4-6 希望の歌声(2/3)
フスパンネン少将は、港を背に海賊船と向き合った旗艦の甲板に立ち、沖から近づいて来る百艘近い小舟の船団をじっと見つめている。沖合から吹き付ける風に乗って、船団はあっという間に海賊船の後ろに近づいて来た。これだけの数の船で来られては、とても港への侵入は防ぎ切れない。海賊が上陸した時の市民の恐怖と被害を想像すると、自らの非力さに歯噛みする思いだった。
一番端の海賊船の片側に十艘近くの小舟が集まると、なぜか海賊船は急激に向きを変え、やがて大きく傾き始めた。垂直になった甲板からは、海賊達がばらばらと海に落ちていく様子が見える。横に並ぶ海賊船にも次々と小舟が群がり、たちまち取りつかれたように大きな帆柱を傾けて沈み始める様子は、まるで蟻の大群に襲われて悶え苦しむミミズのようだった。
「……あ、あれは一体、何が起こっているのでしょうか?」
予想外の展開に、理解が追いつかなくなった士官の問いに、フスパンネン少将は戸惑いながら答えた。
「わからない。ただ、あの船団は敵の敵ということか」
旗艦の目の前にいる海賊船は、状況がおかしいことに気づいたのか、脱出しようと懸命に後退方向に漕ぎ始めた。しかし、その左側面に、まず二隻の小舟が漁網を張り渡しながら近づき、並んで突き出されている数十本の櫂に漁網をかぶせていく。
片側の櫂が動かなくなり、急激に船の進路が曲り始めると、間を空けず反対の右側面に十艘以上の小舟が集まってきて、大きなモリを次々に投げ込んでいく。無数のモリが側面に突き刺さると、太い綱でモリに結びつけた岩をいくつも海中に投げ込み始めたので、海賊船は、片側だけ水中に引っ張られて、たちまち横転してしまった。甲板から投げ出された海賊達は、新たに広げた漁網の中に巻き取られてしまい、身動きが取れなくなっている。
「フスパンネン少将……。あ、あれは漁師、ですか?」
「あれは、河の民だ! 先頭にいる大きな船は見覚えがある。この前、オフィーリア殿を乗せて港に突っ込んできた、グートルーエン船長の河船だ」
フスパンネン少将は、声を張り上げた。
「この機会を逃すな! 河の民が沈めた残りの海賊船を囲んで、一気に制圧しろ。海に落ちた海賊どもは、全員縛りあげて拿捕するんだ!」
「了解!」
松明を掲げた海軍の軍艦は、河船が沈めた残りの海賊船を一斉に囲み、次々に乗り込んで制圧していった。
***
濠の水面に浮かんでいるウィローは、目の前を囲んで迫ってくるオーク達を撥ねのけるのに精一杯で、投石器を破壊できないことに焦っていた。濠の上から、真っ暗な空を切り裂くように、幾つもの火薬玉の炎が門の方に飛んでいくのが見える。
「くそー! こいつら邪魔くさいんだよ! 早く投石器を叩かないと、北門に火がついちゃう」
大きく波を起こして、周りのオークを振り払おうとした時、右肩にずしりとした衝撃を感じた。振り返ると、真後ろに来たオークの振り下ろした三日月刀が、水の壁を越えて肩にざっくりと当たっている。
「どけー! メジケ・アクア・サジッタ!」
再び刀を振り上げたオークは、水の針に貫かれて後ろに倒れていったが、ウィローの肩からは、どくどくと赤い血が流れ出した。
「これはやばいかも」
水の防壁が無くなったのを見て、正面と左右から、一斉に三日月刀を振り上げたオークが筏に乗って迫って来た。水の技を出そうとするが、右肩の傷を左手でおさえながら、いくら力を入れても、右手は上がらない。真っ暗で色は見えないが、だらんと下がった腕から流れた血が水面に広がっているのがわかる。
「くっそー。これでおしまいか。最期にもう一度、オフィーリアの歌を聴きたかったなあ」
「
「ああ。死ぬ直前になると、生涯の思い出が蘇ってくるって言うけど、本当だったんだな。オフィーリアの精霊への祈りの言葉が聞こえる」
ウィローは、頭を下げて目をつぶった。寝室で、オフィーリアの歌を聴きながら眠りについた幸せな時を思い出し、死を目前にして、不思議と心の中は平静だった。
「
「これは、ピクニックに行った時に歌ってもらった『
「フグワァー! フグワァー! フグワァー!」
ウィローの周りでは、不気味なオークの叫び声が響いていたが、いつまでたっても三日月刀は振り下ろされて来なかった。不思議に思い、目を開けて顔を上げると、周りを取り囲んでいたオーク達は、みな刀を取り落とし、筏の上に膝をついてうずくまっているか、濠の水に落ちて溺れている。
「……あれ? だんだん気持ち良くなって来たんだけど……。もしかしてこの声、本当に聞こえてる?」
濠の上を見上げると、弓や松明を捨て、崖っぷちにうずくまっているオーク達の上から、大音量のオフィーリアの声が響き渡っているのが聞こえてきた。
「まさか、大角笛から歌ってる? オフィーリア、あなたって人は……」
ほっとして気が緩んだ途端、肩に激痛が走る。
「いたっ、痛たたたたた。うぐううう」
右肩の傷に左手を置いて、ウィローは背中を丸めながらうめいた。
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