第十六話 針が示す終わりの始まり

「……師匠?」


 懐かしい夢を、静は見た。

 心が暖かくなる、そんな夢だ。しかし、そんな心地よい時間も終わり現実という過酷な時間がまた始まるのだ。


「……そうだ、確か今日の十三時」」


 十月二十三日。今日この日の十三時に、実の姉である遥と面と向かって話し合わなければならないのだ。

 当然だが、気分は乗らないどころか憂鬱ですらある。


「……そうだ。宗亭くんも呼べば」


 静が思いついたのは、大祐を呼ぶことである。大祐がいることにより、遥も第三者が同席している場所で変な姿は見せられない。多少なりとも、姉妹間の醜い論争が落ち着くのではないかと期待したのだ。

 しかし、問題はある。大祐は大怪我で自宅療養中。無理に同席させるべきではない。


「とりあえず、たっちゃんに連絡してもらおう」


 静はベッドから降りるなりいつもの半纏ともんぺに着替えて、貴治を探しに向かう。

 しかし、リビングや貴治の部屋にいる気配はない。


「……ん? 庭かしら?」


 ふと、庭から人の話す声が聞こえ庭へと向かう。すると、コンサバトリーにある椅子に腰掛けており通話している貴治を発見した。


「ねえ、大祐……。もし僕が男に戻れなかったら、どうする?」


 貴治はふと大祐に聞いてみた。

 静の寿命が近づいてしまうと知ったことで、最悪の可能性を考えてしまったのだ。

 案の定、すぐに答えられるわけでもなく大祐は黙ってしまう。

 気まずさ故に、今の話をなかったことにしようとした貴治だったがスマホから大祐の声が聞こえた。


「……なんとかするよ。本当に可能性が潰えたのなら、貴治の親御さんに相談してみる。もし駄目だったら……俺が養うよ」


 大祐はそう言い切った。

 性転換などすれば、今までの戸籍は使えない。そうなると、働くことすら叶わず怪しい仕事をするほかないのだ。


「ほ、本当?」


 貴治は、大祐が背負い過ぎな気がした。


「ああ、俺は過ちを犯した。だからこそ、二度と俺は過ちを繰り返したくない。親友を、変えたくない。絶対に、貴治を養い続けるよ」


 過ちというのは、大祐が噂に唆されて貴治を連れて行ってしまったことだろう。

 そんな中、貴治はふと想像してみる。一日中何もせず、だらけた生活を送り最低限の家事をして、大祐の帰りを遅くまで待っている自分のことを。

 まるで夫の帰りを待っている妻のようだと。


「えっ……」


 貴治は顔が真っ赤になり、声を漏らしてしまう。だが、貴治は大祐がそこまで考えていないことも理解している。

 すぐに妄想を振り払った。


「どうした? 貴治?」


「い、いや、その、なんでもないから。き、切るね」


 貴治は衝動的に通話を中止し、背もたれに深くもたれかかった。


「なんなの……?」


 不思議な感覚だった。

 隣町で救いに来てくれた大祐を、家まで送った時に看病してあげたいと強く思った。そして今、貴治と大祐が同棲している所を想像すればするほどに全身が熱くなり、痒くなる。

