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 エルフの正典礼とは、伝統的なエルフの祈りの儀式の中でも最も格式の高いもので、入祭トゥリブイスティ喜びガウディウム感謝と別れグラチアムエトバーレの三部の音曲歌唱から構成されている。音曲士として正典礼の主導を勤めるのは、最も栄誉ある仕事とされていた。

 プリントン・ウーデ音楽院での卒業最終試験の課題は、正典礼の三曲を歌うことだったから、十分に練習はしていた。しかし、エルフの郷で、見知らぬ大勢のエルフを前にして歌うとは。粗相があっては、伝統に厳しいというウィローの祖父に叱責されるかもしれない。

 オフィーリアは、さっき見た夢の光景を思い出し、恐ろしさで胸がつぶれそうになってきた。エルフの音曲ではない偽物と罵声を浴びせらたらどうしよう。

「あの……」

「オフィーリア。正典礼の音曲は歌える?」

「あ、あの、練習はしたことは、ありますが……」

「それなら、いい案かもしれない」

 ウィローは、あごに指をあてながら、真剣な顔で何度もうなずいた。

「お祖父様は、伝統的なことが好きだから、久々に正典礼をやるとなったら喜ぶだろうし、オフィーリアの実力を認めさせるいい機会になるし。ね、オフィーリア」

 納得している様子のウィローの横で、オフィーリアがどう答えようかと言葉を探していると、建物の扉が開いた。


「姉上。ここにいらっしゃいましたか」

 ウィローは振り返ると、露骨に不快な顔になった。

「エルム! なんでオフィーリアを、あんな狭い使用人部屋に入れてたの! ちゃんとした客間に変えさせたからね」

「そのことですが」

 エルムは、テーブルに近づくと金属のリングを取り出して開いた。

「たった今、プリントン・ウーデ音楽院から伝令鷹が戻って来ました。この人間が偽物の音曲士かどうか、これではっきりします」

 オフィーリアは緊張でぎゅっと手を握りしめた。

「ここで読み上げても、よろしいですか」

「どんな回答でも関係ないから、勝手にすれば」

 ウィローは、腕を組み、口をへの字にして横を向いた。事情のわからないアームニスは、ただ黙って聞いている。


「では、読み上げさせていただきます」

 エルムは手紙を広げて、芝居がかった声色で読み上げ始めた。

「エルム・キャンディドス殿。当学院の卒業生に関する、貴殿からの照会に回答する。オフィーリア・リカレストという生徒が、当学院を卒業したとの記録は存在しない」


 オフィーリアは下を向き、膝の上できつく手を握りしめた。これで終わりだ。正典礼どころではない。「卒業した」とは一言も言ってないなどと言っても、言い訳にしかならない。ウィローはああ言ってくれたけれど、期限の三ヶ月を待たずに、きっとクビになる。いや、悪くすると、経歴詐称でエルフの監獄に囚われてしまうかもしれない。エルフの法で人間を裁くとどうなるのか、まったくわからないが、仮にエルフにとっては軽い普通の刑期だとしても、百年以上の刑など言い渡されたら終身刑と一緒だ。


 エルムは、読み上げるのを止めてじっと手紙を見つめている。ウィローは、沈黙が続くことにじれて来たのか、腕を組んだまま言った。

「それで? 気が済んだ? でもオフィーリアが、私の専属音曲士であることには変わりないからね。用が済んだら、さっさとあっち行って」

「姉上。まだ続きがあります」

 エルムは、あわてて続きを読み上げた。


「ただし、同名の生徒が在籍していた記録はあり、音曲士試験に首席の成績で合格したこと、および、卒業試験の前日に急遽帰郷すべき事情があり、卒業試験を無期限延期としたことが記録されている。以上の調査結果より、オフィーリア・リカレストは、名誉あるプリントン・ウーデ在学中の音曲士であることを証明する」

 驚いてエルムの顔を見上げたオフィーリアに向かって、さらに読み上げ続けた。

「なお、もし貴殿がオフィーリア・リカレストと連絡できる状況であれば、当学院からの指示をお伝えいただきたい。卒業試験の課題曲正典礼の準備が出来次第、当学院に登校し受験すること。以上。校長アウトゥームナ」


 オフィーリアは、エルムの手元の手紙を見ながら、涙をこぼし始めて止まらなくなった。拭うこともせず、ただ顔を上げて泣き続けているのを見かねて、ウィローが立ち上がって隣に寄り添い、柔らかい布で涙を拭いてから頭を胸に抱き寄せた。

「ごめんなさい。ごめんなさい。本当のことをちゃんと言ってなくて、ごめんなさい」

「何があったのか知らないけど、私が知っている中で、オフィーリアが一番の音曲士であることは間違いないから。でも学生の音曲士のままだとかっこ悪いから、一緒にプリントンに行って、試験受けてこよう。私も、一度オフィーリアの母校を見てみたいし」

 オフィーリアは、頭を抱かれたまま、黙ってうなずいた。


「姉上……」

「うん」

「ご無礼を申し上げましたこと、お詫びいたします。姉上の慧眼を疑い、差し出がましいことをいたしまして、申し訳ありませんでした」

 ウィローは、しばらく黙ったままオフィーリアを抱いていたが、そっと手を離して、エルムが差し出してきた手紙を受け取った。

「エルムは、私のことを心配して、良かれと思って調べてくれたんだよね。私がいない間に、ずいぶん成長したね。昔は、私がいないと何にもできなかったのに」

「姉上……」

「お祖父様を支えて、水の桃源郷アクアパラディシを守っていく役目は、エルムに任せても大丈夫そうだね」

「姉上、なんてことを! 私はそんな……」


 真剣な表情で向き合ってくるエルムに対して、ウィローは急に明るい声になる。

「だってさ、こんなところで毎日会議ばっかりやってるの、飽きちゃうんだよね。やっぱり、エステュワリエンの市場で果物買ったり、大河で釣りをしたり、ドワーフと指輪のデザインを考えたりするのが好きだからさ。それに、オフィーリアの歌も毎日聴かないといけないし。うん。ここは弟くんに任せたから」

 笑っているウィローを見て、エルムは苦笑いした。

「姉上は、ずっと変わらないですね」

 それまで黙って聞いていたアームニスは、こほんと咳払いをしてから立ち上がった。

「それじゃ、俺はアーシュ様に、数十年ぶりの正典礼の開催と、会場をお借りしたい旨の相談をしてくるから。後は、姉弟と音曲士様で、ごゆっくりどうぞ」

 

 建物の方に歩いていくアームニスの後ろ姿に手を振りながら、ウィローはオフィーリアに言った。

「フェルン達への手紙に、正典礼をやることになったって書かないと。エステュワリエンに帰るのは、ちょっと遅くなりそうだね」

「そうですね」

 ようやく、オフィーリアも微笑むことができたが、同時に、学生の頃の試験前の緊張感を久々に味わっていた。



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