4-5 新たな敵(2/3)

 日が暮れて薄暗くなってきた、海軍本部の取調室の長椅子に座り、ウィローの安否を気遣って悶々としていたオフィーリアは、扉を激しく叩く音に、顔を上げた。

「オフィーリア殿! 入ります」

「は、はい……」

 部屋に入って来たのは、さっき取り調べをしていた士官だった。

「オフィーリア殿。港湾地区の市民に避難命令が出ました。丘の上に避難して下さい」

「え、出てもいいのですか?」

「オフィーリア殿は、ウィロー閣下の元にお住まいとわかっていますから。後日改めて出頭いただきますので、今はすぐに避難して下さい」

「は、はい」

 促されるまま部屋を出て、建物の一階に下りると、オクサリスが出口の階段に座り込んでいるのが見えた。

「オクサリス! 帰ったんじゃなかったの?」

「オフィーリア様! お待ちしていました!」

 オクサリスは、オフィーリアに駆け寄るとひしと抱きついた。

「よかった、よかった。無事に解放されてよかった。このまま牢屋に入れられて、出てこられなくなったらどうしようかと思っていました」

 横について来た士官は、表情を変えずに促した。

「敵船が港の近くまで迫っています。急いで丘の上に避難して下さい」

「はい」

 

 海軍本部の建物を離れて、市民市場が見えるあたりに出ると、街路は避難する人々でごった返していた。皆、大きな荷物を持ってひしめき合っているが、右往左往するばかりで、中々思う方向には進めない。そもそも、どこに向かって避難すれば良いのか、はっきりわかっていない人も多いようだった。

 広場の前では、「歌姫のいる店」の主人が台の上に立ち、大声を出していた。

「前の人を押さないように! 順番に西の丘に向かって、まっすぐ歩いて! 北門の方に行っちゃダメだぞ。子供の手は離すなよ!」

 西の丘につながる大通りでは、宿屋ギルドの仲間らしい女将さんや旦那達が道の脇に台を並ベて上に立ち、同じように群衆に声をかけている。指示された群衆は、西の丘を目指して静かに歩き始めたが、東に向かって進みたいオフィーリアとオクサリスは、流れに逆行することになってしまった。

「西の丘の方が、上に登ったところが広いですからね。東の丘に来ても、うちの館の庭くらいしか、人が集まれる場所はないですし」

 オクサリスが、人混みを掻き分けながらオフィーリアに話しかけるが、オフィーリアも人混みを通るのに精一杯で、返事ができない。


 ようやく群衆を抜けて、北門につながる大通りに出たところで、オフィーリアが左に曲がったのを見てオクサリスが呼びかけた。

「オフィーリア様。そちらは方向が違いますよ。家に帰るのはまっすぐです。水の桃源郷に行ってたら、道を忘れちゃったんですか?」

「ううん。こっちでいいの」

 オフィーリアは微笑んだ。

「館には帰らない。北門のウィロー様のところに行くから」

「ちょっと! ダメですよ! 北門はオークが攻めて来ているって言ってたじゃないですか。危な過ぎます」

 慌ててオフィーリアの前に立ちはだかったオクサリスを、そっと抱き寄せた。

「オクサリスは、館に帰ってて。私一人で、ウィロー様の所へ行くから」

「そんなことしたら、私がウィロー様に怒られます」

「私は、死ぬまでウィロー様とご一緒すると決めたんです。そのために、水の桃源郷からエステュワリエンまでやって来ました。今、ウィロー様が危険なところで戦っているのなら、そのお側にいなければ帰って来た意味がありません」

「でも」

「それに、港から海賊が上陸してくるかもしれないのなら、丘の上に避難しても安全とは言えないですよね。かえって頑丈な門の中にいた方が、安全かもしれませんよ」

 オクサリスは、少しの間黙ってから、ふうっとため息をついた。

「わかりました。私も一緒に行きます。もう、ウィロー様になんて言われても知りませんよ」

「無理に来なくてもいいのよ」

「オフィーリア様を一人で行かせたりしたら、それこそ、ウィロー様にひどい目にあわされます。貯蔵庫から出て街に来たってだけでも、きっとめちゃくちゃ怒られるのに。冗談じゃないですよ」