 しかし、もっと考えていたいとすら思えるように心地よさもまたあったのだ。ふと顔を真っ赤にしながら周囲を見渡していると、静と目が合った。


「あのー。ちょっといいかしら?」


 静は笑顔で、こちらに話かける機会を窺っていたのだ。


「えっ、それは、その……え?」


 妄想を膨らませていて椅子の上で、のたうち回っていた所を見られていたという事実。貴治は思考を停止してしまう。


「ちょっとスマホ借りるわね」


 混乱し固まった貴治を静は笑顔で無視すると、テーブルの上に置いてある貴治のスマホを取り大祐へと電話をかけた。


「貴治? どした?」


 大祐は今さっきまで貴治と話していたばかりだ。貴治から何か伝え忘れだと思われても、致し方のないことである。


「ああ、ごめんなさい。たっちゃんじゃなくて私なの。怪我の具合はいかがかしら?」


「ああ、倉敷さん? 早朝から病院行ってきたけどいくつか打撲と骨折。骨折っていってもひびが入っただけだからそんなに重くないよ」


 話すことで苦しんでいる様子はない。怪我は本当にあまり重くなかったようだ。

 だが、安静にしていなければならないのも事実だ。


「そう、ならよかったわ。突然なんだけど、午後から私んちに来れる? 一応言っておくと、無理はしなくていいから」


「うーん……。歩けることは歩けるんですけど、松葉杖とかもあるのであの山はちょっときついですね」


 いくら脚は怪我していないといっても、松葉杖を使うとなれば話は別だ。慣れた道とはいえ、松葉杖での登山は大変危険だ。

 しかし、どうしても来てもらいたいと考える静。大祐の脚に負担をかけない方法を思いついた。


「わかったわ、なら橡平良公園までは来れる? 私が太陽系儀を持って橡平良公園で待機しているから瞬間移動で転移させるわ。最悪あなたの家の前で──」


 どうしても来てもらいたい静は、最大限の譲歩案を出す。ちょうど携帯用の太陽系儀も持っているので、好都合だった。


「ああ、それならいいですよ。外の空気が吸いたいといえば出してくれるでしょう」


「ありがとう、それじゃ正午に橡平良公園で」


 無事に約束をこぎつけた静は、スマホを貴治へと返した。



 十月二十三日、間もなく十三時になろうとする時間帯。

 静の家のリビングには、静と貴治、遥と大祐がおり、そして遠くから波照間島の星使いが見守っている。

 主催者である静は、リビングにある掛け時計に注目し、長針が真上を過ぎたことを確認すると咳払いをして話し始める。


「それじゃ、今からいろいろと私のこと、たっちゃんのこと諸々について語るわ」


「静! ねぇ、寿命が近いって本当なの?」


 口上を述べた後、真っ先に口を開いたのは静だ。居ても立っても居られなかったらしく、この館に到着した時点から落ち着いていなかった。無意味に手や足を動かすなどして、体のどこかしらは常に動いていた。


