第十二話 隣の町の暗闇の道

「全く、人の気も知らないで……」


 貴治は眉間に皺を寄せ、山道にある石を力一杯に蹴り飛ばしながら山を下っていた。そんな中、道の分岐点へと差し掛かる。

 山道には無駄に詳しくなってしまっている貴治は、大祐への対抗心と相まって初めて進む下山道を選択した。山道に慣れている貴治にとって進むのは決して難しいことではないが、やはり雨のせいで思ったほど早くは進めず下山には四十分近くを要した。

 初めて進んだ道から見えたのは、橡平良とは別の街だった。

 近くの電柱を見ると、ここは貴治たちの暮らしていた街、橡平良の隣町のようである。ほとんど用件がないため、通過したことはたくさんあれど数える程度にしか行ったことがなかった。

 だが、街を探索しても面白いものなどなにもない。寂れた商店街、営業しているのかわからない謎の店、ローカルチェーンのスーパー、そしてコンビニがあるのみだ。知らず識らずの内に、日はすっかり暮れ始めていた。

 家とこの街を結ぶ道は仮にも初めて進んだ道だ。夜間に迷子になる可能性がないわけではない。何より、この雨がネックだった。これ以上降られたら山道を歩く危険性が増してしまうから。


「はぁ……会いたくない」


 貴治は大祐のことをよく知っている。きっと今でも大祐は静の家で貴治の帰りを待っているに違いないと。

 もし雨の山が怖くて早く帰ってしまったら、それはもう大祐に喧嘩で負けたのも同然だ。

 無駄に強いプライドが、今帰ることを固く拒否する。


「もうちょっとだけ暇を潰すか……」


 夜もすっかり暮れた八時頃ならさすがに帰るのではないか。そんな風に考えつつ、さらに隣街を練り歩くとひどく寂れた商店街を見つけた。

 もう夜とはいえ、開いている店舗は一つもなく街灯すらろくに灯っていない。おまけに、シャッターも年月を感じさせられるものが多く随分前からこのようになっていたのだろう。


