1-5 不吉な予兆(2/2)

 北街道から分かれて西に向かう道に入ると、遠くに高い山並みが見える。隊商キャラバンの隊長が、西の鉱山に向かうと言って進んで行った方角である。

「あの山が、ドワーフが金を掘っている鉱山。このあたりのドワーフの族長のフェルセンバントが住んでるんだ。こいつがまた、頑固ジジイでさ」

「ドワーフは、そういう人が多いと聞きますが」

「ほんとそう。頭ん中、鉄鉱石でできてるんじゃないかって思うことがよくある」


 道の横に、大きく枝を広げたリンゴの木が何本も連なって、日陰を作っているところがあった。地主が用意したのか、木の下にベンチもある。

「だいぶ歩いたから、ここらで休憩しようか。きっとフェルンが、水筒に冷たいお茶を入れてくれてるよ」

 ベンチに座ってピクニックバスケットを開くと、紙に包まれたサンドイッチや丸のままのオレンジと、金属の水筒にコップが二つ入っていた。ウィローは、水筒の栓を抜いてオフィーリアとウィローそれぞれのコップに注ぐと、自分の分をぐいっと一気飲みした。

「あー、冷たくてしみるー」

「どうしてこんなに冷たいのですか?」

「貯蔵庫の地下に氷室ひむろがあるんだよ。冬の間に氷を運び込んで保管しておくと、夏まで残っているんだ」


 遠くに見える北門の方から、ブォーンと重々しく低い音が響いてきた。長々と続く音は、田園地帯の上に広がり、遠くまで響いていく。

「なんですか、あの音は?」

「あれは、時刻を知らせる大角笛ビッグホルンの音。門の一番上にある伝令室から、朝、昼、夕方の定時に北門の兵士が吹き鳴らすんだ。金と銅の合金で、門の高さ全部を使った巨大な管だから、大きな音が出せる」

「あの門の大きさの角笛ですか?! そんな巨大な管を作るなんて」

「門を建てたのは人間だけど、大角笛は、エルフ一族からのプレゼントなんだよ。落成記念のお祝いでね。だから、バルブを切り替えながらエルフ音階の基底音を正しく吹き込めば、倍音が美しく響くように設計されてる。まあ、でも、人間の兵士は、下手くそなラッパみたいに吹くことしかできないから、あんな濁った音になっちゃうんだよね」

「もったいないですね」

 そんな大きな角笛を吹くのは、どんな気分なんだろう。目に映る一面の麦畑の隅々まで届く音を想像する。

 ウィローは、昨日見ていた地図を出して、ベンチの上に広げた。

「ここから北の一帯は、暁の森と呼ばれてるんだ。渓流が流れてて珍しい植物が見られるし、ウサギ狩もできる。あんまり奥に行くと迷ってしまうけど、入口近くなら、いいピクニックができるから」

「はい」

「そろそろ、行こうか」

 両手でバスケットをかかえたウィローは、先に立って森の入口に向かい歩き始めた。


 森の中でも、人がよく通る場所は踏み固められて道になっていた。道に沿って沢が流れているのか、鳥の鳴き声とともに、水が流れる音も聞こえてくる。時折、枝の間から日が差し込み、下草の葉がキラキラと輝く。

「気持ちいいでしょ?」

「本当ですね。こんなに気持ちいい所があるなんて」

「ここから少しだけ、木が生い茂って暗くなっている場所を通るんだけど、そこを抜けたら、明るい広場みたいな所に出るから、お昼にしよう」

「はい」

 ウィローが言う通り、そそり立つ岩壁に沿って歩いていると次第に頭上を覆う木の枝や蔦が密になり、まったく陽の光が差し込まず薄暗くなってきた。木の幹や岩も、苔むしてじめじめしている。遠くから聞こえてくるギャーという鳥の鳴き声が、不気味に響く。

