第十話 心を穿つ秋の雨
「買い物しなきゃ……」
十月二十一日、静は慌てていた。
だが、傍から見ればそう嘆いているだけで行動が伴っていない。
事実、彼女はリビングの椅子に座り頬杖をついている。
「そういえばどこで買い物しているんですか? 見たことないんですけど」
「そりゃ、橡平良周辺で買い物してたらいつ家族と遭遇するのかわかんないからね。決して大きくない町だから、いつかは遭遇する危険がある。だからいつも遠い街で買い物してたんだけど──」
静は太陽系儀を見た。常日頃から整備されていた甲斐があって古めかしさは感じるものの新品という印象が強い。だが、こんな真新しい外見をしていてもなお栄枯盛衰の理には敵わない。動かないのだ。
いくら点検をしても、異常は出てこない。部品が古くなっていたりはするが、そんな簡単に壊れるものではないのだから。
一応会議の際に一応点検をお願いしたのだが、まさかその前に壊れるとは思っておらず、点検の予定は三日後だ。
その間は、太陽系儀が使えず遠くの街への瞬間移動もできない。
「でも、だからと言ってあなたに任せるのもね……」
静はテーブルを挟んで座っている貴治の方を見た。
貴治は困惑しているのが表情でわかる。
「そ、そんなに信用ないですか? 僕」
貴治は、家事が得意ではないというのが重々承知である。それでも足手まといにならないように努力はしているつもりだった。
とはいえ、小口切りが縦切りになっていたり、他にも些細なミスを連発している。
「そうじゃないのよ。生憎今持ち手がないのよね」
静は財布を中身をばらまいた。常に一定額は保有しているが、羽黒駅と橡平良駅の移動に大金を使ってしまったために手持ちはないのだ。
「つまり、何も買えないってことですか?」
「違う違う。手持ちがないだけでちゃんと銀行には入っているのよ」
静は一枚のキャッシュカードを取り出した。橡平良信用金庫。つまりこの辺りの金融機関である。
「とりあえず、私一人で買い物に行ってくるわ。後、雨降ったら洗濯物入れておいてね」
なぜ自分を連れて行ってくれないのかと思う貴治。
だが、先日お金のことを聞いた際の静を思い出す。誰にも聞かせないと言わんばかりの表情だった。
今回も、一人でを強調している辺り自分に見せたくないことがあるのかもしれない。そう考えると、とてもじゃないが一緒に付いていくなど言えたものじゃなかった。
静は扉を開け、雨の中下山し麓の橡平良公園まで降りる。時刻はちょうど夕方。この時間帯まで待ったのは、本来学校がある時間帯に移動すれば何かしら言われると考えたからだ。
ふと公園にある時計塔を見た。時刻は十六時を指している。
「四時か、急がないと」
傘を持った右手とは反対の手で肩に下げたマイバッグを掛け直すなり、真っ先に向かったのは近くの信用金庫だ。ATMコーナーへと向かい、キャッシュカードと通帳を入れて、暗証番号を入力し引き出し金額の入力画面が表示された。
迷うことなく10,000と書かれたボタンを押すが、しばらく動きを止めた後削除しATMの最大引き出し額である500,000と入力し、引き下ろした。
50万円もの大金を持つという経験は初めてだった。普段なら道路を歩くことに何の緊張もないが、大金を持つだけで見える世界は変わってくる。道路を歩く人、自転車、自動車。すべてが自分の50万円を狙っているのではないかという錯覚に襲われる。
そんな考えを払拭しようとふと道路に設置された自動販売機が目に入った。
「……頭を冷やそう」
一応小銭くらいは持っていたため、お金を入れてブラックコーヒーを買う。
「……苦い」
静は思わず顔を顰めた。
敢えてブラックコーヒーを買ったのは、邪な考えを払拭したかったからでコーヒーはそもそも常飲していない。
というか、そんなお金はない。井戸から組み上げた水を沸騰さただけのただの白湯が静にとっての定番の飲み物なのだから。星使い会議用の茶葉も持ってはいれど、コーヒーなど数年飲んでいない。