「ええ、そうよ。だいたい、二十七日か二十八日くらいだと思うわ」


 何の緊張感もない静の発言に、三人は絶句した。

 静の寿命は、後一週間もないのだ。驚かないわけがない。


「なんで……。なんであなたはそう平然としていられるの!? もっと生きたくないの! 私はあなたにもっと生きていてほしいの」


「寿命を悟ったのは先月よ。さすがに一ヶ月近くもあれば覚悟はついたわ。そりゃつらくないわけがない。心残りも、沢山ある」


 落ち着いたように白湯を口にすると、テーブルへと置く。しかし、その白湯には波が立っていた。


「その天占術って本当なの? 嘘だったりしないの? もし本当でも、回避する方法とか──」


 遥は意地でも静を死なせたくはないようだ。


「ない。天占術の結果は絶対なの。私のことはもうこれでいい?」


 冷静に返事をする静は、先程から自分に対する質問ばかりなことに少々苛ついていた。もう終わりにしようとしていると、遥は無理に落ち着かせた様子で喋る。


「最後に、死因は何?」


「……わからない。ただ死ぬという事実しかわからないの」


 天占術は絶対だ。だが、必ずしも万能ではない。同じ時間帯に対しては大変有用だが、異なる時間帯、つまり未来や過去については利便性は大きく劣る。


「私に対する質問はこれで終わりね。次にたっちゃん、あなたのことに関してよ」


 ついに来たと、貴治は緊張する。しかし、真っ先に動いたのは貴治ではなく大祐だ。


「それで、男に戻れるのか?」


「……そうね、他の星使いにいろいろ調べてもらったりしたわ。少なくとも、可能性はある」


 その言葉に、大祐の強張った顔は大きく緩んだ。


「詳しいことはわからないので、彼に説明してもらいましょうか」


 静は少し遠くからこちらを見守ってくれていた波照間島の星使いを手招きした。

 彼は軽く会釈しながら四人が座っているテーブルの前に移動すると説明を始めた。


「そもそも、なぜ長谷川くんが女性化してしまったのかについてから話す必要があります」


 要約するとこうだ。

 静は満月や新月になると力を発揮できる。この状態で太陽系儀を使用していたため、その月齢の影響が太陽系儀にも移り非常に強くなっていた。しかし、正反対の月齢である貴治が触れてしまったことで、互いに影響を与えた。静の月齢の影響が貴治の体にまで及んでしまい、そこで性染色体を転換してしまう状況が発生したのだ。

 なお、過去に間違えて正反対の月齢の影響のある太陽系儀を触ってしまった星使いの資料はあるのだが、どこに影響が出るのかは定かではない。片手が動かなくなった星使いもいれば、即死した星使いもいたようである。


「つまり、長谷川くんからその影響を抜き取ればよいのです。星使い会議の資料を漁った結果、過去の事例に対する治療法が既に確立されていました。長い間使っていなかったので、みんな知らないんですね。で、その治療には一つデメリットがありましてね……」


 男に戻すにはどのようなデメリットがあるのか、受け入れられる程度のものなのか。貴治と大祐は息を呑んだ。


「影響を抜くのはいいんですけど、それと一緒に本来の素質もごっそり抜けるんですよ。だからこれを使っちゃうと、星使いの素質を失います。他は悪影響はないですね」


 なんだそんなことか、と安堵する大祐とは対称的に、貴治は少なからずの抵抗があった。こんな素質があったからこそ、知り得たことだって沢山あるからだ。


「お開きにしたい……ところだけど、まだあるんでしょう?」


 静は貴治の件が落ち着くなり、波照間島の星使いは帰っていった。

 だが、まだこの時間は終わらない。静は遥の方を見た。

 遥は静の寿命のこともそうだが、もう一つの用件がある。


「お父さんに、会ってほしいの」


 遥は真面目に、相手に誠心誠意の対応をするつもりで言葉を発した。

 しかし、静の行動は遥の行動とは対称的なものだった。その行為を唾棄すべき行為だとばかりに、哀れみの視線を遥に投げかけた。


「たしかに、お父さんはさちょっと変わってるよ。あの時は私だって本当につらかった。家出したい気持ちはよくわかる。でも静が家出したことでお父さんね、鬱になっちゃったんだよ? 仕事もろくに行けない状態で塞ぎ込んでるんだよ」


 父親は少なくとも、二人の子どもの幸せを考えて身を粉にして働いていたのだ。静が家出をしたと知った時、目の前が真っ暗になったのだ。

 自分は必死に頑張っていたのに、それは全て無意味だったのではないかと。

 それ以降、父親は自分が進んでいる道が本当に正しいのかわからなくなった。次第に仕事も覚束なくなり、仕事を辞めた。

 今までに十分すぎるほど稼いでいたため、貯蓄はこのまま二十年間何もしなくても不自由はしない程度にはある。

 しかし、精神的に病んでしまい一日中ただ何をするわけでもなく家の中にいるらしい。そのせいで家の空気は重苦しいものだという。


「……なにそれ、私が悪いみたいじゃない」


 遥から聞いた話は、まるで責任が静にあるかのような話だ。当然だが、はいそうですかと納得できるわけがない。


「……全て静が悪いとは思わないよ。でもさ、最後に会ってあげなよ。お母さんの遺言、無下にするつもりなの? もしそうなら、あなたなんて最初から居なかったことにする。倉敷家は両親と子ども一人の家庭だったってことにしておくよ。今からでも失踪届出すから、七年もすればあなたは法的にも死ぬことになる」


 失踪届を出していないのは、まだ望みを捨てていないからだ。いつか、また、静が家に帰ってくると信じて。

 とはいえ、家族との関係性を絶つことは戸籍的にも不可能である。だが、周りからそう繕うことだけであれば決して難しいことではないのだ。戸籍上にだけ載っているだけなのであれば、周囲の人に知られることなどない。

