第十五話 高飛車少女の設計図 前編

「ごめんね、静」


 静は倉敷家の次女として、ごく普通の家で育った。家族四人での暮らしは、時折問題もあったが概ね順風満帆で幸せな日々だった。

 しかし、ある時に異変が起きた。

 母親が謎の咳に苦しめられたのだ。最初は特に気にしていなかった家族だが、一向に治る気配はなくやがて血痰も出るようになった。母親はそのことをあまり重くは考えていなかったようだが、さすがにただ事ではない。そう考えた家族は、母親に病院を受診するように言った。


「その、大変申し上げにくいのですが、残りの余命は一ヶ月ほどです」


 病院を受診し、判明したその病気は既に母親の体を蝕んでいた。今から治療を開始しても、効果が全く期待できないという。

 そのことで母親は悩んだ。自分のことはもちろんとして、愛する我が子たちのこともだ。


「ねえ、静。私がいなくっても、お父さんの言うこと聞ける?」


 母親は静かの頭を撫でて優しく話しかけた。


「おかーさんどこかに行っちゃうの?」


 幼稚園児であった静にはその意味がわからなかった。死という概念すらも。


「そうよ、とっても遠い場所に。もう、静と会えないのよ」


 二度と会えないということを強調するなり、静の顔色は見る見る悲愴なものへと様変わりする。


「やだ、離れたくない! 一緒にいるの!」


 静は入院して横たわっている母親の腕を強く掴んだ。


「ごめんね、本当にごめんね……」


 静が数時間後にようやく母親を離した際に、母親は父親を呼んだ。


「あなた、後のことお願いできる? どうか二人を、幸せにしてあげてね」


 母親は、子どもたち二人を幸せにするためには全てを夫に託すしかないと考えた。しかし、夫は真面目で善人でこそあるがいろいろと不器用なのだ。このことが気がかりではあるが、頼れるのは夫しかいない。そう考えたのだ。


「わかった。絶対に二人を幸せにしてみせる。約束だ」


 父親は何がなんでも二人を幸せにしようと決心し、その直後に母親は病死した。

 残された父親は考えた。妻の遺言。二人を幸せにするためにはどうすればよいのかを。そして、数日間の熟慮の末に一つの方法を導き出した。


「お父さん頑張るから。二人を幸せにしてみせるからな」


 父親は母親の葬式の後、泣きながら二人のわが子に向けて宣言した。


「いっぱい仕事して、稼いで、幸せにしてやるから」


 父親が考えたのは、金銭面における幸せだった。

 実際、父親はビジネスマンとしては優秀だった。大きなプロジェクトを成功させるなどして、会社では高位の役職についており将来の幹部候補ですらあったのだ。その甲斐あって、貰っていた給料は十分すぎるほど。それを惜しみになく、我が子の幸せのために分けて幸せにしている──はずだった。

 静がその違和感を覚えたのは、幼稚園の年長の頃だ。


「ねーしずかちゃん。わたしね、パパとママと一緒に水族館に行ったんだ。しずかちゃんは?」


 長期休暇明けの初登園。静が幼稚園へ行くと、同級生から話しかけてきたのだ。同級生と長期休暇の思い出を語り合いたいという何の悪意もない問いかけ。しかし、静はその意味がよくわからなかった。


「私? 私はずっと家で本を読んでいたよ?」


 静は読んだ本を次々と指を折り述べ始めた。小学生高学年向けの文庫本など、些か幼稚園児が読むには早すぎる本だ。

 二人が暇をしないようにとの思いで、父親が帰った日には大量の現金を分け与えたため文庫本の購入費用には困らないのだ。

 しかし、同級生はそもそも言っている内容がよくわからないのか首を傾げるほかない。


「えー? ずっと家の中なの? 変なの」


 同級生からすれば、長期休暇にどこにも行っていないなど考えもしなかったのだ。


「そうなの 本読んでるのって変?」


「そーだよ。だってみんな家族でどこか行ってるよ。キャンプとか、動物園とか、遊園地とか」


 同級生はさも家族でどこか出かけるのが一般常識だと言わんばかりに解説する。

 このときだった。静はが自分の家が他の家と違うと感じ始めた頃は。

 静は家に帰ったら父親に言おうと考えた。しかし、父親は会社に泊まることが多く家に帰っていない日の方が多い。おまけに、帰ってきても深夜に帰ってきて早朝に出社するなどして静が父親と面と向かい合う機会はほぼない。そのため、静が真っ先に相談したのは実の姉である遥だった。