「じゃ、急ぎましょう」

 暗くなってきた大通りを、北門に向かって走り始めたオフィーリアの後を、オクサリスは、ぶつぶつ言いながら追いかけた。


 北門のずっと手前で、兵士が大通りに柵を並べて通行を規制し、一般の人は近づけなくなっていた。オフィーリアは、ウィローからもらった軍の徽章を出して、道を塞いでいる兵士に見せながら声をかけた。

「あの、通していただけませんか……?」

「北門は、交戦状態になっています。非武装のまま近づくのは危険です」

 通りの先に見える門からは、恐ろしげな喚声と、重い物がぶつかるような低くて鈍い音が響いて来ている。

「でも、ウィロー様にお会いしないといけないので」

「……ウィロー閣下の配下ですか?」

 オクサリスが、重々しい声で口をはさんだ。

「オフィーリア殿は、ウィロー閣下の副官であるぞ。水の桃源郷からのエルフの緊急の伝令をお伝えしなければならないので、通していただきたい」

「わかりました。どうぞお通り下さい」

 通行を規制している柵をずらしてくれた兵士の横を、早足で通り抜け、十分距離を取ってから、オフィーリアは肩をいからせて先を歩くオクサリスの後ろ姿に声をかけた。

「ねえ。どうしてみんな、ウィロー様の名前を使って大袈裟なハッタリをかけるの? グートルーエン船長もそうだったし」

 オクサリスは得意そうな顔で振り向いた。

「そりゃ、ウィロー様の名前を出せばどんな相手だって、ははぁって畏まってくれるじゃないですか」

「なんか、ウィロー様を勝手に利用しているみたいで、嫌です」

 オフィーリアは口をへの字に結んで、オクサリスの横に並んだ。

「でも、そのおかげでこうして北門まで来られたんですから。ウィロー様のためになるなら、利用できるものは何でも利用しないと」

「そう……かもね」

 オフィーリアは、複雑な表情のまま、北門の前で立ち止まった。


 門の向こうからは、ドーンと腹に響くような大きくて低い音が聞こえ、門扉も大きく振動している。月明かりが差す扉の内側には、一抱えはありそうな太いかんぬきが二本、横に通してあり、さらにその後ろに土嚢が積み上げてあるので、外から何かをぶつけて来ても、そう簡単には開かないように見える。だが、扉のすぐ向こう側に恐ろしいオーク達がいるかと思うと、オフィーリアは胃袋をぎゅっと掴まれたような恐怖を覚えた。

 北門の楼閣に上がるための入口は、普段は自由に出入りできるのだが、今は兵士が警備していて不用意に入ることはできないようだった。今度は、オクサリスが先に近づいて、兵士に声をかけた。

「あー、ウィロー閣下の副官、オフィーリア殿が到着した。ウィロー閣下のところに行くので通してもらいたい」

 兵士は、オフィーリアが目の前に持ち上げている徽章を見ると、後ろを振り向いて中にいた別の兵士に声をかけ、またオクサリスに向き合った。

「ウィロー閣下は、目下戦闘中で……」

 そう言いかけた時に、轟音と共に、炎をなびかせ真っ赤に燃えている物が門の上を飛び越えて来て、道路に叩きつけられた。人の背の半分ほどの大きさの丸い玉で、地面に落ちると燃えたままゴロゴロと転がっていく。

「あっ! あれ、火薬玉だ。危ない! 爆発する!」

 オクサリスは大声で叫ぶと、オフィーリアの手を引っ張って兵士の横から楼閣の入口に駆け込んだ。それと同時に、燃えていた玉はボンッと大きな音を上げ、四方に炎を撒き散らしながら破裂した。側に建つ建物に飛び散った火は、レンガの壁を焦がし、路上に散らばった破片はあちこちで燃え続けている。

「館が燃えちゃったの、あれがボンボン飛んで来たからなんです」

 さっきまでの勢いはどこかに消えて、オクサリスはオフィーリアの腕にしがみついて震えながら、小声でささやいた。

 近くの建物から兵士がバラバラと飛び出して来て、消火用の水槽から大きな樽で汲み出した水をかけて、道路や周辺の建物の火を消し始める。楼閣の入口にいた兵士たちも、消火を手伝うために道路に出て行ったので、階段の下にいるのはオフィーリアとオクサリスだけになった。

「オクサリス。今のうちに行きましょう」

「えっ? ちょっと、まだ許可もらっていないですよ?」

 それには答えず、オフィーリアは楼閣の中の階段を駆け上り始めた。





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