4-6 希望の歌声(3/3)

 ウィローは、傷ついた右肩に左手を乗せたまま目を閉じた。しばらくすると、血が止まって傷口がふさがり、右手が動かせるようになる。まだ痛みは残っているが、もたもたしてはいられない。

「上の様子を見てこないと」

 周りに浮かんでいる筏を蹴飛ばしてひっくり返し、上に乗っているオーク達を水に沈めると、ウィローは縁まで泳いでたどり付き、石垣を駆け登って濠の外側に飛び出した。オークが襲ってくるのに備えて、短剣を抜いて構えたが、目の前に広がる光景は想像を絶していた。


 多くの火薬玉を用意して運んで来ていた隊列の中に、松明を持つオークが、体が痺れて倒れこんだのか、次々に火薬玉に火がついて爆発し始めていた。一つ爆発すると、その火が周りの火薬玉に飛び移って次の爆発を引き起こし、瞬く間にオークの陣営は、地平線の先まで炎が広がっていった。あちこちから巨大な炎が噴き上がり、あたりには肉の焼ける悪臭が立ち込めてくる。

 オフィーリアの音曲は大角笛で拡声され、純正律の純粋な倍音のまま田園地帯の上に広がり、遠くまで響いていく。その音が届く限りのオーク達は、体が痺れて身動きが取れないまま、自ら持ち込んだ炎に焼き尽くされていった。

 遠く地平線の彼方で、炎に照らされた巨大な黒い影が空に飛び上がるのが見えた。大きな翼を羽ばたかせ、長い首と尾をくねらせながら、その影は東の方へ飛び去って行く。音曲が届かないほど遠くの明かりは、一斉に遠ざかり始めたので、動けるオーク達は、あわてて撤退し始めたようだった。


 その時、西の丘の向こうから、甲高いラッパの音が鳴り響き、松明を掲げ、巨大な槌を振り回しながら、喚声を上げて押し寄せて来る一軍が見えた。先頭に立っているのは巨大な兜をかぶったフェルセンバントだった。地面に倒れているが炎が届いていないオーク達を、次々に巨大な槌で叩きのめしながら、ドワーフ軍は濠の横のウィローの元までやって来た。

「待たせたな。鉱山に来た連中も、みんな叩きのめして来てやったわ」

「戻って来てくれてありがとう」

「しかし、とんでもなく強力な魔法使いを呼んできたな。この奇妙な歌が聞こえてきたら、急にオークどもが動かなくなったわい」

「これは、自由都市同盟の盃を交わした、人間の代表オフィーリアだよ」

 フェルセンバントは、目を見張った。

「あの小娘が? 魔法使いではなく、人間の?」

「そうだよ。私の専属音曲士のね」

 ウィローは、得意そうに北門の方を見上げたが、大角笛から聞こえてくる声がかすれ始めてきたのに気づくと、顔色を変えた。

「まずい! もう十回以上、この曲を歌い続けてるじゃない。オフィーリアは、一晩に三曲以上歌えないはずなのに。こんなに繰り返していたら喉を壊しちゃう。ごめん。私は門の中に戻らなきゃ」

「おう。後始末は任せよ」


 ウィローは、オークが濠にかけた橋を渡り、北門に向かって走ったが、大角笛の巨大な開口部から聞こえてくる声はどんどんかすれて、かろうじて和音として聞き取れる程度になっていた。

「ダメだよ、オフィーリア。もうやめて!」

 ウィローは、大角笛の前に立ち、門の上に向かって手を振った。楼閣の指揮台から下ろされて来た縄梯子につかまり、勢いをつけて指揮台まで登り切ると、そのまま廊下の突き当たりにある伝令室に向かって走っていく。伝令室の扉の前には、心配そうな顔のオクサリスと、兵士が立ち尽くしていた。

「開けて!」

 兵士は、ウィローの後ろから駆けつけてきた守備隊長がうなずくのを確認してから、伝令室の扉を開けた。部屋の中では、壁に沿って設置されている台の前にオフィーリアが立ち、台の上から伸びている細い金属の管に顔を寄せて、バルブで管を切り替えながら音曲を歌っていた。しかし、すでにその声はかすれ切って、ほとんど聞き取れなくなっている。

 ウィローは、オフィーリアの背中から抱きつくと、無理やり金属の管から引きはがした。

「オフィーリア! もういい! もう歌わなくていいから。全て終わった。もう大丈夫だから!」

「……!」

 後ろから抱きしめられたオフィーリアは、首を曲げて後ろを振り向き、大きな目を見開いた。口元は、ウィロー様と動いているようだが、声は出ない。ウィローは、オフィーリアの体の向きを変え、正面から抱きしめた。

「契約では、一日三曲までってなってたでしょ。なんで、こんなに歌っちゃったのよ。契約違反よ。もう、声が出なくなっちゃってるじゃない。そんなことしちゃダメじゃない」

 ウィローは、オフィーリアの肩と頭を抱きしめながら大声で泣き始め、オフィーリアも、声は出ないまま「ウィロー様」と繰り返している。二人は、抱き合ったまま床に座り込んだ。

 扉から見ていたオクサリスも、血まみれになっているウィローの側に駆け寄って肩に触れた。革の肩当てはざっくりと切れ、血で真っ赤になっているが、その下の肌は、傷跡はあるものの、すっかりふさがっているのを確認すると、すぐ横に座り込んだ。

「ウィロー様、ご無事で良かった……。すごい臭いだから、すぐに温水浴の準備をしないと。それと、この狩衣は、しみ抜きをして洗濯して、切れたところを縫って。ああ、やることがたくさん」

 ウィローは、オフィーリアを抱いていた右手を離すと、オクサリスの頭に乗せた。

「オクサリス、ありがとう。オフィーリアを、ここまで守って来てくれたんだね」

「いえ、私は、ちゃんとお止めしたんですよ! でも、オフィーリア様が勝手に突っ走って来られて。本当に、どうなるものかとヒヤヒヤしましたよ」

 ウィローは、オフィーリアとオクサリスの二人をしっかりと抱き寄せて、頭の上からささやいた。

「ありがとう。もう心配はないから。家に帰ろう」




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