第十三話 少女は光に囲まれて

「うぅ……体が痛い。外が眩しい……」


 全身の痛みで唸り声をあげているのは、現在親の車に乗っている大祐だ。

 現在、大祐は後部座席に乗っておりそのすぐ隣では貴治が涙目になりながら大祐の容態を見ていた。静は助手席である。

 商店街から大祐の家までは車で数分の距離なのだが、大通りに出ると渋滞に嵌ってしまった。

 大祐の目が物理的に眩んでいるのも、それは近くの車の光故だった。


「二人ともうちの息子のすることに巻き込んでしまってごめんなさいね」


 そんなことはないと、二人は首を横に振る。実際に原因を作ったのは貴治なのだから。

 その後、十数分かかり車は大祐の実家へと到着した。大祐は母親や姉に支えられて家の中へと入っていく。あの様子では当分は外に出られないようだ。


「お詫びにあなた達の家まで送っていこうか?」


 大祐の母親がお詫びにと、申し出をするが二人は拒否して帰路につくことにした。

 すっかり日が暮れているとはいえ、まだ中学生が歩いていても問題はない時間のため貴治はゆっくりと橡平良山のある方向へと歩こうとする。しかし、静は別の方向へと進み始めた。


「ちょっと用があるの。たっちゃんも来なさい」


 今回の出来事ですっかり自尊心がボロボロの貴治は抵抗せず、静の後を付いていくことにした。

 だが、その道中は会話をするわけでもなく無言の時間が続く。

 静は平気な顔をしているが、貴治はどうすればよいのかわからなかった。何か話しかけた方がいいのかと思うも、やはり申し訳が立たなくて気軽に話すことさえ憚られるのだから。


「何よ」


 無意識の内に静の方を見ていたのを不快に思ったのか、静が聞いてくる。


「え?」


 無意識に見ていたたために一瞬何のことを聞かれたのかわからなかった。


「あなた、さっきからずっとこちらをちらちら見てるでしょ」


「その、ごめんなさい」


 自分ではどういうわけだかわからないが、自尊心が大きく傷つけられているため自然ととにかく謝ろうという行動に移る。

 静はそんな何の感情も籠もっていなさそうな空っぽの謝罪を見て思うところはたくさんあるが、面倒なので何も言わないでおくことにする。


「……まあいいわ、あと着いたわよ」


 貴治は無言の時間の最中、いろいろなことを考えていたがやはりいちばん多かったのは自分の不甲斐なさについてだ。

 もちろん、いくら考えた所で改善するはずもない。あまりに考える時間が長すぎて、時間の感覚がおかしくなっており、歩いたという感覚はほぼなかった。大祐の家の近くにある、静が用事のある場所とは一体どこなのか。思い切って、ずっと俯いていた顔を上げた。


「児童養護施設?」


 貴治の目の前にあったのは、小さな児童養護施設だった。

 貴治はこの場所を知ってはいたが、興味があるというわけではなく児童養護施設が存在しているという事実だけだ。

 なぜこんな場所に用事があるのか。不思議に思っていると、児童養護施設の物陰から一人のが飛び出してくる。


「あ、静ねえ……と大祐にいと一緒にいたお姉さん」


 自分がお姉さんと言われて衝撃を受ける貴治はよそに、少年は静の方を向いた。


「このリフティングベルトありがとうございました。すみませんお礼もできなくて」


 少年は深々と頭を下げる。


「いいのよ、別に。もうんだし。どうしてもお礼がしたいというのであれば、立派なサッカー選手になりなさい」


「……わかりました!」


 少年は再び頭を下げると、児童養護施設の院長に会っていかないかと言われたが丁重にお断りする。そして、少年は児童養護施設の庭に向かうとでリフティングの練習を始めた。

 二人は帰るわけでもなく、児童養護施設の近くから元気にリフティングに挑む少年の姿を眺めながら自動販売機で買った紅茶を口にする。


「少年、元気で活力に溢れていますね」


 自分とは大違い。そう言いたげな顔だと思った静は、少年のことについて話すことにした。


「ええ、とっても元気。あの頃からすっかり見違えたみたいね」


「……あの頃?」


 話から察するに、昔はそうでもなかったようだ。


「少年が入所してきたばかりの頃よ。何でもかんでも自分を卑下して、口を開けば謝罪ばっかりだったわ。……今のあなたそっくりね」


「そうだったんですか?」


 あんな元気で、活力が溢れ、夢を追いかけている少年が、昔は自分を卑下していたという事実。貴治には信じられない。


「ええ、自殺してしまうんじゃないかってくらい繊細だったわ。なんでも、幸せな家族だったにもかかわらず親が二人とも重罪を犯したとかで逮捕されたのよ。テレビなどで大々的に報道された結果、同級生にもバレてしまい学校ではこのことでひどくいじめられたらしいの。すっかり自尊心をなくしてしまって、大好きなサッカーもできず、親がつけてくれた名前すら誇れなくなった」


