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 びっしょりと汗をかいて目を覚ますと、水の桃源郷にあるウィローの館の狭い寝室だった。朝食の後、ウィローは会議に出席するために祖父と一緒に会議室に移動した、と召使から聞き、オフィーリアは一人で寝室に戻っていた。座る椅子も無いので、ベッドに腰掛けたまま、いつの間にか横になって居眠りしてしまったようだった。

 昨日、到着するなり、ウィローの弟のエルムから「プリントン出身の音曲士を騙る詐欺師」と言われたせいか、オフィーリアは、久しぶりに音楽学校時代の夢を見ていた。エルムに言われた通り、プリントン・ウーデ音楽院を卒業してはいない。だから、身分証を持っていることも、プリントン出身だと名乗ることも詐欺に当たるのかもしれない。そう思うと、これからエルムに何を言われるのか、不安がつのるばかりだった。


 あれ以来、エルムとは顔を合わせていないが、それだけでなく、ウィローとも顔を合わせていない。昨夜の晩餐も、今朝の朝食も、ただの雇われ音曲士であるオフィーリアにあてがわれたのは、ウィロー達が座る家族用の大食堂から離れた、台所の隅の使用人のためのテーブルだった。この寝室も、おそらく使用人のための部屋なのであろう。ベッドとテーブルだけで部屋は一杯だった。

 そして、昨夜はウィローの寝室に呼ばれることはなかった。

 エステュワリエンに来るまでに雇われていた領主たちの元では、当たり前だった扱いだが、ここ一ヶ月の間、ウィローが家族同様に扱ってくれたことに慣れすぎていて、寂しさが募る。オフィーリアは、首にかけた首飾りにそっと指を触れた。エステュワリエンを出発する前日に、ウィローと二人そろいで買った首飾り。これに触れていれば、ウィローとつながっていると感じられた。


「……だとしてもさ、大河を渡った奴がいるってことが、明らかに異常な事態だってわかんないのかなあ」

「そこは理解されていると思う。ただ、そのために我々エルフが手を出すべきか、というところだろう」

「アームニスは理解してるかもしれないけど、他の年寄り連中は、全然わかってるように見えないんだよね。伝統、伝統って言うばかりで、なんか反応にぶいし」

 廊下から、ウィローとアームニスが議論しながら近づいてくる声が聞こえてきたので、オフィーリアはベッドの上に姿勢を正して座った。

「今日のところは、結論は持ち越しになったから、また次回の会議で検討だな」

「そこなんだって! また次回、また次回って、会議ばっかり延々やってるのに飽きたから、エステュワリエンに逃げ出してたのにさ」


 部屋の前で声が止まり、ドアがノックされた。

「オフィーリア。いる?」

「はい!」

 オフィーリアは、ベッドから飛び出してドアを開けた。

「うわ。狭いね」

 部屋の中をのぞき込むと、ウィローは眉をひそめた。その顔を見たとたん、オフィーリアは昨日の玄関でのキスを思い出して、顔が熱く、鼓動が激しくなる。たった一晩でも、会えないでいた間は寂しく思っていたのが、いざ顔を合わせてしまうと、恥ずかしくて逃げ出したくなる。


「こんなところで寝てたら、息が詰まるよね。部屋を変えないと」

「いえ……。温かい食事をいただいて、ベッドで寝られるだけで十分ですから」

「ごめんね。三日間もパンをかじりながら山道を歩いて、野原で寝てるような旅をさせて」

 ウィローが、不満そうな顔で口をとがらせたので、オフィーリアはあわてて手を振った。

「そ、そんなつもりで言ったわけでは……」

「わかってるって。でも、ここは狭すぎるから、すぐに大きな部屋に移らせるね。ヘンビット!」

 ウィローが声をかけると、昨日、玄関で迎えに出た召使が現れた。

「はい、ウィロー様。お呼びでしょうか」

「オフィーリアには、お客様用の寝室に移っていただくから。すぐに支度して」

「恐れながら、エルム様にご指示いただいた部屋はこちらでございますが」

「私がそうしてって言ってるんだから、いいの! エルムには、私からよーく言っておくから」

「承りました。すぐに準備いたします」


 ヘンビットが立ち去ると、アームニスも部屋から一歩離れた。

「じゃ、俺もこれで失礼するから」

「ええ? まだいいじゃない。見晴らし台に行って、オフィーリアと一緒にもう少し話しようよ」

「邪魔ではないか?」

「いいから、いいから。オフィーリアもおいで。ほら」

「はい」

 ウィローに連れられて、建物の玄関とは反対の扉から外に出ると、湖の中に突き出した台座の上だった。幅広の板を敷き詰めた床に、飾り彫りがほどこされたテーブルと椅子が置かれていて、一面に広がる湖を眺めながらゆったりと過ごすことができる。

 三人が椅子に座ると、湖の向こうの空からピャーという甲高い声と共に、大きな鳥が羽ばたいて来るのが見えた。鳥は、まっすぐにウィロー達のいる建物の上にやってくると、もう一度、大きな声で鳴いてから屋上に降りた。

「どこかから、伝令鷹が来たみたいだな」

「そうだ! フェルンとオクサリスに、無事に着いたよって手紙書かなきゃ。あとで、お祖父様に鷹を借りに行こう」

 ウィローはオフィーリアの腕に手を添えた。

「ね、オフィーリアも一緒に手紙書こうよ。きっとみんな喜ぶよ」

「はい。ぜひ」

 エステュワリエンで留守番をしている二人を思い出すと、旅の間の出来事が次々に浮かんでくる。書きたいことがあり過ぎて、オフィーリアはわくわくしてきた。


「それで、オフィーリア殿の歌は、いつ聞かせてもらえるのかな?」

「そうだね……。どうしようかな……」

 アームニスに尋ねられて、少し困ったような表情になったウィローの顔を見ながら、オフィーリアは、寝室で自分の歌を聞いた時のウィローの様子を思い浮かべた。荒い息使いと上気した表情、とろんとした目つきで寄り添ってきながら、泥のように眠り込んでしまう。幼馴染とはいえ、男性のすぐ近くでウィローがあんな状態になってしまうのは、まずい。少なくとも、三人だけの寝室で歌うのは避けないと。


「あの……」

「なに? オフィーリア」

「歌うとしたら、できれば、広々とした所の方がよろしいのでは……」

「広々とした所?」

 アームニスが手を打った。

「それはいい。この館の舞踏会室を使って、郷のみんなも呼んで音曲を披露する会を開こう」

「え、みんなを呼ぶ……」

 思わぬ方に話が広がり、オフィーリアは焦った。

「あの、私、連続しては三曲しか歌えないのです。一人和音の発声は喉の負担がすごくて、それ以上歌うと声がかすれてきて、しまいには声が出なくなってしまうので……」

「三曲もあれば十分だろう。そうだ。エルフの正典礼リトゥルジア カノニカをやってもらうのはどうかな?」

「ええ! 正典礼ですか!」

 オフィーリアは、ますます焦った。

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