3-5 真夜中の航行(2/3)


 オフィーリアを乗せてシュトルームプラーツを出たグートルーエンの河船は、快調に大河を下って行った。上りで乗ってきたカルムテルグの船より一回り小さい船だが、ずっと速度が出るようだった。帆柱は二本で、船室は一つしかなく、甲板で二名の水夫に指示を出しながら舵をとる船長の様子が、船室の中にいるオフィーリアからも見えた。


「ウィローは、本当に、まだエステュワリエンにいるのか?」

 舵をとりながら、グートルーエンが聞いてきた。

「はい、います」

「とっくに逃げちまってるなんてことはねえんだろな」

 オフィーリアは、強い口調で言い返す。

「そんなことはありません! 手紙が来ましたから」

「手紙? 戦争が始まってから河船もろくに出てねえのに、誰がそんなもん運んで来てんだ?」

「鷹を飛ばして手紙を送って来たんです」

「鷹? なんだそりゃ?」

 オフィーリアは、伝言鷹の仕組みを説明したが、グートルーエンにはよく飲み込めないようだった。

「手紙を運ぶ鷹なんぞ、この目で見てみなきゃ信じられねえな」

「ウィロー様の館に来れば見られます。エステュワリエンに着いたら、ウィロー様に頼んで見せてもらうといいです」

「エルフの館ねえ……。ちょっとおっかねえな」

 グートルーエンは舵を回しながら首をすくめた。


 大河を下り始めて三日目の夕方、グートルーエンはオフィーリアに声をかけた。

「おい。ナベヘレイヘが見えてきたぞ。あそこに、お前さんが乗り損ったカルムテルグもいるはずだ」

 大河の右岸に、東門の外の河の民の村で見たような桟橋があり、沢山の船が河岸に並んでいるのが見えてきた。

「エステュワリエンの河の民の村にいた人達は、皆あそこにいるのですか?」

「大体は、ここに避難してきたな。俺も、シュトルームプラーツとここを行ったり来たりしてる。ナベヘレイヘは、エステュワリエンほどじゃねえが、旨い酒や食い物もふんだんにあるし、お楽しみもあるからよ」

 グートルーエンはニヤニヤしながら続けた。

「お前さんを無事にエステュワリエンまで届けて、残金を受け取ったら、しばらくナベヘレイヘで遊んでることにするさ」


 しばらくして、すっかり日が落ちてあたりが暗くなってきた頃、グートルーエンは水夫に指示して、全ての帆をたたませた。勢いは落ちたが、船は北からの追い風と大河の流れに乗り、グートルーエンの巧みな舵さばきで、大河の真ん中を進み続けた。

「なぜ、帆を降ろしたのですか?」

「そろそろエステュワリエンの丘が見えてくるからよ。この辺りから、オークがいそうだから見つかんねえようにな。今日は新月だから真っ暗闇になるはずだが、やっぱり真っ白な帆を広げてたら目立つ。ほら、オーステ・リジク王国側の岸にも、灯が見えるだろ。きっとオークどもが野営してんだろう」

 グートルーエンの言う通り、遠く大河の対岸には、煌々と灯りが見えていた。その一つ一つの周りに、あの恐ろしいオークが大勢集まっているかと思うと、オフィーリアは生きた心地がしなかった。

 やがて月のない夜空は、びっしりと星々に埋め尽くされたが、水面は漆黒の闇に溶け込んで、何も見えなかった。船の灯りも全て消しているので、手元も見えない。

「何も見えないのに、よく航路がわかりますね」

「ああ。大河のことなら、どこに浅瀬や岩があって、どこに渦やとろがあるのか、全部体で覚えてんだ。そろそろ、河の民の村だったところの横を通る」

 グートルーエンの言葉に、オフィーリアは右手のエステュワリエン側に目を向けたが、真っ暗で何も見えなかった。ウィローの館があるはずの丘も、河岸も、吸い込まれるような闇があるだけだった。

