2章 水の桃源郷

2-1 遠い知らせ(1/2)

 ウィローの館で暮らすようになってから半月ほどがたち、オフィーリアもすっかりここでの生活に馴染んでいた。晴れた日は、ウィローについて街や丘まで散歩に出かけるか、オクサリスと一緒に市場へ買い物に出かけるし、雨の日は、書斎の蔵書から読めそうな本を選んで読むことにしている。食事とお茶の時間は食堂に集まるのと、夜寝る前にウィローの寝室で歌う以外は、全く自由だった。たまに街ですれ違う見知らぬエルフには、ビクビクすることがあるが、少なくともウィロー達に恐れの感情をいだくことはなくなっていた。


 今日は、朝から雨が降っているので、書斎の窓ぎわのソファに座り、エルフ語で書かれた本を読んでいる。

「アプロピンクアット、ダイス、プロ……プロフェク……プロフェクティオニス。むー。プロフェクティオニスってなんだったっけ……」

「『出発』とか、『旅立ち』って意味だよ」

 書斎のデスクに座り、書き物をしているウィローが、手元から目を離さないまま答えた。

「す、済みません。ありがとうございます……」

 仕事はしていないと言いながらも、森でオークにでくわしてから、よく手紙のようなものを書いたり、読んだりしていることの多いウィローの邪魔をしてしまい、オフィーリアは恐縮する。書いた手紙をどうやって届けているのか、どこの誰とやりとりしているのかは知らないが、机に向かっている時のウィローは、いつも眉を寄せて深刻な表情をしていた。


「何の本を読んでるの?」

「あ、あの、プリントン・ウーデ音楽院の創立者の、ウーデ・クレモル師の伝記があったので……」

「ふうん。そんな本もあったっけ。面白い?」

「ええ。最初に学校を作ろうと思いたった時に目指していた理想の話が、自分で音曲の塾を作る参考に……」

 そう言いかけた時、オフィーリアの背中の窓からドタドタドタっと大きな音がしたので、本を持ったままソファから飛び上がった。

「キャッ! なに、なに?!」

 窓の外では、何か茶色い物がガラスを叩き続けている。恐怖で硬直していると、ウィローが近づいて窓を開けた。

 開いた窓から、人が両手を広げたほどの大きさの翼で、茶色と白のまだら模様の鳥が、バサバサと大きな音をさせながら飛び込んできて、デスク横の壁についている棒に止まった。鋭いくちばしとかぎ爪を持ち、あたりを睥睨へいげいしているが、ウィローが近づいて足首をつかんでも、おとなしくしたまま動かない。ウィローは、足首から金属のリングを外すと、壁についている呼び鈴のひもベルプルを引いた。しばらくすると、廊下からオクサリスの元気な声が聞こえる。

「ウィロー様、お呼びですか?」

 書斎のドアから顔を出したオクサリスに、ウィローは足首をつかんだままの鳥を渡した。

「伝令鷹が帰ってきたから、濡れている羽根を拭いて、小屋に入れておいて」

「うわー、びしょびしょだし」

 ウィローからオクサリスに渡されると、とたんに鷹は大きく羽ばたいて、あたりに水を跳ね飛ばして暴れ始めた。

「ちょっと、ここで羽ばたいちゃダメ! 本が濡れちゃうでしょ。ダメー!」

 両手で必死に鷹を押さえながら、オクサリスは書斎から出て行った。


「あ、あの鳥は、何ですか?」

「手紙を運んでもらう伝令鷹。私の故郷の『水の桃源郷アクアパラディシ』にいるお祖父様と連絡する時は、あの鷹に運んでもらってるんだ」

 鷹の足首から外した金属のリングを開くと、折り畳まれた紙が出てきた。

「こうして、手紙を足につけて飛ばすんだけど、受取人以外には渡さないんだよ」

「他の人が取ろうとすると、どうなるのですか?」

「くちばしと爪で威嚇して、絶対に近づかせない。無理に近づくと、大ケガをするから気をつけてね」


 取り出した手紙を開いて読むうちに、ウィローの顔はどんどん暗く深刻になっていった。オフィーリアは、心配しながらも何と言って声をかければ良いかわからないので、ただ黙ってウィローの顔を見つめている。

