2-4 水の桃源郷(1/2)
シュトルームプラーツから陸路を歩いて四日目に、ウィローとオフィーリアは山の中腹にある
「湖の上に建っているあの建物、すごいですね」
「うん。あれが私の生まれ育った家。今はお祖父様と弟が住んでる。まあ、建物の半分は、近郷のエルフの会議とかに使っているんだけどね」
祖父が長老だとは言っていたが、あんなお城のようなところに住んでいるとは。ウィローの家族は、このエルフの郷の領主なのだろうか? エステュワリエンでの贅沢な暮らしを考えれば、それもありそうだとオフィーリアは思った。
「ウィロー! 帰ってきたのか!」
湖面に建つ館に向かって、行き交うエルフ達の間を歩いていると、一人のエルフが声をかけてきた。ウィローよりも頭ひとつ背が高く、ほっそりした体型の男性である。当然だが、流暢なエルフ語で、オフィーリアは久しぶりのエルフ語の聞き取りに、一語も聞き漏らすまいと相手の口元に集中する。
「アームニス! 久しぶり!」
ウィローと声をかけてきたエルフは、握った手をお互いにぶつけあった。親しいエルフ同士の挨拶なのだろう。
「南の国はどうだ? もうそろそろ、人間の街にも飽きただろう」
「ぜーんぜん。毎日楽しくて、飽きることなんて絶対ないよ。アームニスこそ、こんな田舎暮らししてないで、外の広い世界に出てきなよ」
「俺は、族長としての立場があるから、簡単にはここを離れられない。それに
ここでの暮らしが性に合ってるから、外に出る気はないね」
「そうか。あ、そうそう」
ウィローはオフィーリアの横に立ち、背中に手を当てて、前に押し出した。
「彼女はオフィーリア。私の専属音曲士として契約してるの。彼はアームニス。私の幼馴染」
「は、はじめまして。オフィーリアです」
なんとかエルフ語で自己紹介すると、アームニスは右手を開いて差し出してきた。
「ここで人間に会えるとは珍しい。私はアームニス。リカレスト、よろしく」
「えっ?」
オフィーリアは戸惑った。自分の姓は言わなかったのに、なぜ知っているのだろう? それとも、何か自己紹介で使うエルフ語の単語を、聞き間違えたか? 差し出された右手を握りながら、オフィーリアは必死に、相手の言った言葉に該当しそうな単語を探した。
「ふふ。いいこと教えてあげようか? オフィーリアも、リカレストってファミリーネームなんだよ。アームニスと一緒。すごい偶然でしょ」
「なんだって?」
アームニスはオフィーリアの目と耳をじっと見た。
「人間、ですよね。リカレストというのは、人間でもよくある姓なのですか?」
初めて会った時に、ウィローにもそう聞かれたことをオフィーリアは思い出した。この友人と同じ姓だったので、驚いていたのか。
「いいえ……。私の家族以外では、会ったことがありません」
「そうですか。いえ、失礼しました」
アームニスは、ウィローの方を向いた。
「人間の専属音曲士というのは珍しいな。ここに滞在しているうちに、ぜひ一曲聞かせてくれないか」
「ふふ」
ウィローは、オフィーリアの肩に手を回して引き寄せ、頬と頬をつけながらにやりと笑った。
「どうしようかなあ。素晴らしい一人和音の歌い手だけど、私の専属だからね」
「楽しみにしてるよ。ああ、重い荷物を背負っているのに引き留めて悪かった。早く館に行って長旅の疲れを癒してくれ」
「うん。じゃ、また後で」
ウィローは手を振りながら、館の方に歩き始める。オフィーリアは、後について歩きながら、優しいエルフに迎えられてほっとしていた。これなら大丈夫かもしれない。
しかし、そんな甘い期待は、館に着いた途端、粉々にくだけ散ることになる。
「水のエルフ。誉れ高きアーシュの孫にして、水の精霊の
見上げるような館の門の前に立ち、ウィローは芝居がかった大きな声で中に向かって呼びかけた。エルフの日常会話ではあまり使われず、古い歌の歌詞に出てくるような伝統エルフ語で、オフィーリアにはところどころ意味がわからない単語もあった。
「なんか仰々しいでしょ? お祖父様が、こういう伝統とかしきたりとかにうるさくてさ。めんどくさいけど、旅行から帰ってきた時は必ずこれ言わないと、めちゃくちゃ怒られるんだよね」
ウィローは、人間の言葉でオフィーリアの耳元にささやいた。
「そ、そうなんですね」
「じゃ、入ろうか」
案内を請う、と呼びかけたものの、誰かが出てくるのを待つわけでもなく、ウィローはすたすたと門の中に入って行った。
「姉上! お帰りなさいませ」
館の玄関を開けて中に入ると、男性のエルフが、うやうやしく膝を曲げて出迎えた。ウィローとよく似た美しい顔立ちで、まっすぐ背中までかかる金髪を首の後ろでしばっている。
「エルム! 久しぶり! 元気だった?」
ウィローは駆け寄ると、しっかりと抱きしめた。エルムと呼ばれた男性エルフは、抱き返すわけでもなく、されるがままでいる。
「また、背が伸びた? そろそろお姉ちゃんを追い越しそうだね」
「そうかもしれません。お留守の間も、しっかり鍛錬を積んで郷を守ってきましたから」
「うん、うん。エルムは頼もしいねえ」
ウィローはエルムを抱いたまま、金髪をゆっくりとなでていたが、ふと気がついたように手を離した。
「そうだ。紹介しなきゃ」
ウィローは、すぐ隣で黙って見ていたオフィーリアの横に立つと、さっきのように背中に手を当てて前に押し出した。
「彼女はオフィーリア。私の専属音曲士なの。で、彼は私の弟のエルム」
「よろしくお願いします。オフィーリア・リカレストです」
オフィーリアが、さっきのアームニスの挨拶にならって右手を差し出すと、エルムは冷たい目つきに変わって腕を組んだ。
「あんたが、名門校出身の音曲士を騙っている詐欺師か」
「えっ……」
「ちょっとエルム! なんてこと言うの」
ウィローが険しい表情になるが、エルムは構わず続けた。
「事前に姉上からお祖父様宛に連絡が来ていたから、図書館にあるプリントンの卒業生名簿であんたの名前を調べた。オフィーリア・リカレストなんて卒業生は載っていなかったぞ」
「あの……、私……」
オフィーリアは何か言いかけたが、急に呼吸が荒くなり、続きの言葉がうまく出てこなくなった。
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