2-6 回答(2/2)
エルフの正典礼とは、伝統的なエルフの祈りの儀式の中でも最も格式の高いもので、
プリントン・ウーデ音楽院での卒業最終試験の課題は、正典礼の三曲を歌うことだったから、十分に練習はしていた。しかし、エルフの郷で、見知らぬ大勢のエルフを前にして歌うとは。粗相があっては、伝統に厳しいというウィローの祖父に叱責されるかもしれない。
オフィーリアは、さっき見た夢の光景を思い出し、恐ろしさで胸がつぶれそうになってきた。エルフの音曲ではない偽物と罵声を浴びせらたらどうしよう。
「あの……」
「オフィーリア。正典礼の音曲は歌える?」
「あ、あの、練習はしたことは、ありますが……」
「それなら、いい案かもしれない」
ウィローは、あごに指をあてながら、真剣な顔で何度もうなずいた。
「お祖父様は、伝統的なことが好きだから、久々に正典礼をやるとなったら喜ぶだろうし、オフィーリアの実力を認めさせるいい機会になるし。ね、オフィーリア」
納得している様子のウィローの横で、オフィーリアがどう答えようかと言葉を探していると、建物の扉が開いた。
「姉上。ここにいらっしゃいましたか」
ウィローは振り返ると、露骨に不快な顔になった。
「エルム! なんでオフィーリアを、あんな狭い使用人部屋に入れてたの! ちゃんとした客間に変えさせたからね」
「そのことですが」
エルムは、テーブルに近づくと金属のリングを取り出して開いた。
「たった今、プリントン・ウーデ音楽院から伝令鷹が戻って来ました。この人間が偽物の音曲士かどうか、これではっきりします」
オフィーリアは緊張でぎゅっと手を握りしめた。
「ここで読み上げても、よろしいですか」
「どんな回答でも関係ないから、勝手にすれば」
ウィローは、腕を組み、口をへの字にして横を向いた。事情のわからないアームニスは、ただ黙って聞いている。
「では、読み上げさせていただきます」
エルムは手紙を広げて、芝居がかった声色で読み上げ始めた。
「エルム・キャンディドス殿。当学院の卒業生に関する、貴殿からの照会に回答する。オフィーリア・リカレストという生徒が、当学院を卒業したとの記録は存在しない」
オフィーリアは下を向き、膝の上できつく手を握りしめた。これで終わりだ。正典礼どころではない。「卒業した」とは一言も言ってないなどと言っても、言い訳にしかならない。ウィローはああ言ってくれたけれど、期限の三ヶ月を待たずに、きっとクビになる。いや、悪くすると、経歴詐称でエルフの監獄に囚われてしまうかもしれない。エルフの法で人間を裁くとどうなるのか、まったくわからないが、仮にエルフにとっては軽い普通の刑期だとしても、百年以上の刑など言い渡されたら終身刑と一緒だ。
エルムは、読み上げるのを止めてじっと手紙を見つめている。ウィローは、沈黙が続くことにじれて来たのか、腕を組んだまま言った。
「それで? 気が済んだ? でもオフィーリアが、私の専属音曲士であることには変わりないからね。用が済んだら、さっさとあっち行って」
「姉上。まだ続きがあります」
エルムは、あわてて続きを読み上げた。
「ただし、同名の生徒が在籍していた記録はあり、音曲士試験に首席の成績で合格したこと、および、卒業試験の前日に急遽帰郷すべき事情があり、卒業試験を無期限延期としたことが記録されている。以上の調査結果より、オフィーリア・リカレストは、名誉あるプリントン・ウーデ在学中の音曲士であることを証明する」
驚いてエルムの顔を見上げたオフィーリアに向かって、さらに読み上げ続けた。
「なお、もし貴殿がオフィーリア・リカレストと連絡できる状況であれば、当学院からの指示をお伝えいただきたい。卒業試験の課題曲正典礼の準備が出来次第、当学院に登校し受験すること。以上。校長アウトゥームナ」
オフィーリアは、エルムの手元の手紙を見ながら、涙をこぼし始めて止まらなくなった。拭うこともせず、ただ顔を上げて泣き続けているのを見かねて、ウィローが立ち上がって隣に寄り添い、柔らかい布で涙を拭いてから頭を胸に抱き寄せた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。本当のことをちゃんと言ってなくて、ごめんなさい」
「何があったのか知らないけど、私が知っている中で、オフィーリアが一番の音曲士であることは間違いないから。でも学生の音曲士のままだとかっこ悪いから、一緒にプリントンに行って、試験受けてこよう。私も、一度オフィーリアの母校を見てみたいし」
オフィーリアは、頭を抱かれたまま、黙ってうなずいた。
「姉上……」
「うん」
「ご無礼を申し上げましたこと、お詫びいたします。姉上の慧眼を疑い、差し出がましいことをいたしまして、申し訳ありませんでした」
ウィローは、しばらく黙ったままオフィーリアを抱いていたが、そっと手を離して、エルムが差し出してきた手紙を受け取った。
「エルムは、私のことを心配して、良かれと思って調べてくれたんだよね。私がいない間に、ずいぶん成長したね。昔は、私がいないと何にもできなかったのに」
「姉上……」
「お祖父様を支えて、
「姉上、なんてことを! 私はそんな……」
真剣な表情で向き合ってくるエルムに対して、ウィローは急に明るい声になる。
「だってさ、こんなところで毎日会議ばっかりやってるの、飽きちゃうんだよね。やっぱり、エステュワリエンの市場で果物買ったり、大河で釣りをしたり、ドワーフと指輪のデザインを考えたりするのが好きだからさ。それに、オフィーリアの歌も毎日聴かないといけないし。うん。ここは弟くんに任せたから」
笑っているウィローを見て、エルムは苦笑いした。
「姉上は、ずっと変わらないですね」
それまで黙って聞いていたアームニスは、こほんと咳払いをしてから立ち上がった。
「それじゃ、俺はアーシュ様に、数十年ぶりの正典礼の開催と、会場をお借りしたい旨の相談をしてくるから。後は、姉弟と音曲士様で、ごゆっくりどうぞ」
建物の方に歩いていくアームニスの後ろ姿に手を振りながら、ウィローはオフィーリアに言った。
「フェルン達への手紙に、正典礼をやることになったって書かないと。エステュワリエンに帰るのは、ちょっと遅くなりそうだね」
「そうですね」
ようやく、オフィーリアも微笑むことができたが、同時に、学生の頃の試験前の緊張感を久々に味わっていた。
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