窓際のアカシックレコード -Another Stories-
橙コート
-Anthology-
夕暮れのモラトリアム
九月の終わりを知らせるように、山頂の空にはオレンジと紫のグラデーションが広がっている。
ゆってりと流れる涼しい風は、俺の手を自販機へと誘い、缶珈琲を買わせようとする。しかし、ここは田舎のDVDレンタルショップ。自販機の一つもないらしい。俺は珈琲を諦め、スマートフォンで時間を確認する。どうやら、もう五時になるらしい。ここに来たのが四時少し過ぎであるから、それからすでに一時間経過していることになる。
まだ何を借りるかは決まっていない。しかし、ここに目的は最初からDVDのレンタルではない。この退屈な休日を少しでも充実なものであったと錯覚ためなのである。ゆえに、借りる作品が決まってなかろうと特に問題はない。
スマートフォンの電源を切り、バッグに詰め込んでいた上着を取り出し、羽織った。ズレた丸眼鏡を直し、帰路へとつく。
それにしても広い駐車場だ。これは持論だが、レンタルショップの駐車場の広さと、その地域の田舎度合いは比例している。つまり俺の住んでいるここは、ずいぶんな田舎であるということになるんだろう。そんな当たり前の事実を思い出し、落胆する。別に自分の住んでいる地域が田舎であろうと、普段であれば何も感じない。しかし、高校三年のしかも夏休み明けともなれば、今後の進路を嫌でも気にしてしまう。これが世界の摂理だ。
勿論、自分の地元が嫌いなわけではない。ただ、一生ここで過ごすということには気が引ける。今の世の中、何かを成し遂げるには「東京」を始めとする、主要都市で生きることが、何かと便利だと感じてしまう。
そんなロクでもない、進路相談ならぬ、進路自問自答を繰り返すことに嫌気の指した俺は、ふと、今歩いた道を振り返る。
まだ歩き始めて三分も経っていない。DVDレンタルショップの看板は、まだしっかりと目視できる。
やっぱり何か借りるべきだったかなと考えていると、それを遮るかのごとく、声が聞こえる。
「
疑問符をつけながらも、俺の苗字を呼ぶ人物の方へと視線を向ける。すると、そこには
「やっぱり!
彼女の甲高い声が、俺の耳を刺す。
彼女と俺の関係はというと、単なる中学の時のクラスメイトだ。当時仲が良かった訳でも、今通っている高校も違う。住んでいる地域が近いわけでもなかった。
それにしてもクラスメイトという言葉は、便利だ。俺と彼女のように、ほとんど接点がなくとも、とりあえず関係性を作り出すことができる。
「どうしてここに?」
彼女が俺に問う。
「ちょっと、DVDでも借りようかなと」
別に俺がどこにいようと勝手だろう、という性格の悪い発言は避け、素直に現状を説明する。
「そうなの! じゃあさっきまでお店にいたんだ! 気付かなかったなぁ」
気付かなかった、ということは、彼女も先ほどまでDVDレンタルショップにいたということであろうか。俺の知人探知センサーが働かなかったということか。いや、一時間くらいいたが、高校生くらいの客は俺以外にいなかったと思ったが。
怪訝そうにしていた俺に気付いたのか、彼女は再び話し出す。
「あっ、でも私レジの仕事だから、何も借りてなかったら気付かないか」
「レジの仕事?」
「そう。私そこでバイトしているんだよね」
違和感があった。
というのも、彼女がアルバイトをしているとのことだ。もう一度言うが、俺と彼女は別に仲が良かったわけではない。ゆえに、俺は彼女の進路先は知らない。しかし、中学の頃は少なくとも俺より勉強ができていたはずだ。俺の通っている学校が、ギリギリ進学校とされるか、されないかくらいの偏差値であるから、彼女はそれより上、つまり、ちょうど進学校とされるくらいの学校に通っているはずだ。そうなると、アルバイト禁止になっていると思うのだが。
「アルバイト、OKなんですか?」
あまりプライベートなことを聞くのもどうかと思ったが、それでも、俺の好感度が下がろうと、今後彼女との接点はほぼないはずだ。問題はない。
「ん? 私ね、東京の大学に通おうと思っているの。でも、そこは私立なの。私、お姉ちゃんも私立だし、さすがにお金がちょっとアレで。担任にそのことを話したら、特別にOKしてもらえたんだよね」
アルバイトをしてまで行きたい大学に感心しながらも、反応に困り、とりあえずテキトーに相槌を打つ。
そんな俺の心情を他所に、彼女は話を続ける。
「私ね、アイドルを目指しているの。色々な人と一緒に頑張って、日本一のアイドルになって、たくさんの人を幸せにしたい!」
なぜ、彼女は俺にそんなことを話すのだろうか。彼女がこれほどまでに自分のことを赤裸々に話す人だったという印象はないのだが。
「和也は、映画監督になる夢、叶いそう?」
不意に飛び出した「映画監督」という言葉に、俺は驚きと、ある種の恐怖を感じた。
「小学校のころから言ってたよね。たくさんの仲間と一緒に、最高の映画を作るって」
彼女は会ってからの笑顔を変えることなく、俺に話を続ける。
今から六年ほど前になるだろうか。確かに、俺の夢は映画監督だった。しかし、そんな夢は夢でしかない。
「でも、やっぱり良いよね。誰かと一緒に夢を叶えようとするって」
彼女の言葉に、輪郭の見えない怒りを感じる。きっと、彼女はまだ子供だったときの、映画監督を目指していたときの俺と、同じ場所にいるのだろう。ずっとずっと前のほうで、立ち止まっているのだろう。何も知らない純粋な世界で。
「……そんな夢なんて、もうないです」
つい、本音が漏れてしまう。満杯のコップから、少しづつ水が溢れるように。
「もうない?」
彼女がゆっくりと俺に問いかける。
「誰かと一緒に何かを成し遂げるなんて、高校生にはできない。小学生、せめて中学生までだ。それからは、人の裏側が見れるようになる……」
声のトーンは、俺の気持ちとともに落ちていく。
俺はいろいろなものを見てきた。そして気付いたのだ。人にはたくさんの顔があり、そしてそれは変化していく、と。そんな当たり前なことに。
中学のころまで仲の良かった奴らも、高校に上がってから仲がいいとは限らない。どんなに優しい言葉をもらっても、それが本音とは限らない。
「人と仲良く、楽しくなんてのは、誰しもの理想だ。でもそれは理想でしかない」
「……私は、それでも信じたいな。優しい世界をね」
彼女の言葉は、俺の言葉よりもずっとずっと先にあるように感じた。
立ち止まっているのは俺のほうではないか、そんな疑念だけが、残った。
空の色は、淡い桃色へと変化していた。
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