1-6 監視(1/2)

 目を覚ますと、オフィーリアは暗い部屋の中で、板張りの固いベッドに横たわっていた。壁や天井は無骨な木で作られていて、入口のドアにしか窓は付いていない。

 起き上がると、ウィローと、長いひげを編み込んだ厳つい表情のドワーフが、 ベッドの横の小さなテーブルで、ロウソクの明かりを挟んで向き合って話し込んでいるのが見えた。声をひそめているようで、何を話しているかは聞こえない。

 オフィーリアがベッドから起き出したのに気づくと、ウィローは立ち上がって横に寄り添った。

「オフィーリア、もう起き上がっても大丈夫?」

「はい。済みません。また気を失ってしまったようで」

 導かれるままウィローの隣の椅子に座ると、テーブルの上で手を握って、心配そうに顔を見つめられる。向かいに座っていたドワーフは、黙って立ち上がると部屋の隅に行き、湯気の立つコップを持って戻ってきた。

「これ、元気が出る薬草を煎じたお茶。少し苦い。だが、飲むと体にいい」

「ありがとうございます」

 このドワーフは、片言ではあるが人間の言葉が話せるようだった。エステュワリエンの公用語は人間の言葉だという話を思い出す。このドワーフも、人間と取引をするために言葉を覚えたのだろうか?

 ウィローの手を離して、両手で受け取ったコップからは、湯気と一緒に野草を絞ったような独特な匂いが広がる。息を吹きかけて冷ましながら少し飲み込むと口の中に苦みが広がった。


「ここは、どこですか?」

「西の丘の上にあるドワーフの村の、友達のハルスケッテの家。街道を通って北門から街に帰るのは遠かったから、森から一番近い友達の家に来たの」

「ご迷惑をお掛けしました」

 オフィーリアが頭を下げると、ハルスケッテは渋い顔のまま首を振った。

「ウィローは友達。助けを求めて来たら、力を貸すのは当然」

 コップを持つオフィーリアの腕に、ウィローはまた手を添えた。

「ハルスケッテは、街で一番大きな金細工工房の親方で、商業ギルドで唯一の人間以外のメンバーなんだよ。街の近くに住むドワーフの元締めみたいな偉い人。あ、オフィーリアのことは、さっき説明しておいたから」

「よろしくお願いします」

「よろしく」

 ハルスケッテは、ゴツゴツと節くれだった手を差し出してきた。オフィーリアがおそるおそる手を出すと、見た目の厳つい表情とは裏腹に、思いのほかそっと優しく握られる。商業ギルドに参加して仕事をしているのなら、人間の言葉が話せてもおかしくない。


「ねえ。オフィーリアは、オークを見たのは初めて?」

「はい。初めて見ました。あんなに恐ろしいなんて……」

「そうだよね。野性のオークなんて、ずっと東の果てに住んでいて、こんな所にいるはずないんだけど。なんであの森の中をうろついていたんだろう」

 森の中で遭遇した、恐ろしい唸り声や凶暴そうな顔を思い出し、ぶるっと震えが走る。

「でも、オフィーリアのおかげで助かったよ。今日持ってきたのは、狩で使う小さな弓だったから、一人だけだったらやられてたかもしれない」

「あの……なんであの時、歌を歌ってなんて言われたのですか?」

 ウィローは、にやりとした。

「前に聞いていたのを試してみたんだ。オークの魂は、邪悪なものに歪められているから、完全な美には耐えられないんだって。オフィーリアの歌は、完璧な純正律音階の和音だから、あいつにとっては耐えられない苦痛で、体が痺れて動けなくなったみたい」

「そ、そんなことがあるんですか?」

 ウィローは腕を組んでうなずいた。

「現に、目の前で実証したじゃない。あいつが、オフィーリアの歌を聞いた途端、動けなくなったの見たでしょ? オフィーリアの歌は、あいつらにとっては凶器だね」

「はあ」

 自分の歌に、そんな力があるとは信じられず、オフィーリアは背中を丸めて苦いお茶を飲んだ。

「なんで、あんな恐ろしいものがいたのでしょうか?」

「オフィーリア。千年前に、魔王との戦争があったのは知ってるでしょ」

「……大昔に、人間の勇者が、エルフやドワーフや魔法使いと冒険をして、魔王を倒したという伝説は、聞いたことがあります」

「伝説じゃなくて、本当の話なんだけどね。その時に、魔王が邪悪な魔物を集めているのに気がつくのが遅れて、危うく手遅れになりかかったのを反省して、あちこちにエルフが派遣されることになったの。魔物がおかしな動きをしていないか、見張っているのが役目。なんかあったらエルフの郷に連絡して、調査することになってるんだ」

「それは、ウィロー様も……?」

「そう。エステュワリエンで市長やドワーフの族長から話を聞いたり、宿屋みたいな所で、街の外からやってくる人の噂を集めてたのは、その監視のためだったんだ」

 初めて街に出た時、監視するのが仕事だと言っていたのは、そういうことだったのか。

「大河の向こうの東の方の国では、ちょくちょく野生のオークが村人を襲ったって報告があるけど、このあたりの地方では、戦争の後、千年は見たって報告はなかった。噂でも、私が来てから一度も聞いたことないし。それが突然現れたっていうのは、ちょっと気になってね」

 いつになく深刻そうなウィローの表情に、オフィーリアも不安な気持ちになった。その様子に気づいたのか、ウィローはことさら明るい声を出した。

「でも、たまたま一匹だけ、迷子になって大河を渡って来ちゃっただけかもしれないし。そんなに大袈裟に考えなくてもいいかもしれないからね。うん、オフィーリアは心配しなくて大丈夫だよ」

 ウィローは、ハルスケッテの方に向き直った。

「それでねハルスケッテ。さっきの話の続きだけど、市長のボルゲリングと商業ギルドのゼルファには、私からドワーフとの同盟を提言するね。その代わりドワーフの族長のフェルセンバントには、ハルスケッテから言ってもらえないかなあ」

 ウィローは、首をすくめて上目づかいでハルスケッテを見ながら、少し媚を売るような口調で言った。

「私、あの頑固ジジイだけは苦手なんだよねえ。いっつも怒られるし」

「わかった。鉱山に使者を送って、フェルセンバントに検討するように伝える」

「ありがとー! 助かるー」

 両手を合わせて、祈るような仕草で頭を下げる。河の民と接する時や、フェルン達と話す時とは全く違うウィローの様子に、オフィーリアは驚いた。


「さて、日が暮れる前に帰らないといけないけど、オフィーリア、歩けそう?」

「はい。大丈夫です」

 ウィローは、壁に立てかけてあった弓と矢箱を背負いバスケットを持つと、反対の手でオフィーリアの手を取り、立ち上がるのを支えた。ハルスケッテが開けたドアから外に出ると、家は岩屋の中を掘り抜いて作られていた。

「この道をずっと行くと、北門を通らずに直接街に降りられる。足元に気をつけて」

「ありがとう」

 二人は手をつないだまま、緩やかな坂道を下り始めた。


 しばらく歩いてから、オフィーリアは思い切ってウィローに話しかけた。

「あの、もう手を離していただいても大丈夫ですが……」

「だめ。まだふらふらしているみたいだし。本当は、抱っこして連れて行きたいけれど、さすがに森からこの丘までお姫様抱っこしてきて、疲れたから」

「え、ええっ」

 考えてみれば、最初の晩と同じように気を失っているのだから、どうにかして運ばれてきたのは当然のこと。しかし、お姫様抱っことは。

 オフィーリアは、真っ赤な顔になり、何も言えなくなってしまった。


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