「ねえ、おねーちゃん」


「どうしたの、静?」


 静は幼稚園での出来事を話した。


「……そうかもしれないよね」


 遥は、静以上にそのことを悩んでいたのだ。

 授業参観の日には、多くの親が来ているというのにもちろん父親は来ない。他にも来ていない親はいたのだが、周囲の友だちはみんな来ている。そのためどこか疎外感を覚えたのだ。

 運動会だって同様だ。同級生が皆家族と一緒に和気藹々と食べているのに、遥は一人寂しく食べていたのだ。来年から静も入学するため、二人一緒となり多少マシになるとは思うが腑に落ちないものであった。


「お父さんに言ってみようよ」


 ダメ元言ってみることにした。だが、父親が久しぶりに休みを貰ったのは一か月近く後のことだった。


「ねーお父さん。大事な話が」


 静は父親に話をするため父親の元へと向かったが、父親はパソコンを熱心に操作していた。

 休みとはいえ、仕事がないわけではない。持ち帰った仕事をこなしていたのだ。


「あー悪い静。今お父さんパソコンでお仕事中なんだよ。後にしてくれるか?」


「わかった」


 父親の仕事が終わる時刻をいつかといつかと待ち続け、ようやく仕事が一段落ついた頃にはもう夜だった。

 それでも静はこの大事な話をするために父親の元へと急ぐが、一方の父親はパソコンをしまうなり今度は携帯電話を取り出してどこかへとかけ始めた。

 大事な話をしているのだと思い再び迷惑にならない場所へと向かう。やがて、ようやく携帯電話をしまったと思いきや今度は外出の準備。


「ああ、悪い静。ごめんな、また今度」


 そう言うと、父親はまた長い仕事へと向かってしまった。

 その間にも二人、特に静は学校では周りの人と会話が合わず孤独な日々を送っていた。その間も休みの日など全くなく家庭訪問や三者面談などの重要な日には帰ってくるが、用事が終わればまた仕事場へと戻る日々だ。

 そして数カ月後、大切な話と称してなんとか言えたこともあったが、その時の父親の返事はあまりに軽いものだった。


「ごめんな、静。でも寂しいんだったら、友だちと一緒に遊びなさい。家に呼んでもいいよ。お菓子代も出すからな」


 静が渇望しているのは家族としての思い出。それでも、父親は母親の遺言を金銭面だと解釈し精力的に努め上げたのだ。

 保護者の印鑑や署名が必要な提出書類がある場合は、父親の会社まで速達する。

 そして、父親がくれる小遣いも次第に現金書留、やがて銀行振込へと変遷していったのだ。

 それでも、遥は家の違いを認めながらも同級生と仲良くなれた。

 しかし、遥が友人と遊んでいても、静はただ空き教室に籠もって本を読む。

 静は遥とは違うのだ。コミュ障というわけではないが、同級生と仲良くしたいとは思えなかったのだ。毎月振り込まれる高額な小遣いで小説や漫画はもちろん、新書や専門書に至るまでを読みふけった。これらの読書体験で得た多くの大人の感性は、静に多くの知識を与えた。

 だが、それ故にほとんどの日を保護者のいない姉妹だけの暮らしを強いている父親。幼稚な発言ばかりする同級生に強い忌避感を覚えた。

 ますます学校で孤独になった静は学校をサボるようになった。元より専門書などを読み耽った静は学校でも非常に成績がよく問題はない。

 そんな中で静は、なんとなくの思いつきで、この橡平良山へと向かった。

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