1-6 監視(2/2)
翌日、ウィローは朝食も食べずに、朝早くから一人で街に出かけて行った。
「オフィーリア。今日はちょっとうるさい人たちに会わないといけないから、連れて行けないの。ごめんね。もし退屈だったら、オクサリスに館の中を案内してもらうと良いよ。オクサリスには言ってあるから」
「はい。行ってらっしゃいませ」
朝食の後、部屋に戻り、ドアを開け放したまま、ぼうっと窓の外の緑あふれる庭を見ていると、食器の後片付けを終えたらしいオクサリスが現れて、部屋の中をのぞき込んだ。
「あの……。オフィーリア様、退屈していませんか? してますよね? 退屈でしょ?」
「いいえ。窓の外の美しい木々が風にそよぐ様子を見ていると、とても心が安らいでいつまでも飽きません」
「そうですか……。それでは、何か用事があればお声がけ下さい」
オクサリスは、見るからにがっかりした様子で下を向き、とぼとぼとドアの前を離れた。
「ふふっ。オクサリス。嘘ですよ。退屈してました。館の中を案内していただけますか?」
「かしこまりました!」
ドアの前に勢い込んで戻ってきたオクサリスは、満面の笑顔でオフィーリアが出てくるのを待った。
「それでは、二階から順番に回りますね! 二階は、浴室と、オフィーリア様の寝室、食堂と厨房、そしてウィロー様の寝室があります。ここまではご存知ですよね」
「はい」
「その奥には、書斎があります。ウィロー様が読書をしたり、手紙をしたためたりする部屋です」
オクサリスは、廊下の一番奥のドアを開けて中に入っていくが、オフィーリアは入口で立ち止まった。
「あの、部外者の私が、勝手に入ってはまずいのではないでしょうか?」
「え? ウィロー様からは、すべての部屋を見ていただくようにと、言われてますけど?」
「そ、そうですか」
オフィーリアは、おそるおそる書斎に足を踏み入れた。
書斎の中は、窓のある壁以外はすべて天井までの高さの本棚が作り付けられていて、ぎっしりと本が並んでいる。背表紙を見ると、半分はエルフ文字だが、人間の文字やオフィーリアの知らない文字の本も置かれていた。
「すごい数の本ですね」
「ウィロー様が、お祖父様から受け継いできた貴重な本も多いですし、こちらの街に来てから買い集めた本もあります。貿易船の船長に頼んで買ってきてもらった、海の向こうの国の本は、どこの図書館にも収蔵されていないので、遠くの都市の学者さんが、わざわざ読みにくることもあるんですよ」
オフィーリアは膨大な本に圧倒されていた。
「オフィーリア様が読みたい本があれば、どれでも好きに読んで構わないし、部屋に持ち帰っても構わないと仰せつかっています。上の段に置かれていて手が届かない本は、言っていただければ、ハシゴで取ってきますよ」
「ありがとう。でも、今はいいです」
「では、一階に降りて庭に出ましょうか」
二人は、廊下の突き当たりにある階段で下に降りた。
「一階は、正面玄関から向こうが応接室、こっち側がフェルンと私それぞれの寝室です」
そう言うと、オクサリスはモジモジし始めた。
「あの……。見ますか?」
「え? 何をですか?」
「えっと、私の寝室なんですけど……。その、他の部屋は全部きちんと掃除しているんですけど、どうしても自分の部屋だけは片付けられなくて……。もし、ご覧になりたいということでしたら、少しお時間をいただいて……」
真っ赤になっているオクサリスが気の毒になり、オフィーリアは笑って手を振った。
「大丈夫ですよ。次に行きましょう」
「はい! では、外に出ましょう」
元気になったオクサリスは、正面玄関から外に出た。
玄関から、街に降りる道とは反対側の庭の方に歩いて行くと、小さくて、がっしりした石造りの建物があった。扉はあるが、窓は付いていないようだった。
「ここが貯蔵庫です。地面の下に大きな穴を掘って、岩から切り出した分厚い石で床と壁を囲って、部屋を作ってあります。一番深いところに氷室があって、冬の間に氷をたくさん運び込んでおくので、夏の間もひんやりしているんですよ」
「夏になっても、本当に氷は溶けないのですか?」
「はい。暑い日には、少しずつ削った氷に、甘草のつゆをかけて食べるとおいしいですよ」