 聞くに堪えないような、少年の過去を静は何の躊躇もせずに言った。

 貴治は、あまりに想像することすら躊躇している。そして思ったのは、それでも少年は最終的に前を向いたということだ。


「しまいには、施設を抜け出して橡平良山に逃げたのよ。私で保護したわ。とはいえ、それじゃ駄目だって内心わかっていたんでしょう。強い子だから。だから私たちはサッカーボールを渡したわ。ちょっとやり方は強引だったかもしれないけど、無理に遊ばせたの。それでも、あの子の目は輝いていたのよ。やっぱりサッカー好きなのねって」


 静は強い子だと言った。

 それは貴治も聞き取れた。自分と違って、少年はすごいのだと。


「それでもまだ少年はまだ名前すら誇れるような段階じゃないの。でも、転校先ではよく友達とサッカーしてるって聞くわ」


 まだ少年は、過去を乗り越えている最中なのだ。誇りを取り戻せる日を願って、毎日毎日サッカーを続けている。


「それで……あなたは一体いつになったら元気を出すの?」


 貴治は少年の勇敢さに感心していると、突如話が自分に飛んできた。


「え?」


 話が飛んでくると予想していなかったため、当然だが口を開いても困惑の言葉しか出てこない。


「あなたはいじめられたわけでもないでしょう? 名前だって女になった今でも使ってる。少なからず誇りを持ってるからじゃないの? 小学五年生にできたことがあなたにはできないの?」


「……それは、僕と違って少年は強いから」


 弱った貴治の心が生み出した言葉に、静はかつてないほどの怒りを覚えた。


「覚悟なさい……」


 一方的に呟くや否や、貴治に急接近。作り笑いを浮かべているその頬を、本気で殴った。

 鈍い音がした。

 少女ということもありそれほど強い衝撃ではない。しかし、痛みが伝わるよりも先に、静が自分を殴ったという衝撃は脳に伝わり貴治は混乱する。


「あなたは本当に愚かね。ここまで愚かだと思わなかった」


 静はそっぽを向いて、ただ吐き捨てた。相手の気持ちなど微塵も考えていない、尖った言葉ばかりを並べて。


「私の家に入ったのも、どうせあなたが先だったんでしょう? 触ったのも全部。あーあ、宗亭くんもかわいそーね。こんな愚か人に振り回されてさ。彼もきっと内心思ってるわよ」


 辛辣な言葉の数々に、貴治は涙目になりながらもその場で蹲るしかない。耐えなければならないと思っているから。


「それにしても彼はすごいわね。こんな面倒な子に付き合わされてさ。私だったらとっくに付き合い止めてるわ。彼も思春期ですし、他の友達やら彼女やらとの関係で忙しいのに、あなたの軽挙妄動に付き合わされて結局尻拭いをするのは彼ですもの。同情するわ。あなたは──」


 静が話しだした貴治の悪口は止まらない。

 そして、その悪口が貴治の限度に達したときだった。

 貴治は泣き崩れた。


「もう止めて! もうやめてよぉ……」


 人通りのある道だというのに人目を一切憚らない、号泣だ。


「あなたがここまで粘るからでしょう? 全く」


 静は貴治が泣き崩れている場所の隣に座ると、手に持っていたハンカチを貴治の顔に押し付ける。


「思いっきり泣きさない。泣くことにはストレス解消効果があるのよ」


 貴治は何をするわけでもなく、ただ泣き続けた。

 静はただ貴治の隣で泣くのがやむまで何もしない。

 結局、貴治の呼吸と横隔膜の痙攣が落ち着つくまでに数十分を要した。


「落ち着いた?」


「……ええ」


 息も絶え絶えにながらも、貴治は頷いた。


「で、結局なんであんなことになったの? 私が行った後に何があったの?」


「……僕って、ネギもろくに切れないし、洗濯物も濡らしちゃったし、愛想を尽かされたと思って、それで大祐と喧嘩しました」


「はぁー」


 静はわざとらしい長い溜息をついた。


「最初に言ったでしょう? あなたが家事なんてしたことないのは把握しているし、ミスするのも想定内。でもちょっと手紙の書き方は悪かったと思うわ、ごめんなさいね」


 会釈程度ではあるが、静は頭を貴治に下げる。


「あなたは私の手のひらの上で踊っていたの。家事でやらかしたヘマも想定内。あなたが落ち込むことなんて一つもないの。むしろ目障りだからさっさと自分に自信を持ちなさい」