「村には、誰もいないのですね」

「ああ。最初にオークに襲われた時に全部焼けちまって、今は、なんも残ってねえ」

 しばらく進むと、エステュワリエン側の丘の中腹と思われる辺りに、いくつも灯りがついているのが見えた。

「あれは?」

「東門だな。門を守ってる衛兵が、近づいてくる敵が見えるように、松明たいまつを点けてんだろう」

 ようやくエステュワリエンの姿が見えて、オフィーリアは思わず涙ぐんだ。ウィロー様、もう少しです。もうすぐ、お会いできます。


 東門の横を通り過ぎたところで、急に船が大きく揺れた。船首がぐっと持ち上がり、何かを乗り越えるように、また下がる。

「河口を出て、外海に出たな。よーし帆を上げろ」

 二人の水夫が、帆柱の綱を引いて帆を全開にした。星明かりの中、大きな三角形の帆の影が二本立ち上がる。

面舵おもかじ半分! 帆を縦にそろえろ! 岬に向かって回り込むぞ」

 グートルーエンの指示で水夫が動き、船はぐっと向きを変え始めた。すると、それまで前から乗り越えるようにうねっていたのが、いきなり船が真横に傾き、オフィーリアは船室の中で転がってしまった。

「きゃあ! いたたた」

 船が転覆する?

 オフィーリアは、必死に船室の壁につかまった。


「おい、大丈夫か? しっかりつかまってろ」

 グートルーエンが、甲板から大声で呼びかけた。

「は、はい」

 オフィーリアは、振り飛ばされないように無我夢中で壁につかまろうとするが、しっかりした取手があるわけでもないので、簡単に転がされてしまう。横から波がかかって来るので、船室の窓もびしょ濡れになっている。


「横から波を受けると、船がひっくり返っちまうな。おい! かじに戻すぞ、帆は少し横に張れ」

 船の向きが変わり、また前からうねりを乗り越えるようになった。

「おい、怪我しなかったか?」

「わ、私は大丈夫ですが、船は大丈夫ですか?」

「ああ。海に出たのは初めてだから、ちょっと勝手がわからなかったが、もう大丈夫だ」

 そうか。外洋港に入れないということは、そもそも海に出たことがないのか。三十年の経験があると言っても、それは大河の中でのこと。いまさらながら気がついたオフィーリアは、急に不安になった。無事に港までたどりつけるのかな?

「うねりを横からくらわないように、まっすぐ進む。で、港のあかりが見えたら向きを変えて、真後ろから波を背負うように行けば問題ねえ」

 グートルーエンは自信満々だった。


 大きな崖が立ち上がる岬の沖を進むと、遠くに、沢山の光が集まっている場所が見えてきた。

「おお。エステュワリエンの港が見えてきたぞ! 面舵一杯。向かい風だ。帆は縦ぎりぎりで風を取れ!」

 船は急激に向きを変え、後ろからのうねりに押されるように港の明かり目指してまっすぐに走り始めた。オフィーリアは、転ぶことはなくなったものの、だんだん気持ち悪くなってきて、吐き気を抑えるのに必死だった。

 やがて、突き出た岬の横を通り過ぎたとたん、急にうねりが小さくなる。

「岬のこっち側は、外海の波が入ってこねえんだな。だから、あんなでかい港を作って、貿易船がどんどん入ってくるわけだ」

「……す、すぐに着きそうですか?」

「ああ。港の周りにオークの船なんかがいなければ、あっという間に着くだろ」

 早く着いて。オフィーリアは、額にびっしょり汗をかき、吐き気をこらえながら祈っていた。


 港を目指して進んでいると、ぐんぐん灯が大きくなってくる。しかし、街の灯に比べると、明らかに大きすぎる灯が迫ってきた。

「おや? なんかおかしいぞ。ありゃなんだ?」

 その灯は、近づいてくるにつれいくつかに分かれ、二艘の大きな船の形を取った。船首と左舷、右舷の見上げるような高さの甲板に、煌々と燃え盛る大きな松明を掲げ、帆柱には、オフィーリアの首飾りと同じ、二つの丘と帆船をあしらった意匠の旗が掲げられている。

「やばい! エステュワリエン海軍の軍艦だ!」

「!」

 グートルーエンは舵を握ったまま、額の汗をぬぐった。

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