重い扉を開くと、オクサリスの言う通り、ひんやりした空気が流れ出してきた。中をのぞくと、棚の上にぎっしりと小麦粉の袋や、野菜、塩漬けの肉が置かれている。オフィーリアは、昨日のピクニックで飲んだ水筒のお茶が、ひんやりと冷たかったことを思い出した。
「次は、庭に行きましょう」
貯蔵庫の扉を閉め、横を通り抜けて館の反対側に出ると、低草が一面に広がり、緑の葉を茂らせた木立が並ぶ大きな庭に出た。いつも寝室の窓から見えている風景である。庭の真ん中には、折り畳みのテーブルと椅子が並んでいて、外でお茶もできるようになっている。
庭の端まで歩いていくと、腰の高さほどの頑丈な柵があり、その先は切り立った崖になっている。遠くを見渡せば、大河と対岸のオーステ・リジク王国領が見え、下を見下ろせば、河の民の村の家々の屋根がひしめいているのが見えた。
「東門を通らなくても、河の民の村に降りられるのですか?」
「この崖を降りるのは無理ですね。市街地を守る城壁のような役目も果たしていますから」
「そうですか」
「ただ、北門と東門へは、市街に降りないで尾根伝いで行ける道があります。門は大きな建物になっているので、丘の上からずっと上を渡って行けるんですよ」
そんな道を使うことがあるのだろうか、と疑問に思いながら、オフィーリアは広い庭の向こうに立つ館を見上げた。昨日、森の中であんな恐ろしいものに出くわしたけれど、小鳥が鳴き、風がそよぐこの館の周りはなんて平和なんだろう。高い丘に囲まれ、頑丈な城門に守られたエステュワリエンの偉容を改めて感じていた。
「あ、オフィーリア様。二階の窓からフェルンが呼んでます。横に立っているのはウィロー様ですね。帰られたので、きっとお茶にするのでしょう」
「では戻りましょう。案内してくれて、ありがとうございました」
「いえ。ご用があれば、いつでも声をかけて下さい!」
二人は、庭を横切り、館に向かって歩き始めた。
館に戻り二階の食堂に入ると、ウィローが、テーブルにひじをついて両手であごを支え、フェルンに向かってまくし立てていた。
「ほんっとに、あのバカどもは、何にもわかってないくせに、事なかれ主義で無責任で、あたま来るわぁ」
「左様ですか」
「市長のボルゲリングの奴、なんて言ったと思う。城門の外のことは市長の職責の範囲外ですから、何ら対処する責任はありません、だって。そんなことを言ってるんじゃないっての。目の前に危機が迫ってるかもしれないって言ってんの!」
「はい。左様ですね」
「ギルドの統領のゼルファなら、まだマシかと思ったら、高い給金で傭兵を雇ってるから大丈夫の一点張りだし。カネで雇った兵士なんて、いざと言うとき役に立つかどうかわかんないじゃない」
「左様ですね」
ウィローの憤まんの爆発をひたすら聞いているフェルンから目配せされたオクサリスは、お茶とお菓子を取ってきますね、と小声でオフィーリアに言うと、食堂から出て行った。
「オーステ・リジク王国の数万の大軍を撃退した英雄たちの子孫が、この体たらくだなんて知ったら、天国にいるご先祖様たちが泣いちゃうよ」
その時初めて、オフィーリアが食堂の入口に立っているのに気づいたウィローは、あわてて手のひらから顔を上げて背筋を伸ばした。
「オフィーリア、ごめんね。今日は留守番させて」
「いいえ。オクサリスさんが、館の中をずっと案内してくれましたから。お帰りなさいませ。ウィロー様」
オクサリスが、茶器とお菓子を乗せたワゴンを押して入ってきたので、フェルンはテーブルの上に小皿を並べ始めた。
「ウィロー様。お茶にしましょう。今日は、モエドテルグ様からいただいた北の国の珍しい木の実を使って、クッキーを焼いてあります」
「うわあ、それは楽しみ」
機嫌が良くなったウィローを見て、オフィーリアはほっとした。政治のことはよくわからないけれど、せめてこの館にいる間は、楽しく過ごしてほしい。
苦手だったはずのエルフに対して、そんなことを考えるようになった自分が不思議だった。
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