青春の赤点補習
文化祭――その言葉一つで、人々は楽しさを思い出し、青春の一ページを読み直そうとするだろう。
しかし、それができる人間は果たして多数派だろうか。もちろん、明確な数値を、いち高校生の俺が知る由もない。ただ、この俺という人間の存在こそが、文化祭という行事が万人に幸せを与えてきたものだ、という否定することになるということだけは、まぎれもない事実である。
「早くしないと、間に合わないよ!」
俺の青春への不満のデフレスパイラルをとめるかのごとく、俺の隣にいる少女、
「もう!
俺たちは今、文化祭Tシャツを、クラスの人数ごとに仕分けつ仕事をしている。どうやら、彼女はこの仕事に付き合わされていることが不服らしい。俺に、「いや、もとをただせばあなたの係が、Tシャツデザインの仕上げを後回しにしたのが原因でしょう」と言えるはずもなく、「すみません」と平謝りをかましておく。
ただ、俺のぼそぼそ声では、彼女の耳には届かないらしく。恐らく、声が届いていないだけだ。無視されているはずなどない。多分、恐らく……。
ふと、窓のほうを見ると、そこに太陽の姿はなく、山の上のほうがほんのりとオレンジ色に染まっているだけだ。地球温暖化が進んでいるといっても、五月下旬、しかもこの時間帯ともなれば、肌寒さを感じないこともない。俺h作業する手を止め、近くのパイプ椅子へと掛けておいた学ランをとろうと立ち上がる。
それにしても、この生徒会室はいつ来ても汚い。生徒会執行部などという社畜同然の仕事に志願してしまい、訪れるようになったが、本当にここはいつ来ても汚い。
そんな風に部屋を見渡していると、泉さんと目が合う。すると、彼女はいたずらっぽく笑みを浮かべ、俺へと近づく。
「山上くんってさ、彼女とかいるの?」
この女、どこに目をつけていやがる。こんな根暗で、いかにも陰気くせぇ奴に、彼女なんているわけがないだろう。大体、彼女は先ほど、俺がTシャツ分別の仕事を依頼するときに、話し方を聞いているはずだ。あんなにもコミュニケーション能力ゼロということが透けて見えるやりとりは、なかなかない。それを経験してもなお、俺に彼女がいるかどうか尋ねるのは、一種の嫌がらせともとれる事案だ。
ただ、いくら話の正当性を感じることができなくても、相手から質問されてしまった以上、逃げることはできない。俺はテキトーに返答する。
「いや、いるわけがないでよ」
この返答の短さには、「うるせぇ、話しかけるな」という意味を込めたのだが、彼女には聞かないらしい。
「えぇ! そうなの! 山上くん、そんなに顔悪くないのに。なんで!」
そんなの俺が知りたいよ、と強気に出ることなど、無論できるはずもなく、また短く返答する。
「さぁ、なんでですかね」
一応「なんでですかね」の後には疑問符ではなく、句点をつけたつもりだったのだが、彼女にとってはそんな琴は気に留める必要もないことらしく、「なんでなんだろうね」と話を広げようとする。
「あっ、やっぱり正確に難アリとか?」
人の心には、これ以上触れてはならない、「パンドラの箱」が存在する。それにできるだけ触れないように、相手の心の中を探る。それが人間関係というものだ。それに触れてしまえば、その相手との関係を修復するのは難しい。
だからなのだろう。俺は彼女を拒絶してしまう。
「あんたには関係ねぇだろ」
俺の言葉にならない叫びが、部屋中にこだました。
その後の一時間は最悪だった。
泉さんはすっかり口を閉ざしてしまった。それでも仕事を投げ出さなかったのは、彼女なりの贖罪のつもりなのだろうか。それとも、後味の悪さを感じたくないからだろうか。そんなこと、俺にはわからない。
そう、わからないのだ。人の感情なんて、他人に理解できるものではない。自分ですら、自分のことを理解しがたいのに、それが他人にできるはずないのだ。
だから、俺は他人の心の中に踏み込むことはやめた。俺は他人に踏み込まれることが嫌だった。そんな人間が、逆に人の心を知ろうだなんて、傲慢菜考えだったとわかったから。
そのように、彼女も理解したのかもしれない。俺はそう思った。しかし、やはり人の考えはわからない。
彼女は静寂を壊し、口を開く。
「いやぁ、ごめんね。私、いつも気付かないうちに、人が聞かれて嫌なこと嫌がることを聞いちゃうんだよね」
彼女の表情は、俺の位置から確認できない。しかし、この二人きりの空間で、彼女の声の震えに、気付かないわけがなかった。
「ほんと、この間の会議の時も、委員長に同じようなことしちゃったし」
彼女のいう会議とは、恐らく三日ほど前にあった、文化祭開会式についての会議のことだろう。俺はそのとき、Tシャツを扱う業者との連絡があり、その話は、風のうわさで聞いた程度であったが、彼女と実行委員長との間でも、先ほどと似たような状況に陥ってしまったのだとか。
つい、和泉さんのほうへ視線を向ける。彼女の眼には涙が浮かんでいるようにも見える。
そんな彼女の様子を見たからだろうか。いや、自分の中にあった欲望の存在に、気付いただけなのかも知れない。もっと人と関わりたいという、ロクでもない欲望の存在に。
「……和泉さん」
気が付くと、彼女の名前を呼んでいた。
「俺が言うのもなんですけど、和泉さんの……その……人と関わろうとする気持ちは……素晴らしいと思います」
彼女は俺を、不思議そうな目で見つめている。それもそうだ。先ほどまで、人との会話を拒絶していた人間が、急に真逆のことを言い出したのだ。
「確かに、人の心に踏み込みすぎることは、ひどく醜いことかもしれない」
それでも。
それでもだ。
「それでも、人の心に踏み込まなければ、人との関係なんて作れない。……人との関わりが不要だなんて、言い訳でしかないんだ。……やっと、そう思えたんです」
「……山上くん……」
彼女が俺の名前を呼ぶ。その言葉の中には、俺への期待があるように感じる。
何回でも間違えていい。そのたびに、もう一度問題を確認し、また問い直せばいい。そうすれば、言い訳を作ろうと考えることはないはずだ。彼女にはそれができていたんだ。俺にはできていなかったことを、彼女は成し遂げていた。ただ、その間違えを自覚することができていなかっただけで。
再び、俺は覚悟を口にする。
「……もう、逃げたくないんです」
窓際のアカシックレコード -Another Stories- 橙コート @daidai_coat
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