「こら! ここには入ってはいけません!」


 声の方を見てみると、三十代ほどの女性がこの商店街に入ろうとしている子どもに対して強く叱りつけていた。

 子どもは不服そうであるが、やはり危険なのだろうか無理に子どもを連れて去っていく。

 そして、周囲に誰もいなくなると貴治はこの商店街へと入っていった。

 誰もいない静かな場所というのは、喧嘩して落ち着きたい貴治にとって魅力に思えてしまったのだ。

 そんな中、ふと後ろから足音が聞こえる。


「ねえ君、俺と一緒に遊ばない?」


 そこにいたのは、いかにも不良ですと言わんばかりの染髪、着崩し、ピアスなどの典型的な格好をした二人組。

 とはいえ、貴治はあくまでも大祐と反発しているのであって社会そのものに反発しているわけではない。付き合う気は全くなかった。


「悪いですけど、お断りします」


 足を早めて不良たちを引き離すため早歩きをし、気配が消えるとまた静かな場所を求めてゆっくりと歩き始めた。

 不良たちが完全に視界から消えると、近くのシャッターにもたれかかって一息ついた。

 だが、すぐに誰かの気配が近づいてきた。先程の不良かと思いすぐに立ち去ろうとするも、後ろから優しく声をかけられる。


「君さ、何か悩みとかある? わかるよ、つらいよね」


 自分を慰めてくれるかのように、誰か知らないが優しく語りかけてくれた。思わず貴治の足が止まってしまう。


「うーん……さては、何か失敗しちゃったんだね。でも大丈夫、こんなつらい気持ち忘れたくない?」


 青年の言う通りだと貴治は思えた。自身の失敗で人間関係を大きくこじらせてしまったのだから。

 実際の所、青年が使ったのはただのバーナム効果であり他人の心情を見破る術などあるはずもない。

 貴治はゆっくりと声のする方を振り向いた。そこには優しそうな笑みを浮かべた青年が、懐から小さな袋を取り出した。中には白い粉が入っている。


「俺から君へのプレゼントさ。無料でいいよ」


 不思議とその袋が魅力的に見えた。だが、もし受け取ってしまえば人生が大きく悪い方向へと変わってしまう。そのことも薄々理解する。


「今なら特別サービス、ガラスパイプもついてくるよ!」


 青年は陽気にもガラスパイプを取り出すと貴治の眼前で見せつけた。


「一回くらい大丈夫だよ、注射痕も残らないし。実践して見せようか? こうやってパイプに粉を入れて、下からライターで炙るんだよ」


 するとガラスパイプからゆっくりと煙が立ち上った。その煙を、青年は芳しい花園にいるかのように大きく息を吸い込んだ。


「はぁ……」


 青年は煙を吸い込むと狂気的な笑みを浮かべ恍惚とする。


「慣れてくるとちょっと刺激は弱いんだよね。でも、ゆっくり、じっくり楽しみたい人に向いているよ」


 青年は煙を楽しむと、ガラスパイプを貴治に渡してきた。

 一回くらい、そんな甘言が脳裏をよぎるがもしこれを受け取ってしまったらきっと、もう戻れなくなる。


「大丈夫、嫌なら一回でやめればいいんだから、さ?」


 心地の良い青年の甘言。手がゆっくりとガラスパイプの方へと向かう。

 だが、もう戻れなくなる。

 そう思い、そのガラスパイプをはたき落とした。

 アスファルトに打ち付けられたガラスパイプは、当然の如く割れてしまった。


「あーあ、どうしてくれるの。ガラスパイプだってタダじゃねーんだよ」


 青年からは優しそうな笑みはすっかり消え失せ、そこにいるのはただの怒らせてしまった犯罪者だ。

 逃げなきゃ。そう思いすぐに逃げ出した。だが、ただでさえ運動神経があまり良くない上に性転換したことでさらに悪化している。

 青年に追いつかれないわけがなかった。

 案の定逃げて数秒で肩を掴まれると、そのまま腹部に拳を入れられた。

 声すらろくに出ないままその場に倒れると、青年は貴治を掴もうとする。


「貴治!」


 その声に、青年は貴治を掴もうとするのを止めて声のする方へと振り向いた。青年は貴治の名前など知らない、それでも声の方に振り向いたのは青年の耳を劈いてしまうかのような大きな声だったからだ。


「うるせぇな、近所迷惑だろ」


 大祐は、貴治のことを見えてはいなかったのだ。

 大祐は元々、静の家で貴治の帰りを待つつもりだった。しかし、雨だというのに夕暮れになっても帰る気配がない。いくらなんでも遅すぎると感じた大祐は、何かに巻き込まれた可能性を感じ、治安の悪いことで有名なこの場所に訪れたのだ。

 そして大祐は、すぐに彼の元へと走り出した。その場に貴治がいる確証はないが、少なからず青年に怪しさを感じたからだ。

 彼の元へ向かう時にその場に倒れている貴治を発見する。


「貴治!」


 青年は不機嫌にながら大声しかあげない大祐に眼をつける。

 にもかかわらず、大祐はそんな青年のことなど無視して貴治の元へと急いだ。


「しっかりしろ、大丈夫か?」


 貴治は自分が何とも情けなく思えてきた。

 自分は家事すらろくにできない不器用で、家主はどこかに行ってしまい、自分に助言に来てくれた友達と喧嘩。おまけに変な男に目をつけられ、挙句の果てに喧嘩していた友達に助けられる。

