1-2 契約(2/3)

「ちょ、ちょっと! 待って、待って! 大丈夫だから。自分で脱ぎます!」

 脱がされそうになった肌着を必死で押さえ、オフィーリアはオクサリスを押し返した。

「入浴の手伝いまでして頂かなくても大丈夫です。一人で入ります」

「ええ? でもウィロー様から、ちゃんとお世話して差し上げるように言われているので、困ります」

 ただでさえ苦手なエルフに、裸を見られたり体を洗われるなんて。オフィーリアは勢いよく首を振った。

「大丈夫です。ドアの外で待っていて下さい。必要になったら呼びます」

 オクサリスの背中を押して浴室から追い出してから、オフィーリアは大急ぎで肌着を脱いでお湯に浸かり、久しぶりに頭から全身に香油をかけ、ブラシで汚れを洗い流した。一ヶ月の間に溜まった汚れで、お湯は真っ黒になったが、ようやく人間らしい体に戻った気がして、思わず鼻歌を歌ってしまうほど気持ち良い。


 浴槽のお湯を流して髪と体を拭き、用意された、足元までふわりと届く部屋着を着て廊下に出ると、オクサリスがしょんぼりと立っていた。

「お待たせしました」

「あの……。私では、入浴のお手伝いには不足でしたでしょうか……。何か失礼なことをしましたでしょうか……」

「え?」

「久しぶりのお客様なので、張り切ってお手伝いしようと思っていたのですが、ご不満のようでしたので」

 オクサリスが涙目になっているのを見て、オフィーリアはあわてた。こんな贅沢な館に住んでいるエルフは、体を洗うのも召使にやらせる習慣なのか。久しぶりに温水浴ができると喜んでいたが、やはり場違いなところに連れてこられてしまったという思いが募ってくる。

「そ、そんなことはありません。あの、温水浴はいつも一人でしていて、誰かに手伝ってもらうのは慣れてないので。き、気にしないで下さい」

「本当に、気にしないでいいですか?」

「はい。オクサリスさんは何も悪くないです」

「そう言ってもらえると、少し気が楽になります……。朝食の準備ができてるので、こちらへどうぞ」


 少し明るい表情になって歩き始めたオクサリスは、遠慮がちにオフィーリアの顔を見上げて聞いた。

「あの、一つ聞いてもいいですか?」

「どうぞ」

「さっき、浴室の中でも歌っていましたけど、オフィーリア様は、プリントン・ウーデ音楽院に行ってたんですか? あ、済みません。さっき身分証が見えたので」

 オフィーリアはどきりとして、胸に下げた身分証をぎゅっと握る。

「はい。行ってました」

「すごいなあ」

 オクサリスは、きらきらした瞳でオフィーリアを見上げた。

「プリントンなんて、エルフでもなかなか入れない名門校でしょ。そこで勉強してきたなんて、尊敬します!」

「そ、そんな、尊敬される程のことはないです……」

 また胸が苦しくなる。


 寝室からさらに廊下の先へ行った食堂のドアは開け放たれていて、中に入ると、ウィローともう一人の黒服を着たエルフが、テーブルの横に立っていた。

「オフィーリア、温水浴はどうだった? お湯が熱過ぎたり、ぬるかったりしなかった?」

「ありがとうございます。ちょうど良かったです」

「オクサリスは、ちゃんとお世話できた?」

 部屋の入口にいるオクサリスが固まったのを見て、オフィーリアも言葉に詰まった。手伝いを断って浴室から追い出したと知られたら、常識知らずと思われて面倒なことになるかも知れない。

「あ、あの、ちゃんと案内してくれました。えっと……」

 ちらっとオクサリスの顔を見て続ける。

「すごく良くしていただきました」

「良かった! この子は、お客様の案内なんてあんまりやったことないから、温水浴しているところ覗いたりしたら、どうしようかと思ったけど」

 あれ? 

「エルフと違って人間は、あんまり他の人の前で裸になったりしないでしょ」

 驚いたオフィーリアがオクサリスと目を合わせると、彼女も、びっくりして大きな目を見開いている。勘違いしていたことをごまかすように、オクサリスは急にテーブルに近づいて、早口で話し始めた。


「あの、あの、オフィーリア様は、温水浴をしながらも歌を歌っていらっしゃいました。プリントン・ウーデ音楽院を卒業された方は、やっぱり違いますね」

「あ、あの、私、プリントン・ウーデの、えと」

 オフィーリアが、あわてて口ごもりながら言いかけたところで、お腹がぐうと鳴る音が響いた。

「ごめんね! いつまでも立ち話なんかしてて、お腹空いたよね。オフィーリア、そこに座って。フェルン、熱いお茶を淹れて差し上げて」

「あ、えっと」

 オクサリスに背中を押されて、おたおたしながらウィローの正面の席に座ると、フェルンと呼ばれたもう一人の黒服のエルフが、カップになみなみとお茶を注ぐ。

「フェルンは、この館の侍従なんだ。召使のオクサリスと一緒に、料理や掃除から家計の管理まで、何でもこなしてくれるの。この朝食も、彼女の得意料理ばかりだから、遠慮せずに食べて」

「は、はい」

 スプーンを取り、おそるおそる口をつけると、お茶も、スープも、肉も、口にする全ての料理が、今までオフィーリアが過ごしてきたどの貴族の館で出された物より美味しく、上品な味付けであった。

「こんな美味しい料理、生まれて初めて食べました」

「お褒めに預かり恐縮です」

 後ろに控えているフェルンは、静かに一礼した。オクサリスに比べると、ずっと落ち着いていて、かなりの年齢のように見える。


 ウィローは、手に持ったパンを飲み込むと、オフィーリアにたずねた。

「オフィーリアは、なんでエステュワリエンに来たの? 何かやりたいことがあるから?」

 ウィローに聞かれて、オフィーリアはどう答えたものかと考えた。昨夜、専属の音曲士になってほしいと言われたのを断るためには、ちゃんとやることがあると言った方がいい。それならば、夢のことを話した方がいいだろう。

「あの、実は音曲を子供達に教える塾を作りたくて」

「塾? 子供達に音曲を教えるの?」

 ウィローは目を輝かせた。

「はい。エステュワリエンは、豊かな市民が大勢住んでいて、文化も盛んだという評判を聞いて、やって来ました。そういう場所であれば、子供にエルフの音曲を習わせようという人間の親もいるに違いないと思ったので」

 ウィローは首をかしげた。

「そうか。でも、そのためには場所もいるし、生徒を集めるまで生活していくためのお金もいると思うけど、大丈夫? 昨日、あんな酒場で歌っていたけど、手持ちのお金はあるの?」

 痛いところを突かれて、オフィーリアは口をつぐんだ。


「ね。昨日も言ったけど、私の専属音曲士になってくれないかな? ここに住み込みで、契約金は毎月一千ムントでどう?」

「い、一千ムント!?」

 これまでオフィーリアが契約してきた領主たちは、せいぜい月に百ムント支払われればいいところだった。領主が、ごくたまに開く宴会の時に歌って、その日の報奨として五百ムントを支払われるだけということもある。贅沢をしなければ、一日五ムントあれば食べていけるが、領主からの契約金だけでは足りない時は、昨日のように、酒場で臨時雇いの歌手として稼いでしのいできた。それに比べると、毎月一千ムントは破格の契約金だ。

 逆に、そんな大金で契約してしまったら、どんなことになるか恐ろしくなる。特に相手がエルフであれば。

 オフィーリアは、ぎゅっと手を握りしめて体を固くした。



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