1-1 始まりの酒場(2/3)
門の外の街道からまっすぐつながる大通りには、レンガ造りの大きな建物が並び、身なりの良い人間やドワーフ、エルフ達が忙しそうに行き交っている。だが、港に近づくと次第に街の雰囲気が変わり、屈強そうな人間やドワーフが、荷車を押している姿が増えてきた。
やがて、大通りから横に延びる路地沿いに、木造の宿屋兼酒場が立ち並ぶ地域を見つけた。臨時雇いの歌手を使ってくれそうな店を探すには、こういうところが好都合なのは、これまでの旅の経験から身につけた知恵だった。路地に入り何軒もの酒場を見ているうちに、『歌姫のいる店』と書かれた看板を掲げた宿屋兼酒場を見つけたオフィーリアは、思い切ってドアを開けて中に入った。
「あのー、済みません」
「いらっしゃい。お泊まりですか」
中から、でっぷりと太って髭を生やした宿の主人が、前掛けで手を拭きながら出てきた。
「いいえ。あ、いや泊まらせていただきたいのですが、その前に、私を雇ってもらえませんか?」
「はあ? 掃除夫も厨房も手は足りてる。よそへ行ってくれ」
「あああ、あの、掃除とか料理じゃなくて」
オフィーリアは、あわてて手を振りながら、首に下げた身分証を主人に見せた。
「あの、私、歌が歌えます。ここの酒場で毎晩歌いますので、それで宿賃にしていただけませんでしょうか」
「歌手、なのか?」
主人は、疑り深い目で身分証をしげしげと見たが、ピンとこないようだった。国王や貴族のような一定の教養がある層でなければ、音曲士などには縁がない。
「プリントン・ウーデ? 音曲士? なんかよく知らないが、
「はい……。あちこち旅してきたので、各地で人気の歌をたくさん知っています」
「ふん」
腕を組んで、伸ばした顎髭をいじりながら、オフィーリアの顔と、ふっくらと形のいい胸、そして長旅で引き締まった足元を
「今うちにいる歌手も、いい加減飽きられてきたしな。こいつは若そうだし、うす汚れてはいるが、見た目は悪くないから、客も喜ぶかもしれんな。どうせ歌なんて聞いてる奴はいないし、客寄せにはいいか」
「……」
「いいだろう。毎晩、酒場をやってる時間に舞台で二十曲歌うのと、テーブルに酒や料理を運ぶ給仕をするなら、住み込みで雇ってやる。客からチップを取って、横に
「あ、ありがとうございます!」
オフィーリアは思い切り頭を下げたが、そのとたんに、ぐうーと腹が鳴る音が響いた。
「あ、あの、今晩歌う分の前借りで、何か食べさせてもらえませんか? 今朝から、何も食べてなくて……」
腰を曲げたまま、顔だけを前を向け、悲しそうな上目遣いで主人の顔を見上げる。
「むう。そこのカゴに、朝食に出したパンの食べ残しがある。それで良ければ持っていけ」
「ありがとうございます! この御恩は忘れません」
オフィーリアは、カゴの中からそっと両手でパンを取ると、立ったままでかぶりついた。
***
夜になると酒場は、腕っぷしの強そうな荷運び労働者や船大工、指先が真っ黒になった鍛治仕事のドワーフ、どこから来て何をしているのかわからない流れ者達で満席になった。みな、生ぬるいビールをあおりながら大声で話していて、店の奥の舞台に立つオフィーリアの歌を聴いている者は、ほとんどいない。
舞台に近いテーブルに座った客達だけは、曲が終わるたびに大きな拍手をしていたが、音楽に理解があるというよりは、舐めるような視線でオフィーリアを見つめていて、顔と体にしか関心はないようだった。
「よう、姉ちゃん! いいぞ! 次は俺の部屋に来て歌えよ」
「チップを弾むから、こっち来いよ」
臨時雇いで歌う時は、いつもこんな雰囲気だが、オフィーリアは何年たっても慣れなかった。店主と契約した二十曲の恋の歌の俗謡をさっさと歌い切って、あとは舞台を降りて、厨房からテーブルに酒や料理を運ぶのに専念するつもりで、淡々と歌い続けていた。
酒場のドアが静かに開き、目深にフードをかぶった人影が入ってきて、入口近くのカウンターにいる主人に声をかけた。舞台から離れているので、オフィーリアからは見えていない。
「やあ、変わりない?」
女性のようだが、明るい中に奥深い響きがある独特の声を聞き、主人は振り返った。
「おう。ウィローか。相変わらずだよ」
「オレンジを絞った果汁をそのままで」
「あいよ。いつもそんなもん飲んでるけど、酸っぱくないのか? 酒で割るとか蜂蜜を入れるとかしないで、よく飲めるな」
主人が、目の前でカットしたオレンジをグラスの上で絞り、カウンターの上に置くと、ウィローと呼ばれた女は、小さな一ムント銀貨を主人の前にすべらせて、グラスを取った。
「不審な人物とか出来事の噂は聞かない?」
「そうだな。血の気の多いドワーフの野郎どもが喧嘩して、片方が腕を折る騒ぎになったから、二人とも店からつまみ出したくらいかな」
「それは、いつものことだね」
店の奥の舞台で歌っているオフィーリアを見て、女は少し驚いたようだった。
「新しい歌手を雇ったんだ。随分上手な人だね」
「ああ。昼間、いきなり飛び込んで来たんでさ。プリンなんとかって学校出てて、歌が歌えるから働かせてくれって。まあ、若い女がいれば、歌なんてどうでも客は喜ぶからな」
「プリン……? まさかね」
女は、グラスを持ったまま舞台の方を興味深げに見つめた。
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