1-3 河の民の村(1/2)

 ベンチの上に広げた地図を見ながら、ウィローは説明を始めた。

「街の南に、外洋から来る貿易船が停泊する港があって、そこで荷揚げされた品は貿易市場でセリにかけて、市内の商人か、河の民が買うんだ。河の民が買った物は、東門の外から河船に乗せて上流の方に運ばれていくの」

 ウィローは、地図の上で港と大河を指差した。

「なぜ、わざわざ東門の外に運んで行くのですか? 港があるのなら、そこからすぐに船に乗せればいいのでは?」

「そうだね。でも、河の民の操縦する船は、外洋港には入っちゃいけないことになってるんだ。河船は小さいから、大きな外洋船とぶつかると危ないからね」

 ウィローは、地図の港の上で右手と左手の人差し指を交差させた。

「そうなんですね」


「あと、街から離れた所に金鉱山があって、そこで掘り出された金を使って、街のすぐ西の丘に住んでいるドワーフの職人たちが金細工を作ってる。外洋から来ている貿易船は、帰りにはその金細工を買って積み込んで出航していくんだ」

 地図の上で、ウィローの細い指は、西の鉱山から丘を通り港へと滑っていった。

「この街は、外洋からの貿易船、河の民の河船、ドワーフの鉱山をつなぐ貿易で栄えてきたの。その商売を取り仕切っているのが商人ギルドで、実質的にエステュワリエンを牛耳っている。だから、ここの公用語は人間の言葉になってるんだ」

 だから、ウィローもエルフ語ではなく、人間の言葉で話しているのか。

 商人ギルドの羽振りのいいお金持ちなら、次の雇い主になってもらえるかな。しかし、そもそも商人が音曲など聴くのだろうか……? オフィーリアは、今まで何人もの貴族と専属音曲士の契約をしてきたが、商人と契約したことはなかった。


 オフィーリアは、ふと疑問に思ったことを口にした。

「ウィロー様は、どんな仕事をしているのですか?」

「うーん。仕事ねえ。仕事は特にしていないかな」

 ほっそりとした指を頬に当てながら空を見上げた横顔を見て、オフィーリアは不思議に思った。あの贅沢な暮らしにかかるお金は、どこから出てくるのだろう? 生まれながらの大富豪なのか?

「強いて言えば、監視するのが仕事かな」

「監視? 誰を、ですか?」

 人間を監視しているのだろうか。一見、明るく優しそうに見えるが、やはりエルフの底知れぬ怖さを見た気がして、オフィーリアはお腹がキュッと締まるのを感じた。しかし、ウィローは問いには答えず、立ち上がって通りの向こうに手を振りながら、大きな声で叫んだ。

「おーい! オクサリス! こっち、こっち!」

 通りを渡った先の建物の横から、オクサリスが背中に大きな荷物を背負って、ふらふらしながらやってくるのが見えた。背負っているのは、昨日オフィーリアが宿屋に置いていった荷物である。


「おつかれー! 宿屋の場所は、すぐわかった?」

「はあ、はあ。ウィロー様、お待たせしました。はあ、はあ。場所はすぐ分かりましたけど」

 オクサリスは、背中に背負ったバッグをベンチに下ろし、息をついた。

「めちゃくちゃ重いですね。この荷物」

「す、すみません」

 恐縮しているオフィーリアに、オクサリスは聞いた。

「宿屋の主人には聞いたんですけど、お荷物は、このバッグ一つだけで大丈夫ですか?」

「はい。これだけです」

 昨日は、旅の荷物をほどくこともせず、ただ舞台衣装に着替えただけで酒場に出たから、この大きなバッグに全財産が入っている。

「こんな重い荷物を持って、よく旅して来ましたね」


 ウィローは、手に持っていた麻袋をオクサリスに渡して肩をたたいた。

「じゃあさ、重いついでに、この果物と野菜も一緒に持って、先に館に戻っててくれないかな?」

「ええー! こんなに買ったんですか? 貯蔵庫いっぱいですよ?」

 オクサリスは目を丸くした。

「今日はオフィーリアとの初めての晩餐だよ。新鮮な食材で、ごちそうをいっぱい作らないと」

「しょうがないですねえ。どっこいしょ」

 オフィーリアのバッグを再び背負い、野菜や果物の入った大きな袋を手に持つと、ウィローの手元に残った花束を見ながら言った。

「その花も一緒に持って行きますか?」

「ううん。これはいい」

 オクサリスは、ぺこりと頭を下げた。

「それでは、先に館に戻ります」

「よろしくねー!」

「どうもありがとうございます」


 ふらふらと歩いていくオクサリスを見送ると、ウィローは再び地図を広げて目的地を指差した。

「じゃ東門の方へ行こう。途中で港と倉庫も見られるよ」

「はい……」

「出発!」

 身軽になって、さっさと歩き始めたウィローの後を、オフィーリアはあわてて追いかけた。



 外洋を航海するための巨大な帆船から、屈強な人足が次々に荷物を運び下ろしている港を通り過ぎ、見上げるような倉庫群を抜け、岩壁を切り通して作られた東門に着いた頃には、太陽は真上を通りすぎていた。東門は、昨日通ってきた北門に比べると、幅も高さも半分ほどで、見張の兵士も少ないようだった。


 門を通り抜けて丘の向こうに出ると、風景が一変した。

 目の前にとうとうと流れる大河が広がり、河岸にはびっしりと木造の粗末な家が立ち並んでいる。家々の前には魚網や小舟が置かれ、魚と潮の匂いが鼻をつく。門からまっすぐ河岸の桟橋までつながっている道だけは、大きな荷物を積んだ荷車が行き交うためか、しっかりと石畳で舗装されているが、家の周りは土や砂利のままであった。

 大河の水面には多くの漁船が出ていて、二艘の舟の間に広い網を広げて漁をしているのが見えた。


「ここが、河の民の村」

「街とは全然雰囲気が違いますね」

「そうだね。河の民は市民じゃないから、門の中には住めないんだ。ここで魚を取って街の市場で売ったり、さっきの港で仕入れた物を、上流に河船で運んで商売したりして暮らしてる」

 目に入るものが皆、珍しく、オフィーリアは歩きながらウィローに質問した。

「家の壁に立てかけてある、あの槍のような物はなんですか? 武器ですか?」

「違う違う。あれは、魚を突き刺して獲るためのモリだよ。チョウザメっていう船みたいに巨大な魚がいてね、船で囲んでモリを何本も突き刺してから、綱で結びつけた岩を河に投げ込むんだ。モリの先には尖った返しがついているから一度刺したら簡単には抜けなくて、岩の重みで動けなくなったのを大きな漁網で引き上げるんだよ」

「岩など付けたら、底に沈んでしまわないのですが?」

「漁をする時は、岸に近くてそんなに深くないところでやるし、サメも逃げようとして暴れ回るから、割と水面に近いところで網をかけられるみたいだよ」

「すごいですね」


 話しながら、小屋の周りに大勢の人が集まっている場所に入っていくと、中には板が敷かれていて、その上に、魚や貝が山積みになった桶が並んでいた。

「ここは、河の民の市場。さっきの市民市場にも魚は売ってるけど、こっちの方が新鮮で大きなものがそろってるんだよ」

「ウィロー!」

 小屋の横から呼びかける声がした。

「モエドテルグ! 元気?」

 真っ黒に日焼けした太い腕を組み、黒い髪を頭の上で結った女性に向かって、ウィローは手を振りながら近づいて行った。


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