スーパーに到着すると、コーヒーを飲み干して店の前にあるゴミ箱へと捨てて中に入っていく。
はっきり言って、子どもである静が買い物をしているとそれは目立つ。悪い意味ではないのが幸いだ。もちろん、スーパー内には子どもなんて普通にいるし、子どもだけで来ている人もいる。とはいえ、彼らはほぼお菓子や飲料しか買わない。生鮮食品を買う子どもなんて稀だろう。
周りから見て静は、おつかいや家庭の事情で買い物に来ている子どもという認識だ。
「あーやだやだ。なんでこんな哀れみの視線を送られなきゃなんないの?」
静は小声で呟いた。目立ちたくないというのが静の本心だ。そもそもスーパーなんて大人がほとんどなのは理解している。
だが、いつもは都会にあるスーパーに行っていた。すぐ近くに中学や高校などがあるため、買い物に来る学生も多くそれほど目立ちはしない。
だが、橡平良はれっきとした田舎だ。それに、静がいるスーパーは橡平良唯一の学校からは遠かった。必然的に都会にあるスーパーとは感覚が異なる。
他の理由としては、洋服ではなく半纏を着ているということもあるが静にとって半纏は当たり前過ぎて考えたことはない。
「さっさと帰ろう」
静は会計を済ませ、サッカー台でマイバッグに荷物を詰め込むと一目散に山へと向かった。
「さっさと太陽系儀直さないと……」
点検は三日後だ。だが、静の頭の中は一目散に直さなければならないということでいっぱいだった。
◇
静が買い物に出かけていた頃、貴治は家の中でただ退屈な時を送っていた。一応スマホはあるが、速度制限にかかってしまった上に充電も心許ない。万が一のときに備えると、やはりここでスマホを使うべきではないという結論に至った。それでも暇であるため、ちょっとくらいと思いスマホを開いた。
「うーん……」
スマホといえば楽しいものという印象が強かったが、冷静になって使ってみるとそれほど楽しいというわけでもない。自分はいつもスマホで何をしていたのかと思えるくらいには。
北日本全域で雨が降るなどのニュースを確認すると、すぐにスマホの電源を切った。
改めて暇になった貴治は、この静が暮らす洋館の捜索をしようと考える。
静は時折、貴治に冷徹な態度を取ることがあった。しかし、特にこの部屋に入っては駄目などとは言われたことがないからだ。
貴治は、よく使う洋館の部屋を通り抜けて一度も入ったことがない部屋へと来た。ドアノブの時点で埃を被っているため、静ですら普段から立ち入らないことは明白だ。恐る恐る開けてみる。
「……物置か」
中に入ったのは大量の箱、コンテナなどだった。中身も、鍬や鋤などといった農具である。しかも相当錆びている。
他の箱を覗いても何かに使っていたであろう錆だらけの鉄屑ばかりであり本当にただの倉庫のようだった。これ以上いても埃まみれになってしまうため、早々に立ち去り別の部屋へと向かうことにした。
「ん?」
洋館の最奥部にある部屋。貴治はもちろんとして、静がこの部屋に出入りすることは見たことがない。しかし、ドアノブは綺麗に埃が払われていた。
ドアも、年季は感じさせるものの丁寧に掃除されているようだ。
貴治はドアノブをひねり、中へと入ってみる。
「おじゃまします」
誰もいないことはわかっているが、どこか生活感があったのだ。そう言わざるを得ない。
薄暗い部屋の中は、つい先日まで誰かが住んでいたといっても信じてしまいたいほどに整然とされている。だが、静の持ち物とは思えないものもいくつか存在する。
「……拳銃?」
近くにあった箱に入っていたのは拳銃だった。それも一丁だけではない。数丁転がっていて、近くの箱には弾倉も大量に入っている。静がこんなものを持っているわけがない。可能性としては彼女の師匠関連のものだろう。徴兵検査から素質ありと判明し星使いになる人も多いと聞いた、おそらくはその師匠は軍人か何かだったのだろう。師匠について詳しく聞いたことはないが、その存在だけは仄めかされていた。
「そうなると」