 静は貴治の頭を撫でながら、優しい声で言った。先の青年よりは言い方は悪いが、貴治にとってはとても心地よかった。


「……はい」


 貴治は静にとっての雑用である。他に住める場所もない以上、静のいうことを聞かねばならない。

 実際、静が言ったのは命令として受け取れる文言だ。だが、静は命令であれど命令したとは思っていない。


「……自信を持ちたいです」


 長い時間をかけて貴治が選択したのは、肯定だった。少しだが首を縦に振る。けれども、あくまでもそれは希望。とはいえ、静は何も言わない。少しでも前を向けたからだ。

 だが、その言葉と同時に枯れたはずの貴治の瞳から再び涙が溢れ出してくる。

 前回ほどひどくはないが、声を殺しつつも感泣する貴治。


「全く、泣きすぎよ。ハンカチびしょ濡れじゃない。ただでさえ雨で洗濯物乾かないのに」


 とはいえ、その泣いてる顔は、笑顔だった。


「やっと笑ったわね、たっちゃん」


 静も、つられるように笑った。


◇ 


「いいんですか? こんなにゆっくり歩いて」


 児童養護施設からの帰り道、静と貴治はゆっくりと帰ることになった。


「急ぐ理由なんてないし、私としてはいろいろ疲れているのよ」


 特にあなたのせいでね。と言わんばかりの視線を受けつつも二人は進む。

 普段は滅多に橡平良に行かない静。しかし、たまには静と一緒に歩くのも新鮮だと貴治は思えた。

 他愛のない雑談をしながら橡平良公園へと到着する。日中は子どもたちが多い公園だが、暗くなっている上に雨という状況では子どもはほとんどいない。大人がかろうじて数人いる程度である。


「夜になると寂しくなりますね、ここの公園」


「……そうね」


 静は何かを憂いているように同調した。


「それにしても、どこ行ってたんですか?」


 貴治は本題を切り出した。

 ここまで待っていたのは、街で万が一聞かれていた場合大変なことになるからだ。しかし、今から向かうのは橡平良山への登山口。じっくり話すには最高の場所だった。


「どこって波照間島まで飛んでいったのよ」


 特に自慢するようなことでもなく、平然と言う静。貴治は転移のことを知っているから平然といられるも、もしこれが街中で聞かれていたら静はきっとお嬢様か何かに思われていたに違いないと貴治は思えた。


「最初電車で羽黒市まで行ってそこから転移しようと思ったけど、羽黒市まで向かう気動車が大雨のせいで土砂崩れが起きて通行止めになったの。仕方ないから電車で津軽海峡渡って、電車とバスを乗り継いで赤井川村までまで行ってそこから波照間島まで転移。帰りも同じことをしたのよ」


 静は苦労したように語った。


「そういえば倉敷さん、なんであの場所がわかったんですか?」


 貴治にとってこれが一番の謎だった。


「雨なのに帰りがあまりにも遅いから、たっちゃんの居場所を天占術で特定したのよ。そしたら治安の悪い商店街だったものだから万が一に備えて拳銃を持って来てあげたのよ」


 天占術にGPSのような機能があったことに驚きつつも、それよりも驚いたのは別のところだった。


「え? 太陽系儀って修理中じゃないですか」


「私が使ったのはこれよ」


 静は懐から長さ十センチにも満たない小さな太陽系儀を出した。


「こんな小さくても効力あるんですね」


「何を勘違いしているのか知らないけど、太陽系儀の大きさは全く関係ないわよ」


「え?」


 静たち二人が家へと到着した際、二人とも留守だったというのに明かりがついていた。


「あれ? なんで明かりがついているんですか?」


 不思議そうに聞く貴治だが、静の方はさしずめ驚いている気配はない。理由を知っているようだった。


「ああ、波照間島の星使いに修理を頼んでいるのよ」


「ああ、なるほど」


 貴治は波照間島の星使いが太陽系儀の修理を行っているということを思い出した。


「さ、入るわよ」


 静が家の入ろうとした瞬間だった。近くで、物音がした。

 ここにいるのは静と貴治の二人だけだ。波照間島の星使いは、現在リビングで頑張って太陽系儀の修理をしてくれている。

 大祐はありえない。あれだけの大怪我を負っているのだ。雨の中こんなところまで歩けるはずがない。


「誰? まさか……」


 静が辺りに警戒態勢を強める。

 一方で貴治には白い粉の売人という単語が脳内をよぎる。またしても全身から力が抜けてその場に座り込む。


「なんだか怖がらせてる? 怪しくないよ!」


 聞こえてきたのは警戒している二人とは対称的に、この場所には似つかわしくない女性の声だった。とはいえ、警戒を弱めてよい理由にはならない。

 すると、観念したのか近くの草むらから一人の少女が出てきた。


「あなたは……?」


 貴治は、この少女が誰かわからなかった。

 体格からしておそらく、貴治や静とほぼ同年代か、その上。静の知り合いかと思い静の方を見る。だが、静は信じられないものを見たかのように体を静に震わせていた。


「なんで……?」


 震える静に対し、目の前の少女が静へとゆっくり近づいた。


「大きくなったね、静」


 そう優しそうに声をかけたのは、静の実の姉である遥だった。

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