1章 歌と芳香の日々

1-1 始まりの酒場(1/3)

 目を覚ますと、まず目に入ったのは、窓から差し込む明るい日差しが映る真っ白い壁と天井だった。壁と天井の境目には、つたがからんだ模様の浮き彫りがほどこされているし、部屋の四隅の柱や入口のドアも、手の込んだ彫刻がされ、艶やかに磨き上げられている。昨日泊まったのは安宿のはずなのに、ずいぶん高級な内装だなと、オフィーリアは不思議に思った。

 昨日まで、野宿しながらの旅をしていたので、地面に敷いた布の上ではなく、久々に柔らかい布団にくるまれた感触が心地良い。信用のおける隊商キャラバンと同行していたとはいえ、女一人の野宿はやはり不安で、こんなにぐっすり眠れることはなかった。


 けれど……、やっぱり……、おかしい?


 宿屋の周りは、建物ばかりの街中のはずだが、窓の外には緑が生い茂る枝が揺れている。いつも枕元に大事に置いている荷物の袋も見当たらない。そして……、背中がほのかに暖かく、スースーと静かな息遣いが聞こえる。

 あわてて背中側を振り向くと、目の前に美しいエルフの女性の寝顔があった。


「えええっ!」

 驚いて思わず大声を出すと、エルフは「うんっ」と伸びをして、ぱちりと大きな目を見開いた。晴れた日の湖のような深く青い瞳に、背中までかかるサラリとした金髪。薄い肌着からはだけて見える真っ白な肌がまぶしい。

「おはよう……。よく寝られた?」

 奥深い響きがある独特の声を聞いた途端、オフィーリアは、昨夜の出来事を全て思い出した。


***


「見えてきたぞ。あれがエステュワリエンの門だ」

 一面に広がる麦畑の青い穂の向こうに、巨大な岩壁の間を塞ぐように大きな黒い門がそびえ立っていた。人の家の五倍かそれ以上の高さがありそうな見張りの塔と門扉は、昼の明るい日差しに照らされてキラキラと輝いている。

 大きな荷物を背負って遠い道を歩いてきたので、疲れ果てていたオフィーリアだが、隊商の隊長の言葉に元気を取り戻した。

「あれがエステュワリエン……」

「立派な都市だぞ。内陸から来たお前なんか見たこともないような、とんでもなくでかい船が入る港があってな。遠い国から来た食べ物や、金銀財宝の細工物が街にあふれているんだ」

「すごい……」

 そんな豊かな都市であれば、夢がかなうかもしれない。

「あの、ちょっと教えていただけますか?」

 オフィーリアは、革紐で首から下げている、エルフ銀を打って作られた身分証をぎゅっと握りしめながら、隊長に聞いた。

「エステュワリエンの領主様は、どんな方ですか?」

「領主?」

 隊長は、後ろを振り向いて不思議そうな顔になった。

「エステュワリエンには、領主も国王もいねえぞ」

「えっ? 領主様がいない?」

 オフィーリアは、領主がいないということがうまく飲み込めず、首を傾げた。これまで各地を旅して来たが、大きな街はみな、どこかの王国の領地になっていて、国王に任命された貴族の領主が治めているのが当たり前だった。

「ああ。一応、市長はいるがお飾りで、実際は大商人のギルドが牛耳ってる。海の向こうの外国との貿易と、大河をさかのぼった内陸との交易で莫大な富を蓄えて大勢の傭兵を雇っているから、まわりの王国も手を出せねえんだよ」

「そう、なんですか……」

「ああ。あとな、あそこには守護聖人がいて、街が危機にさらされると、どこからともなく姿を現して、不思議な力で街を救ってくれるって伝説もある」

「守護聖人ですか」

「そう。そうやってずっと自由を保ってきたから、『自由都市エステュワリエン』なんて呼ばれてんだ」


 門までだいぶ近づいたところで、街道が左右に分かれている辻に差し掛かり、先頭をすすむ馬たちは右手に曲がった。まっすぐ門に向かう道からは離れていく。

「俺達は、城門の中には入らず西の鉱山に向かうから、ここでお別れだ」

「どうもありがとうございました」

 オフィーリアは、辻に立ち止まって隊長に手を振った。前の都市からここまで同行させてもらえたおかげで、女一人で旅をする危険を避けられた。しかし、ここからは一人で行かねばならない。

「エステュワリエンは平和な街だが、荒っぽい奴も多いから、気を付けるんだな」

「はい。気をつけます」


 見上げるような門の前には、幅が広く深そうなほりがあり、橋を渡らなければ近づけないようになっている。橋を渡った先の門は、二枚の扉の内一枚だけが開けられていたが、それだけでも大勢の人や荷車が、すれ違いながら通りすぎることができた。門番の兵士が数名立っているが、身分証を見せれば自由に出入りできるようだった。

 オフィーリアは門の前で、首から下げた身分証を、また握りしめた。


 『音曲士 プリントン・ウーデ音楽院』

 これまで、どこの王国を通る時も、エルフ文字と人間の文字で書かれたこの身分証があれば、関所を通ることができた。旅の目的を尋ねられれば、領主様のお抱え音曲士に応募するためにやってきたと言えば問題ない。

 音曲士とは、雇い主のためにエルフの伝統的な歌「音曲」を歌う専門職で、エルフが運営している名門プリントン・ウーデの名前を出せば、どこの国王にも領主にも通用した。安定して雇ってもらえる領主を見つけ、そこでお金を貯めて、子供達に音曲を教える小さな塾を開くこと。それがオフィーリアの夢だった。

 ただ現実は厳しく、学校の名前が良ければ職に付けるかというと、それはまた別問題。オフィーリアは人間なので、エルフの領主のところにはあえて行っていない。代わりに人間の領主を訪ねて仕官を申し込んでいるが、大抵は、小難しいエルフの音楽など好みではなく、色恋や勇敢な英雄を歌った俗謡の歌い手を求めていた。なので、門前払いされるか、運よく雇われても、せいぜい三か月でクビになってしまうのが常だった。そうなれば、また次の雇い主になってくれそうな領主のところへ旅をするしかない。そうして、ずっと旅をしながらどうにか食いつないできたのだった。


「お腹すいたなあ。街に入ったら何か食べたいけど、お金はもうほとんど無いし。領主様がいないとなると、まずは臨時雇いで働かせてくれるところを探さないとダメかな」

 オフィーリアは、緊張しながら門兵に身分証を見せ、黙ってうなずくのを確認してから門の中に足を踏み入れた。



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