「ねえ、オフィーリア。ここを出て、また旅に出る気はない?」

「えっ」

 三ヶ月の期間限定という契約だったはずだが、もうクビか。今回は半月しか持たなかったな。月に一千ムントなんて、やっぱり自分には高過ぎたんだ。そんな思いが、ぐるぐるとオフィーリアの頭の中で渦巻いた。エルフ相手ではレベルが合わないのなら、人間の雇い主を紹介してもらえないかな。商業ギルドの人はどうだろう……?

「私と一緒に、水の桃源郷に来てくれない?」

「え?」

 オフィーリアは、話が飲み込めずに首をかしげた。

「お祖父様が、大事な会議を開くから水の桃源郷に帰ってこいって手紙に書いてきたの。途中まで船で大河をさかのぼって、そこから歩いていくから、片道で十日くらい」

「あ、ええ……」

「会議を済ませて往復したら一ヶ月くらいかかるでしょ。もし、一ヶ月もオフィーリアの歌が聴けなかったら、絶対耐えられなくて死んじゃう。お願い! 一緒に来て! 移動分のお手当も増やすから! 見捨てないで!」

 ウィローがしがみついてきたので、オフィーリアは身動きが取れなくなり、必死にもがいた。

「わ、わかりました。大丈夫です。専属音曲士ですから、ウィロー様のいるところについて行きます。あ、あの、手を離して下さい! く、くるしいです」

「一緒に来てくれる?」

「行きます。行きますから、手を離して」

「ほんと? 嬉しいー!」

 頬を押し付けて、さらにぎゅうと抱きしめられたので、バラの香りが充満してオフィーリアは息ができなくなる。ようやく解放されると、オフィーリアはソファにぐったりと座り込んでしまった。

「はあ、はあ、はあ、また気を失うかと思いました」

「ご、ごめん、やりすぎた」

「もう少し、手加減して下さい」

「はい……」


 ウィローは、少しの間、反省したようにしゅんとしていたが、すぐに顔を輝かせてデスクに座った。

「さっそく旅の支度をしないと。二人で寝られるテントもいるし、二人分の料理ができる鍋もいるかな。あ、でも荷物は軽くしないといけないか。そうだ! お祖父様にも、ちゃんと紹介しないといけないね」

 さっきまでの深刻な表情はどこかに吹き飛んで、ウィローは、新しい紙にささっと手紙を書き上げて折りたたみ、金属のリングの中に入れると、ベルプルを引く。

「ウィロー様、お呼びですか?」

 現れたオクサリスの前髪はずぶ濡れで、左手には引っ掻き傷がついて血がにじんでいた。

「伝令鷹にこのリングをつけて、水の桃源郷に送ってほしいんだけど」

「えー! やっと羽を拭き終わって、餌の生肉をあげて小屋にしまったところなのに!」

 ウィローは、オクサリスの側に近づくと左手の傷をそっとなでた。

「ありがとう。きっと鷹も、ご馳走をもらってオクサリスのことが好きになったと思うよ」

「毎回、餌はあげてるけど、ちっとも懐かないんですよ、あいつ。きっと私のこと、自分より下だと思ってるんですよ!」

「大丈夫。そのうち慣れるから。はい」

 オクサリスは、すっかり傷口が閉じて跡もなくなった左手をさわり、ぶつぶつ言いながら、渡されたリングを持って部屋を出て行った。

 

「オフィーリア。明日は雨が上がると思うから、街の道具街に行かない? オフィーリアの荷物も、旅の間に必要なもの以外は、この館においていけばいいから、もっと小さなバッグにしようよ」

「は、はい」

 全財産を詰めたバッグを担いで歩くのは大変なので、オフィーリアにとってはありがたい提案だった。

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