「なんだか、薄気味悪い雰囲気になってきましたね」

「うん。ここだけは、私も好きじゃないんだ。でも、もう少しだから……」

 そう言いかけて、ウィローはピタリと足を止めた。

「どうしました?」

「しっ! ちょっとバスケットを持ってて」

 ウィローは、真剣な目で辺りを伺いながらバスケットを渡すと、背中の弓を下ろして左手に構え、矢箱のフタを開いて矢を取り出した。そのただならぬ様子を見て、オフィーリアは体を固くする。

「オフィーリア、私の後ろに隠れてて」

「……」

 渡されたバスケットを抱えて、ウィローの後ろに回って暗い森の中を見渡してみるが、何も見えない。ウィローは、弓に矢をつがえて、道の横の岩壁ぎりぎりの草むらの中に放った。

 その途端、岩壁の影から恐ろしい唸り声と共に大きな影が飛び出してきたので、オフィーリアは飛び上がって後ずさる。

「フグワァーグ! ガワワ!」

 悪臭を漂わせながら道の前に立ちはだかったのは、醜いオークだった。オークは、三日月形の大きな刀を抜くと、こちらに向かって突進してきた。生まれて初めて、本物のオークに出くわしたオフィーリアは、足がすくんで動けない。

 ウィローは素早く二の矢をつがえて放つが、オークの動きは思いのほか素早く、急所の胸を狙って飛んだ矢も、刀で防がれてしまう。

「ガー! ガーゴウギー!」

 不快な大声を上げながら近づいてくるオークに、ウィローが叫び返した。

「ゴー、ブワァーガ、フグワーゲ!」

 それを聞いたオークは立ち止まり、真っ赤な顔になってぶるぶると唇を震わせ始めた。


「なんて言ったんですか?」

「オフィーリアは知らない方がいい。オーク語でコケにしてやっただけ。それより、一つお願いがあるんだけど」

 ウィローは、次の矢をつがえて放ちながら言った。

「歌を歌ってくれない? できるだけ大きな声で『朝日が昇るソラーリトル』を」

「えっ? 今、この状況でですか?」

 オフィーリアは、恐ろしいオークが再び突進してくるのを見て、腰が抜けそうになりながら言った。

「早く! 時間がないから!」

「わかりました」

 オフィーリアは、目をつぶって胸に手を当て、小さな声で唱え始めた。

歌を司る精霊よスピリトゥス クイ カンタッタ……」

「ねえ! お願い! 時間が無いの! 早く歌を歌って!」

 ウィローは、背中の矢箱からまとめて矢を抜き、次々にオークに向かって打ち込みながら叫んだ。

「で、でも、音曲士の誓願で、歌う前には必ず……」

「わかったから、呪文は早口でお願い!」

私の歌にダ ミー ビルトゥーテム聖なる力をサンクタム与えて下さいカンティレーナム!」

 猛烈な早口で残りの呪文を唱え切ると、すうっと息を吸って、できるだけ大きな声で歌い始めた。

東の空からソリ朝日がカエロ昇るエローリト私はガウデオ美しい光にメプルチェリマ包まれてルチェとても幸せチェクムダリ

 広々とした海原から明るい太陽が昇り始める状況を、たゆたう低音と煌びやかな高音の広がりで表現するこの歌は、オフィーリアも大好きな曲だった。しかし、オークに襲われながら歌うことになるとは、全く想像していなかった。

 オフィーリアが歌い始めると、勢い込んで走ってきたオークの足が止まり、がっくりと膝をついた。

「フグワァー! フグワァー! フグワァー!」

 何か叫んでいるが、動きが緩慢になっている。ウィローは、矢をつがえたままオークに近づき、至近距離から眉間に向けて、立て続けに三本の矢を放った。

 もはやよけることもせず、まともに矢が刺さったオークは、がっくりと地面に倒れ込んだ。


「オフィーリア、ありがとう。もういいよ」

 それまで必死に歌い続けていたが、緊張と恐怖から開放された途端、オフィーリアはバスケットを抱えたまま、気を失ってしまった。

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