夢の途中下車
真っ白。暖房が効きすぎている車内。横長のシートに腰をかけると、反対側の窓から、田んぼに敷かれた雪のカーペットが目に入る。
終電ということもあり、俺がいる車両は空っぽで、電車の走行音のみが聞こえてくる。とはいっても、それも厚く丈夫な壁の外の音にすぎず、それが不快感を生むことはない。ほぼ無音といっていいだろう。車内はある種の平穏と静寂に包まれていた。
「今日は楽しかったね」
それらを見事なまでにぶち壊し、俺に共感を求めてくるのは、隣に座っている女、
「そうですね」
とりあえず、それなりの相槌を打つ。しかしその適当さ加減が伝わったのか、彼女はぶつぶつと小声を並べたのち、本日開催された文芸交流会の感想を述べはじめる。
「いやぁ、でも金賞をとっちゃうなんてね。流石だよね、私」
「まぁ、先輩なら取ってもおかしくないと思いますけどね」
「それは誉め言葉かな? うしし」
そう言いながら、彼女は俺の頬をつつく。
この女、うっとうしさ膨大で難アリなのにも関わらず、顔は良い。おまけにスタイルも良い。彼女との関係を持ったことのない人間の中には、彼女を「高嶺の花」と考えている人も多い。何せこの俺も、文芸部に入るまではそう思っていた。
それなのに、思春期真っただ中の後輩への、ボディタッチが多い。「俺のこと好きなのかも⁉」とか妙な期待をしてしまうので、やめていただきたい。
うざったさ世界一のこの女、文芸のセンスは高いらしく、彼女は一年生だったときに、有名な出版社が開催しているコンクールで入賞したとのこと。残念ながら出版には至らなかったものの、良い線までいったっというのは確かなのだから、何もない俺からすると、彼女は尊敬に値する人物なのだ。
「それにしても、もう引退かぁ」
今日の感想は語りつくしたのか、彼女はまたしても俺に話題を振る。
もちろん、話しかけてもらえないよりはいいのだが、俺はコミュニケーションが得意ではない。特に異性とは。さらに彼女には恐らく交際中の相手がいる。以前それとなく聞いた際、うまいこと話を変えよとしてきたのが、何よりの証拠だ。そんなことを気に留めることもなく、彼女は話を続ける。
「この二年間たくさん小説を書いてきたけど、どれも名作だな! 私の作品は! 特にラブコメだよね。
「まぁ、確かにどれも良いのでは。ただ一点を除けば」
「おっ、私の作品にケチをつけるのかね」
「えぇ。学校一の美少女と、冴えない男子の恋愛なんて、ありえないですよ。だいたい、なんで主人公の男は、ヒロインのことを名前で呼んでいるんですか。冴えない奴ってのは、「さん」付けしたとしても、異性を呼ぶのは緊張するのですから。あんな恋愛、現実にはありえないですよ」
「えぇ、そんなことないよ」
その言葉を皮切りに、今度は彼女の恋愛講座が始まった。俺はそれを、がんばって右から左に聞き流そうとする。しかし彼女の声の中には、特殊な音波か何かがあるらしい。彼女の声は、俺の夏の記憶を呼び覚ます。
半年ほど前。夏の大会に向けてハードな練習を強いるラグビー部から逃亡した俺は、そのまま変な女に手を引かれ、気が付くと、文芸部とやらに入部させられていた。その女こそが宇佐見先輩だ。一年生の勧誘の失敗と、三年生の引退によって、彼女は部活ではボッチ状態だった。そして、退屈な時間に嫌気が差し、適当に俺を巻き込んだというわけだ。
ここまで思い出し、俺はある違和感を覚えていた。
さらに、彼女がタイミングよく口を開く。
「さて、ラブコメについてはこの辺にして。他に私が文芸部で二年間書き続けてきた名作たちの中にお気に入りはあるかね? やっぱり引退作かな?」
つい、窓の外に視線を向けてします。
外のは相変わらず、真っ白が続き、降る雪もやみそうにない。
うちの高校では、部活の引退は夏が一般的だ。多少前後することはあっても、流石に二年生のうちに引退というのはおかしい。
俺はその疑問を、軽率に口にしてしまう。
「あれ? 先輩二年生ですよね? 引退はまだ先では」
その言葉を聞いた彼女の表情は、どこか悲しそうに見える。
「いやぁ、バレちゃったかぁ。いくら鈍感な山上でも、これだけ伏線を張れば、流石に気づくか」
彼女の声は、少しばかり震えて聞こえる。
「でも、なんでこんな時期に引退なんですか?」
彼女が話しづらそうにしていることはわかっている。しかし、それでもこれを確かめずにはいられなかった。
彼女はまたも少し間を空け、ゆっくりと口を開く。以前の彼女はもういないのではないか。落ち着いた声は、不意にそんなことを思わせる。
「私のうちね、親がすごく厳しいの。……小学校の頃は自由な時間なんてなかったなぁ。ずーっと習い事ばっかり。そのせいで友達は一人もいなかった。男の子とだって……」
彼女はひと呼吸おいて、言葉を紡ぐ。
「高校に上がってからは、門限とかはなくなったんだけど、それでも受験が近づくと……ちょっとね」
俺は何も言えず、ただ彼女を見つめてしまっている。
「私のお父さん、会社の社長でさ。後を継ぐために、少しでもいい大学に行かないといけない。それが二人の望み。……だからもう、君の傍にはいられない」
彼女の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。そんな彼女と目が合う。すると彼女は小さく微笑む。
「山上! 世界はきっと素晴らしいよ。君は否定するかもしれないけど、私はそう信じたい。絆も、友情も……恋も」
彼女は顔を赤らめる。これは暖房のせいだろう、なんて言い訳はもう通用しない。
「だからね、山上にはもっと世界を見てほしい。そしてこの世界のことを、いつか小説にしてほしい」
なぜ、彼女はそんな顔をするのだろうか。
俺には、彼女の気持ちを信じることができない。彼女には彼氏がいて、彼女にとって俺はただの後輩で、彼女の世界では俺はただのモブキャラで……。そのはずだった。そう思っていたかった。そうすれば、俺は挑む必要がなかったから。
他人の気持ちなんて、いくら考えたもわからない。言葉なんて、偽物でしかない。何をもらっても、心の仲間ではわからない。
そして、俺が損言う人間であると、彼女は知っている。
それでも、彼女は言葉を投げかける。
「私は、一緒に創ってあげられないけど、絶対書いてね。君がこれから見るであろう、世界についての小説を」
無機質なアナウンスが、彼女の家の最寄り駅に、電車が到着いてしまったことを知らせる。
「約束だよっ」
言葉とともに、彼女は銀世界へと消えていく。
彼女は本当に身勝手で、理不尽だ。
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