 これをみっともないと言わずしてなんと言おうか。滑稽過ぎて笑えてきそうだった。


「ごめんね、大祐」


 貴治には何もできない。謝罪する他なかったのだ。


「いい感じの所悪いが、あんたそいつの彼女かなんか? こちとらそちらさんに商品壊されたんですよ。弁償してもらえます?」


 青年は、大祐を不愉快そうに見下した。

 一方の大祐は一度道路に散らばったガラス片を見る。もちろん、その中に埋もれている煙をあげる白い粉も。


「0.2グラムで、ガラスパイプもついて無料サービスと行きたかったんですがね、もうも壊されてはね……二万円でいかがですかね?」


 青年は手を出した。手のひらに金を置けという合図だ。だが、当然だが大祐に払う気などさらさらない。

 一方の貴治は、腹部の痛みがようやく治まりやっと電柱に掴まりながら立った。大祐はどんな行動に出るのかと思いきや、大祐は青年に対して踵を返し走り出した。すぐさま貴治の腕も掴み暗い商店街を駆け巡る。


「ちょっと、速いよ大祐」


 貴治は必死で大祐腕を掴まれて走っているのだが、ついていくのに精一杯で道中幾度も転びかけた。


「そんなこと言ってる場合か」


 悠長なこと言っている場合ではないのだが、転んだりしてしまえば元も子もない。結局頻りに貴治の方を見る羽目になり、そして後ろからついてくる青年も見える。


「急ぐぞ!」


 貴治に合わせて走っていたら間違いなく青年に追いつかれてしまう。到底貴治が追いつけられないペースで走り出すが、それも一瞬。すぐに貴治は足元を躓いてしまいその場に倒れた。


「うぅ……」


「全く、無駄に時間取らせやがって」


 追いついてきた青年は、何を思ったのか貴治の首根っこを掴む。

 路地裏に連れ込まれ何をやられるのか。貴治は考えただけで恐怖で身がすくみ身動き一つ取れない。


「止めてくれ!」


 本気を出せば逃げられるであろう大祐は、逃げようとはせずにただ青年の前まで来た。


「一々うるせぇんだよ。で何? 金払ってくれるの?」


 大祐は、おとなしく財布を青年に渡した。

 青年は財布の中身を確認するが、二万円もの大金など入っていない。かろうじて五千円が入っているだけだった。


「五千円か……まだまだ足りんな。これじゃ大赤字だ。まあでもこの五千円はありがたく貰っておこうか。さて、となると後一万五千円分どうしようか……」


 青年は改めて貴治の方を向いた。

 転んだときの痛み、そしてこれから起こることに対する恐怖心でひどく怯えている顔だ。


「へぇ……」


 青年は、怯えている貴治を見て気分が良くなった。加虐嗜好なのだから。


「そうだな、俺だって鬼じゃないからな。ちょっとおまえさんの彼女貸してくれるだけで許してやろうか」


 青年は不敵な笑みを浮かべると貴治に近づいた。ますます怯える貴治に、さらに血湧き肉躍る。


「それだけ止めてくれ!」


 大祐が出しゃばってくるが、今の青年にとって大祐は金を払ってくれないとわかればただの邪魔者に過ぎなかった。


「だから一々うるせぇんだよ!」


 青年は大祐よりも大きな声を出してその頬を殴った。

 その勢いはすさまじく大祐は一メートル近く吹き飛ばされる。

 それでも、大祐には止めようとすることしかできない。必死に青年の足にしがみつき、貴治に手を出さないように求め、挙句の果てに散々殴打を浴びせられた。


「ったく、おまえの彼氏ちょっと重いな」


 青年は動かない大祐を蹴り飛ばすと、ゆっくりと貴治に近づいた。その様子は、獲物を捕らえた肉食獣と抵抗できず死を悟ることしかできない草食獣。彼氏彼女の関係ではないなどと言えた状況ではない。

