3章 別離と再会

3-1 越えられない壁(1/2)

 窓にかかるカーテンを開けると、湖の向こうの森の上に昇る朝日の光が、部屋の中に射し込んでくる。そろそろ、朝食の準備ができたと声がかかる時間。オフィーリアは、エステュワリエンから持ってきた中では、比較的ちゃんとした服に着替えると、ベッドの上に腰掛けて待った。

 ウィローが替えさせたお客様用の寝室は、最初の使用人部屋とは比べ物にならない広さで、調度品も整っていた。何より大きな窓があって、二階の高さから湖の絶景が見おろせる。ウィローの寝室は、もう一つ上の三階にあり、この部屋に比べるとやや質素な内装で作られていた。部屋に入るのは夜寝る前だけなので、窓の外の眺めは見ていないが、きっと素晴らしいのだろう。

 ウィローの寝室で毎晩一曲ずつ歌い、ウィローが眠りにつくと自分の部屋に戻る習慣は、契約通りずっと続けていた。食事は、相変わらず他の使用人と同じく台所のテーブルで取っているが、毎晩、必ず顔を合わせることができるので、寂しくはなかった。

 この二ヶ月、ウィローといる限り恐ろしい思いをすることはなく、安心して音曲を歌うことができた。生活も安定しているし、何より一緒にいて楽しい。残り一ヶ月の契約となっているが、延長してもいいし、許されるなら、ずっとウィローに仕えていくのもいいかもしれない。オフィーリアはそんなふうに思うようになっていた。


「オフィーリア様、朝食の支度ができました」

「はい」

 召使のヘンビットの声が廊下から聞こえたので、オフィーリアは、すぐに扉を開けて廊下に出る。

「オフィーリア様。アーシュ様からのお言付ことづけがございます」

「はい。なんでしょう?」

 館主で、ウィローの祖父にあたるアーシュとは、正典礼が終わってからゆっくり話をする機会はなかった。

「朝食の後、お話したいことがあるそうです。執務室においでいただけますでしょうか」

「あ、あの、執務室とはどちらにあるのでしょうか?」

「お食事の後、お連れいたします」

 ヘンビットは、いつもの台所の前に着くと、表情を変えずに一礼する。

 アーシュ様から直々に呼び出しとは、なんの用だろう? ウィローも一緒に呼ばれているのだろうか。オフィーリアは、落ち着かない思いをいだきながら台所に入って行った。


 朝食の後、ヘンビットに連れられて行ったアーシュの執務室は、館の最上階にあった。湖とは反対の、街を見下ろす側に窓があり、正面には青い山並みが広がっている。


「失礼いたします。オフィーリアが参りました」

 伝統エルフ語では、こんな時にどう挨拶したら良いのかわからないので、知っている限り一番丁寧な言い方をしながら部屋に入ると、大きな机の前に座っていたアーシュが立ち上がり、にこやかにオフィーリアを迎えた。

「朝早くからお呼びだてして申し訳ない。そちらに座られよ」

「はい」

 装飾は簡素だが、しっかりした造りで高さの低いテーブルと椅子を勧められ、オフィーリアが遠慮がちに座ると、向かいの席にアーシュも腰を下ろした。

「この館に来て、そろそろ半月になるかの。何か不便をしていることはないか?」

「いえ。皆様にはとてもよくしていただいて、何も問題はございません」

 実際、寝室は毎日召使たちが掃除してくれるし、シーツや着替えの洗濯もしてもらえる。毎度の食事も美味しく、オフィーリアには、何一つ不自由なことはなかった。

「それはよかった。舌に合わぬ食事などあれば、遠慮なく申すが良いぞ」

 アーシュは、膝の上に乗せた両手の指を組んで微笑んでいる。


「ところで、ウィローの音曲の勤めは、毎日しておるそうじゃの」

「はい。契約で、毎晩寝る前に一曲歌うことになっております」

 歌うたびに、毎晩あんな状態になることは、きっとお祖父様には言わない方がいいかな。昨日など、寄り添うだけでなく、抱きつかれてしまったし。思い出しながら、オフィーリアは頬を赤らめた。

「ふむ。毎晩か。それは、あまり好ましいことではない」

 え?

 アーシュの意外な言葉に、オフィーリアは聞き間違いではないかと首をかしげた。音曲の伝統を引き継いでいることを、あんなに喜んでいたのに?


「ウィローは、初めて専属音曲士を雇ったので加減がわからないのだろう。のめり込みすぎているようじゃ。音曲は素晴らしいものだが、劇薬でもある」

「劇薬?」

 意味がわからず、オフィーリアは、ますます混乱してきた。


「音曲にのめり込み過ぎると、特に感性の鋭敏なエルフは強く依存するようになる。やめられなくなるのじゃ。さらに厄介なことに、音曲だけでなく、音曲士にも精神的に依存してしまうこともある。それを防ぐために、半年から一年で契約を切って交代させることも多い」

 そんなことがあるとは知らなかった。ウィローが三ヶ月の契約を提案してきたのは、それも考慮していたのだろうか? ずっと延長してもいいかもしれないと考えていたが、ウィローはどこかで交代させる前提で考えていたのか?


「あの……、必ず交代しないといけないものなのでしょうか?」

「いいや。逆に、専属音曲士を生涯の伴侶とする例もある。強く依存していても、伴侶であれば問題はない」

「伴侶……ですか……?」

 ウィローの伴侶になる……? それも想像していなかった。

「ただし、深く依存した状態で関係を失った場合、特に、音曲士から関係を断ち切った場合、精神的に深刻な傷を負うことになる。ひどい場合は日常生活ができなくなり、最悪、自ら命を絶ってしまうこともある」

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