2-2 旅立ち(2/2)

 シュトルームプラーツは、大河に面して三本の桟橋があり、停泊している船から忙しく荷揚げしている人足がいる他は、ごく小さな町のようだった。

「船長! どうもありがとう」

「当たり前の仕事をしただけだ。で、帰りはいつ迎えに来ればいい?」

 桟橋に降り立ったウィローは、カルムテルグに聞かれて、少し困った顔になる。

「まだ、戻る日が決まってないんだよね。用事が済むのに何日くらいかかるのか、わからないから」

「そうか。では、日にちが決まったら連絡をくれ。五日間で迎えに来る」

「うん。エステュワリエンで留守番している者から連絡させるようにする」

 カルムテルグは、船の上から手を振った。

「気をつけて」

 ウィローとオフィーリアは荷物を背負い、手を振りながら桟橋の上を歩き始めた。


「ここから五日間くらい、細い川沿いの山道を歩いて登っていくことになるんだ。夜は危ないから、基本的に歩くのは昼間だけね」

「やはり、夜歩くのは危険なのですか?」

 ウィローの背中に背負われた大弓を見ながら、オフィーリアは森の中で見たオークを思い出していた。昼間でもあんなに恐ろしかったのに、夜の暗闇で襲われたらどうなることか。

「うん。足元が暗くてよく見えないと、転んだり踏み外したりして危ないでしょ」

 あっけらかんとしたウィローの答えに、オフィーリアは拍子抜けした。

「あの、夜は恐ろしい動物が出てくるから、ではないのですか?」

「うーん」

 ウィローは、人差し指を頬に当てて少し首を傾けた。

「恐ろしい動物は、移動してても、してなくても、昼でも夜でも出てくるから、警戒しているのはいつでも一緒だね」

 やはりそうなのか。オフィーリアは、長距離を歩く旅には慣れているとはいえ、今までは、都市から都市につながる大きな街道沿いばかり移動してきた。なので、森の中や山道での野営は、あまり経験がない。ウィローが一緒でなければ、とても一人では無理だろう。


 シュトルームプラーツを出発して、丸一日、小川沿いの山道を歩き通した二人は、日が暮れる前に野営の準備をすることにした。

 持ってきた厚手の敷布を乾いた地面の上にひき、屋根になる布を綱で引いて木に結び付けて寝床を作る。その前に石組みの炉を作って、乾いた枝を拾い集めて焚き火をおこし、鍋でお湯を沸かすと、持ってきた塩漬け肉と乾燥果実や乾燥キノコを入れた。

「こうして一緒に煮込むと、肉も柔らかくなって、いいスープができるんだよ」

「ああ、いい匂いがします」

 昼は、川原の岩の上に座って、堅いパンをかじっただけの簡単な食事だったので、温かいスープの香りはたまらなかった。出来上がったスープをそれぞれの器によそい、堅く焼いたパンを浸しながら食べると、館での晩餐にはかなわなくとも、すばらしく美味しいご馳走になった。


「ウィロー様、今日は何を歌いましょうか?」

 食事が終わり、鍋と器を汲み置きの水で洗って片付け、あとは寝るだけとなったところで、オフィーリアはいつものようにウィローに尋ねた。

 しかし、ウィローの答えは予想外のものだった。

「今日は、歌わなくていいよ」

「え?」

 オフィーリアは戸惑った。専属音曲士として契約してから、毎日寝る前に一曲歌うという仕事は、一日も欠かしたことがなかった。この旅も、そのために同行してきたはずなのに。

「歌わなくて、よろしいんですか?」

「うん。水の桃源郷に入るまで、歌わなくていいよ」

 昨夜、船の上で最後に歌った歌が気に入らなかったのだろうか。和音に不純な響きがあって、不快な思いをさせてしまったのだろうか。それとも、今日一日歩いて来る中で、何か失礼なことを言って怒らせてしまったのか。まだ二ヶ月は期間が残っているはずだが、これで契約は打ち切りということなのか?

 胸の中で不安が渦巻き、オフィーリアは息をするのも苦しくなってきた。


「あの……、どうして歌わないでよいのか……、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「心配しなくていいよ。明日も朝から歩き詰めだから、もう寝ないと。ゆっくり体を休めて」

 ウィローは、焚き火に枝をくべながら、優しく微笑んだ。

「……はい」

 納得できないまま、オフィーリアは毛布にくるまって横になった。不安で眠れそうになかったが、一日中歩いていた疲れから、目を閉じるとすぐに眠りに落ちていった。


 翌朝、夜明け前の空が明るくなってくるのと同時に、オフィーリアは目を覚ました。起き上がると、ウィローは昨夜と同じ姿勢で焚き火の前に座っている。

「おはようございます……」

「おはよう。ちゃんと寝られた?」

「はい」

 旅の間、固い地面の上で寝るのは慣れていたはずだったが、ウィローの館の柔らかいベッドに馴染んでいたせいか、体のあちこちが痛くなっていた。しかし、そんなことよりも、一睡もしていない様子のウィローの方が心配だった。

「ウィロー様、昨夜からずっと火の番をされていたのですか?」

「うん。このあたりは魔狼ワーグが出ることがあるからね。火を焚いていれば近づいてこないから」

「寝なくても大丈夫なのですか?」

「え? うん。エルフは一週間くらい寝なくても、全然平気だから」

 あれだけ歩いた後で徹夜したとは思えないほど、全く眠そうな表情はしていなかった。普段は、歌を聴いた後にすぐ眠り込んでしまうのに。

 そこまで考えて、オフィーリアは気がついた。

「もしかして、寝ずに火の番をするために、昨夜は歌わないでと言ったのですか?」

 ウィローは恥ずかしそうに笑った。

「そう。だって、オフィーリアの歌を聴くと、ものすごく気持ち良くなって、そのまま意識を失っちゃうから。これから、水の桃源郷に着くまでは我慢する」

 ウィローは、急に手を取り、ぐっと顔を近づけて熱い目でオフィーリアを見つめた。

「ね! 向こうに着いたら、我慢していた分もいっぱい歌ってね! 一晩聴かなかっただけで、もう耐えられなくなりそうだし」

「は、はい……。あ、でも、一晩に続けて歌うのは、三曲までにさせていただいてもよろしいですか? 一人和音の発声はすごく喉に負担がかかって、それ以上続けては歌えないんです」

「わかった。一晩に三曲までにする。あ、でも、一度に三曲も聴いたら、気持ち良すぎておかしくなっちゃうかな? 戻ってこられなくなっちゃったら、どうしよう。ああ、早く着かないかなあ」

 ウィローは、ぶつぶつつぶやきながら、鍋でお湯を沸かして、朝食のお茶の準備を始めた。

 クビになるわけではないし、不手際があったわけでもなくて良かった。オフィーリアはほっとして、大きく伸びをした。

                         

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