4-1 立ち上がる人々(2/2)

 食事を終えて着替えると、オフィーリアとウィローは街に向けて出発した。坂道を下りながら、ウィローは憮然とした顔で話し始めた。

「昨日、市長のところに行ったら、とんでもないことがわかってさ」

「何ですか?」

「商業ギルドの統領のゼルファが、エステュワリエンから逃げ出したって」

「え?」

 オフィーリアも、市の有力者だという名前は聞いていた。水の桃源郷に出発する前にウィローがぼやいていた話だと、高い給金で傭兵を雇っているから大丈夫と言っていたはず。その人が逃げ出すとは?


「自分の持ってる船で避難するのは自由なんだけどさ、傭兵を雇っていた金は、半分は自分が出していたからって、かなりの人数の精鋭を連れて行っちゃったらしいんだよね」

「えっ?! 大丈夫なんですか?」

「人間の兵隊だけだと、門の守りが足りなくなるかもしれない」

「そんな……」

 深刻な話のはずなのに、ウィローの表情はなぜかそれほど深刻ではない。

「元々、お金で雇っているだけの傭兵は、本当に危なくなった時には当てにならないと思ってたからね。それにハルスケッテが言うには、ドワーフの協力が得られそうなんだ。エステュワリエンが無事でないと、彼らも困るからね」

「それで話をしに行くんですか?」

「そう」


 長い坂道を下り切って市街に入ると、昨夜は暗くてよく見えていなかったが、市民市場だった広場は様変わりしていた。色とりどりの布製の屋根を張って、台の上に野菜や果物を山盛りにした店が整然と並んでいた場所には、大きな荷物を抱え、着のみ着のまま避難してきたような大勢の人が、地面に敷いた布の上に座り込んでいた。

「この人達は?」

「門の外の田園地帯に住んでいた人たちが避難してきてるの。とりあえずここに集まってもらって、屋根の下で寝られる場所が準備できたら、順番に移動してもらってるんだけど、何しろ人数が多いから、なかなかさばけなくて」

 広場の真ん中あたりに、でっぷりと太って髭を生やした見覚えのある男が、大きなテーブルに座って周りの男たちに指示を出しているのが見えた。『歌姫のいる店』の主人だ。主人は、こちらに気がつくと手を上げた。

「おう、ウィローじゃねえか」

「やあ、順調に進んでる?」

「いやあ、かなり遠くの村にも、ここに来れば安全だって噂が広まっているらしくて、後から後からやってくるのが途切れなくて大変だよ。ギルドに加盟している宿屋の部屋は、みんな満杯になってて、今は空いている倉庫に仕切りを作って、入ってもらってる」

 主人は、広場にいる人たちをあごで示した。

「それでも、こんなに順番待ちが溜まっちまってて、いつになったら終わるか見当もつかん」

「うーん。避難して来た人達を追い返して、オークがうろついているところに置き去りにするわけにもいかないからね」

「ああ。とは言え、ギルドで持ってる食料の備蓄もだいぶ減ってきたし、この先いつまでも持たねえぞ」

 主人は、オフィーリアの顔をまじまじと見ていたが、急に驚いて大声を出した。

「お前さん、あの時の歌手か?」

「あ、はい。えっと、あの時は、本当にありがとうございました」

 オフィーリアは、あわてて頭を下げた。お腹が空いて倒れそうだったところを、雇ってくれた上に、パンも分けてくれた恩人だ。

「いやあ、すっかり見違えるような美人になってて、びっくりだな。あん時は、髪の毛はボサボサだったし、ガリガリに頬がこけて、真っ黒に煤けた顔してたけどな。エルフと一緒に暮らしてるからか?」

「あ、あの時は、確かにひどかったかもしれません……。今でもぜんぜん美人じゃないですけど……」

 自分では意識していなかったが、ろくに顔も洗えない長旅の後で、ここに着いたばかりだったから、会った時は相当汚かっただろう。今思えばよく雇ってくれたものだと、オフィーリアは恥ずかしくなってきた。

「あの、避難して来た人達のお世話をしているのですか?」

「ああ。最初は、門の外から逃げて来た顔馴染みを、ギルドに入ってる宿屋に斡旋する窓口のつもりで始めたんだけどな。どんどん逃げて来る連中が増えてきて、いつの間にか避難民の登録窓口みてえになっちまった。市から給料もらわねえと割が合わん」

「後で、ボルゲリング市長に言っておくよ」

 ウィローが笑いながら言うと、主人も、にっと笑って親指を立てた。

「じゃ、人に会う約束があるから」

「おう。またな」


 主人の元を離れて歩き始めると、ウィローはしみじみと言った。

「結局、頼りになるのは、あんな風に自分から動き始める人達なんだよね。あそこで住む所を斡旋した避難民の中から、今度は自分が役に立ちたいと言って、後から来る避難民の誘導をしてくれる人とか、大工の技術があるからと、傷ついた門の補修を手伝ってくれる人とか出てきてるんだ」

「そうなんですね」

 広場を出て港の横にさしかかると、何艘もの大きな貿易船が、船の修理をする船渠ドックに入っているのが見えた。大勢の船大工が台に乗って、船の側面に何か大きな板を取り付けているようだった。

「あれは、何をしているのですか?」

「普通の貿易船の周りに、エルフ銀とクロムの合金で作った盾を付けてるんだ。薄くて軽いけど、とっても硬いから、矢が飛んできても刺さらないし、火薬玉が破裂しても火がつかないようになる。盾の隙間から矢を射返せば、即席の軍艦になるってわけ」

「すごいですね」

「盾を作っているのはドワーフの職人達で、取り付けは、大工の棟梁が声をかけて集まった市民がやってるんだよ」

「自分から動き始める人達、ですか」

「そう」

 ウィローは、にこっと微笑んだ。

「ああいう人達がいるから、エステュワリエンはまだ大丈夫」


――――――――――――

【第4章を開始するにあたって】

 ここからストーリーは、エステュワリエンに攻めて来るオークと、ウィローが先頭に立つ市民との戦争に入ります。具体的な残酷描写は、極力避けてありますが、暴力的な表現も一部にありますので、苦手な方はご注意下さい。




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