説明するから。あ、破魔矢くんは星見ちゃんと一緒に帰ってね」
「はいはい、分かったよ」
床に投げ出されていたリュックサックを乱暴に広い上げた。会議室のドアの前に立ち尽くす。
「ほら、ついてこい」
「ちょっと待ってください」
星見の準備が整った頃合でふたりで会議室の外に出た。いつもより会議室のドアノブが重く感じたのだった。
だって世の中不景気でしょお? 清水すこすこ侍 @john_sss
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