 貴治が覚悟を決めた次の瞬間、静な商店街に大きな音が響いた。

 日本では滅多に聞くことのできない発砲音である。

 さすがの青年も近くを警戒した。

 闇の中からゆっくりと姿を表したのは、一人の少女。静であった。

 静はその拳銃を慣れた手付きで青年に向けた。


「悪いけどそこの二人、解放してもらえるかしら?」


 静は青年を睨んだ。


「何だおまえ」


 青年が静のことを聞こうとすると、有無を言わさず静は青年の真横目掛けて発砲した。


「聞こえなかった? 二人を解放してっていったの。もしかして耳が悪いの? きっと耳の風通しが悪いのね。その萎縮してそうな頭蓋骨に穴でも開けたら多少は聞きとりやすくなるんじゃないかしら?」


 青年はゆっくりと近づく少女に、こんなにも恐怖を覚えたのは初めてだった。必死に抵抗を試みる。


「俺は今は一人だが、仲間が見つけたら容赦しないぞ?」


 青年は、薬の売買組織の末端構成員だ。仲間が報復に来るということも本当だ。

 だからこそ目の前の少女を脅すも、少女は顔色一つ変えはしなかった。


「そうなの? で? 何? 私にはもう恐れるものなんてないの」


 意味深長の発言の意図は青年にはわからない。だが、間違いなく死の覚悟があるということだけはわかった。分が悪くなった青年は、渋々逃げていく。

 残されたのは、怪我で動けない大祐と、精神的に参ってしまい動けない貴治。そして何も言わずに二人を眺める静だった。


「ったく、なんてことしてくれてんのよ」


 静は怒りの感情すら湧いてこなかった。強い口調というわけでもなく、ただ呆れたように言った。


「ごめん」


 貴治は静から顔を逸らして答えた。面と向かい合う覚悟すらないのだから。


「とりあえず、さっさとここを去りましょう。警察なんかに見つかったら面倒だし」


 そう言って未だに動かない大祐の様子を確認する。散々殴打されたとはいえ、命に問題はなさそうだ。


「あなたも、早く起きなさい」


 大祐は既に意識を取り戻していた。

 貴治は自責の念からかすぐに大祐の元へとかけより容態を見る。


「大丈夫?」


「ああ……っ!」


 だが、声を出すたびに苦悶の表情を浮かべる。この様子では歩くことさえままならない。けれども、無理に大祐を起こして歩いても時間がかかるし、警察に出くわさないとも限らない。もし見つかれば、大祐の怪我の具合を見て大事にされるかもしれない。所持品検査などさせられれば、静は銃刀法違反で警察に連れて行かれる。それだけは避けたかった。


「車に乗った方が良さそうね。でもタクシー代ないし……。そうだ、あんたの親御さんに迎えに来てもらいましょう」


 静は、我ながら名案だと思えた。思い立ったが吉日とばかりに、静は貴治に目配せをした。

 貴治は大祐の懐を漁ってスマートフォンを取り出し電話リストから実家と思われる名前につなぐ。


「大祐? どうしたの?」


 大祐は今声を出すことが厳しい状況だ。また、大祐の母親と静は一切面識がない。この場にいて話せる相手は一人だけなのだ。

 貴治は大祐のスマホを手に取ると耳に当てた。


「あのー。大祐くんの親御さんですか? 実はちょっと今大祐くんが怪我をしてしまって、通話することが難しい状況なんですよ。ちょっと迎えに来てもらっていいですかね?」


 そう言うと電話に出ている大祐の母親はすぐに通話の相手が誰かを理解した。


「ああ、この前の子ね。わかったわ。で、どこにいるの?」


 驚いたような、懐かしんでいるような大祐の母親に住所を伝え終わり早々に電話を切った。

 そして、貴治に我慢の限界が訪れた。


「大祐……本当にごめんね……」


 貴治は咽び泣いた。

 そのおかげで貴治は力が抜けろくに大祐を運べなかったので、結局静が大祐を引きずって商店街の前まで移動させる。

 そして数分もしない内に一台の車が商店街の前に止まる。大祐を乗せると、ついでとばかりに貴治と静も乗せてもらえることとなった。

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