1-3 河の民の村(2/2)
「紹介するね。こちらは、河の民の村の
「は、初めまして。オフィーリアです」
「モエドテルグだ。ウィロー、おんきょくしとは何だ?」
「彼女は、難しいエルフの歌を完璧に歌えるんだよ。私の専属で歌を歌ってもらうことにしたの」
モエドテルグは顔をしかめた。
「歌を歌うためだけに、人を雇ったのか? 相変わらず、贅沢な暮らしをしているな」
「エルフにとって芸術は魂の糧なの! 芸術が無いと生きていけないんだから。河の民にとって大河が大事なのと一緒よ」
「そうか。我々にとっての大河か」
苦笑いをしているモエドテルグに、ウィローは、持っていた花束を差し出した。
「あの、テルグのお墓に、この花を供えたいんだけど。今日が命日だよね?」
「……父の命日を、まだ覚えていてくれたのか」
「忘れるわけないじゃない」
「ありがとう。それでは墓地に行こうか」
モエドテルグについて歩き始めたウィローは、花束を顔の前に持ち上げて見ながら、オフィーリアに説明を始めた。
「モエドテルグの父上のテルグは、すごく立派な
先を歩いているモエドテルグが、振り向いて語り始めた。
「あの時は、ウィローに助けられて本当に助かった。ウィローは、大河の水と河の民を救ってくれた恩人だ」
「いやあ、そんな大したことはしてないんだけどね」
ウィローは、照れたように口元に手を当てている。
「昔、我々河の民とドワーフの間で、大河の水をめぐって争いになったことがあった。ドワーフが大河の上流に洗鉱場を作り、鉱山で掘り出した石を大河の水で洗って流し始めたので、毒に当たって魚が大量に死んで浮かび上がり、漁ができなくなってしまったのだ。エステュワリエンの市政府に仲裁を頼んだが、どちらも市民ではないと言って取り合ってもらえなかった」
モエドテルグは、少し言葉を切ってから続けた。
「それで、交渉が進まないことに苛立った仲間が、武器を持ってドワーフの洗鉱場に乗り込んで行った」
そこで言葉を切り沈黙が続いたので、ウィローが言葉をつないだ。
「河の民とドワーフが、武器を持って乱闘になっていたのを止めようとテルグが駆けつけたんだけど、その争いの中で命を落としたんだ」
「そうなんですか……」
「ウィローは、ドワーフの族長と直談判して、大河の水で鉱石を洗うのはやめさせてくれた。その代わり、河の民もテルグの復讐はしないことを誓った。ウィローは大河の水を守ってくれた恩人だ」
ウィローは、悲しそうな目でモエドテルグを見ている。
「あれは、モエドテルグが、お父さんの復讐をしないと言ってくれたおかげだよ。もし、あの決断をしてくれなかったら、ドワーフと河の民の全面戦争になっていたかもしれない」
「ああ。そうなれば、大河の水も守れず、河の民も大勢が死んでいただろう。ウィローであれば、ドワーフに大河の水で鉱石を洗うのをやめさせる約束は、守られると信じた。そして、その約束は十五年間ずっと守られている。ウィローは、大河と河の民の恩人だ」
村から丘の中腹まで登ると、大河を見下ろせる場所に墓地があり、一際大きな墓石の前でウィローとモエドテルグは立ち止まった。ウィローは、持ってきた花束を墓前に置くと、深く頭を下げて小さな声で何かを唱え始めた。
プリントン・ウーデ音楽院では、公用語はエルフ語だったのでオフィーリアにも意味はわかる。ウィローは、死者の霊の安寧を祈る祈祷文を唱えていた。
「ねえ、オフィーリア。エルフの鎮魂歌は歌える?」
「はい、歌えますが……」
「お願いしてもいいかな。契約で一日一曲になってるから、今日の夜の歌は、無しにしてもいいから」
「専属音曲士ですから、一日一曲でなくともご要望とあれば歌います。ただ、私の鎮魂歌でよろしいのでしょうか?」
「うん。オフィーリアの歌なら、きっとテルグの魂に届くと思うから」
オフィーリアは、胸に手を当てると、小さな声で音曲士の誓願を唱えた。音曲を歌う前に、必ず唱えなければならない精霊への祈りである。
「
すうっと息を吸うと、静かに歌い始めた。通奏低音が長く続き、その上で明るい主旋律が舞うように、ねぎらうように流れ、あたりの空気を清めていく。
歌い終わると、ウィローも、モエドテルグも涙をこぼしていた。
「ありがとう。歌を聴いている間、目の前に父が立っている姿が見えた。まだ子供だった頃、父と二人でこの丘に登って、大河を眺めていた時の姿だった。さっき、芸術は魂の糧だとウィローは言っていたが、その意味がわかった。本当にありがとう」
「テルグの魂も、きっとモエドテルグを見てたよ」
三人の横に大きく枝を広げている樹の上から、小鳥がさえずりながら飛び立っていくのが聞こえた。
三人は丘を下りて、河の民の市場に戻った。
「
「ああ、わかった。後で行く」
市場に着いた途端、村人に声をかけられたモエドテルグに、ウィローは済まなそうに言った。
「忙しかったのに、時間をとらせてごめんね。私たちは、今晩のご馳走にする魚と貝を買って帰るから、ここでお別れにしよう」
「うむ。済まない」
手を振って分かれようとしたところで、モエドテルグは急に思い出したように振り向いて、ウィローの肩に手を伸ばした。
「ウィロー! 大事なことを忘れていた」
「何?」
「大河の向こう側、オーステ・リジク王国から戻ってきた河船の船長から聞いた話だ」
ウィローの肩をぐっと引き寄せて、耳元に口を寄せると、まわりの人間には聞こえないような小さな声でささやいた。
「大河の向こうで、オークを見たという噂が流れているらしい」
「……! それは、本当の話?」
「噂だから、どこまで正確な話かはわからない。けれど、ずっと東方の国にしかいないはずのオークを、このあたりで見かけたというのが気になって」
「ありがとう。助かるよ」
モエドテルグは、ウィローの肩から離した手を大きく振りながら、ことさら明るい声を上げた。
「それじゃ、また」
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