 しかし、寿命の近い静にはほとんど意味はないが、少なくとも姉妹間の関係は決して悪いものではなかった。その僅かな姉妹の関係性すらなくなってしまうということ。にもかかわらず、最後に一人ぼっちで死ぬなどさすがに嫌だった。


「ねえ静。あなたはただ家族と一緒にいたかっただけなんでしょ? でも、あなたの師匠は亡くなってからも家には帰らなかった。それはなんで? お父さんが嫌いなのはわかってる。でも私は? 私はずっと静と一緒にいたよ? 家族だよ? お父さんが運動会に来てくれないって愚痴を言い合ったり、遊んだりしたよね? 静は私のことも嫌いなの?」


 遥は、静の心に訴えかける。効果覿面のようで、静は動揺しているようだ。

 実際の所は、師匠が亡くなってしまった当初は帰ろうとしたときもある。けれども、あれだけの啖呵を切って家を出ていってのうのうと帰ることなんて難しい。


「そうじゃないよ。別にお姉ちゃんのことは嫌いじゃないよ。ただ──」


「敷居が高くなったから、帰れなくなっただけでしょう? 四年も家出して、お父さんを鬱にして、それで居候先の人が死んだからといって戻ってこれるほどあんたのメンタルは図太くないからね!」


 遥は、静をそう断定した。

 しかし、静はどうにも面白くはない。実際、少なからず合っている部分もある。とはいえ、静にもプライドはある。


「……何私のことわかった気になってるの?」


 四年以上会ってない人に、何がわかるんだと睨みつけた。


「わかるよ、だって家族だもん。何年一緒に居たと思ってるの? 四年間家出してたくらいで、私が静のことわからなくなるとでも思ったの?」


 合理性の全くない、感情的になものだったが覇気や説得力は十分すぎるほど。その威勢に、思わず静かも押され気味だ。


「ねぇ、しずか……」


 遥は、後ずさろうとした静かを無理に抱きしめた。抵抗を受けるも、すぐにその抵抗は収まった。


「帰ろう? 一時間だけでもいいからさ。そしてごめんね。静かの悩んでいることわかってあげれなくて。もし、お父さんが怒っても、私も一緒に怒られるよ? だからさ、帰ろう?」


 遥は優しく静の髪を撫でる。

 静かは心地よいと感じた。長い間渇望していた、何かだと。


「ああ、これが……」


 静は、心が満たされた気がした。あくまでもそんな気がしただけである。そう思うや否や、この感情の高ぶりを抑えることなどできなかった。


「わかったよ、お姉ちゃん」


 涙ながらに語ると、そのまま体を遥に預けた。いつまでもこうしていたいと思えたが、悠長なことなどしていられない。遥から離れると、改めて白湯を飲み干した。


「これで一応は終わりね」


 寿命のこと、貴治のこと、そして静の家のこと。全てが一段落つき、全員が一息つく。

 しかし、貴治は悩んでいた。


「倉敷さん、その、ごめんなさい。謝って済むような問題じゃないですけど……」


 貴治が太陽系儀を触らなければ、きっと静はもっと長く生きていられたのだ。その事実に、貴治は耐えられなかった。


「いいのよ、別に。元から決まっていたのですもの」


 静は澄ました顔をするが、どこか表情は暗い。


「僕が、耐えられないんです。良心の呵責で、心がいっぱいなんです。贖罪をしろというのであれば、従います」


 思春期ということもあるのだろうが、やはり人を殺したも同然という出来事は到底常人には耐えられることなんてできないのだ。


「贖罪……。そうね、じゃあ一ついいかしら」


 何かを思いついたのか、一息ついてから静は口を開いた。


「星使い、継いでくれないかしら?」


 その発言に、貴治と大祐、遥でさえもが驚きの表情を見せた。

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