改めて貴治は部屋全体を見回すが、床や壁、天井に至るまで放置されていたとは思えないほど綺麗になっている。静が掃除していたと考えられる。このことから察するに、静は師匠の部屋に何かしらの思い入れがあったのだろうと。
ともなれば、第三者である貴治が部屋を荒らすのは不適当だ。立ち去ろうとした時、近くの箱の上に一枚の写真が置いてあった。
一〇歳くらいの笑顔の静と、八〇代くらいの同じく笑顔の高齢男性が並んでこの山の上の館をバックに撮った写真だ。
二人が並んでおり静は手を伸ばしているようだったため、静が撮ったものだろう。
「……。この頃から親の元を離れて?」
担任の話を聞くに、静の親は静のことを探しているしているようだった。もし、この写真が静の家族が撮ったものなのなら、とっくにここに静が住んでいるということはわかっているはず。つまり、この時点から親に内緒で親元から離れていたと考えられる。
だが、所詮貴治はただの居候。他人の家族の問題に口出しすべきではないのである。
貴治は写真を元通りの位置に置くと、この部屋を出てリビングへと戻りソファに腰掛けた。ふと目に入ったカレンダー。貴治が性転換してしまったのは十三日から十四日にかけてであり、今は二十一日。思うのは家族や友人、学校のこと、学校のこと。
さすがにこれだけ長くもなれば学校も何かしらの動きを取っているかもしれない。警察に失踪届を出されているかもしれない。
自分がいなくなったことにより、多くの人に迷惑をかけている。
だが、どんなに考えても貴治にできることは一つもない。そのことを受け入れられずにソファの上で藻掻くのみ。
「……どうすればいいんだろう」
全てを静に任せっぱなしだというのに、自分では何もできなくて。家事すらろくに手伝えてない。
ふと外を見たところ、雨が降っていた。そして、静から言われた言葉を思い出す。
「あっ! 洗濯物!」
急いで取り込んだ時にはもう遅かった。どれもこれもびしょ濡れである。コンサバトリーに干してみるが、乾くまで当分時間がかかりそうだ。
静から言われていたのにもかかわらず、すっかり失念していた。洗濯物をびしょ濡れにしてしまったという事実は、重く貴治にのしかかる。自分で自分が嫌になってきた。
「あれ? ……」
頬を伝う感触があった。
自己嫌悪の涙だ。
「もういいや、寝よう」
どうせ静が帰ってくるまでは何をしようにもできないのだ。リビングに戻ると、八つ当たりするようにソファに寝転がり目を瞑る。
しかし、眠れない。
部屋はほの暗く、物音もしないというのに貴治が眠りに付いたのは時計の時針が半回転した後だった。
「はぁ……。散々な目に会ったわ……。って寝てるの?」
家に帰ってきた静は、ソファで寝ている貴治の姿を見る。だが、どうも寝苦しそうだ。頻りに寝返りを打とうとしていた。
「あなたも大変ね」
そう優しく呟くと、近くの棚からブランケットを取り出し貴治の上に被せ、静も同じソファに座る。
そして、洗濯物がないことに気が付きあちこち探した結果、コンサバトリーにある湿った洗濯物群を見つけた。
「はぁ……。疲れるわ」
リビングに戻ってみると、貴治の顔色がだいぶ良くなった。寝苦しさは解消されたようで安らかな顔で眠っている。
「さて──」
静は真剣な面持ちでカレンダーを見上げた。
「もう、時間がない」
静は考えた。
太陽系儀が動かなくなった本当の理由を。
「やっぱり、たっちゃんが……。我ながら愚かなことをしたわ。鍵をかけ忘れたばっかりに。まあ、私が考えても仕方ないことだから」
静は、基本的に鍵はかけない。そもそも、辺鄙な場所にある上にほとんどの人に見えないのだから警戒する必要が皆無だったからだ。
静は考えたことを呟くが、この程度の小声では貴治は目覚めない。
そして数刻後、貴治は目が覚めた。
「ん……まっくら」
寝た時はほの暗かった室内も、今では真っ暗闇だ。目が慣れるのと寝る前の記憶を呼び起こすと、すぐに暖炉をつけるためにマッチで火を擦り暖炉の中へと放り込む。無事に着火したようですぐに暖炉は明るくなった。
「それにしても、倉敷さん帰ってないの?」
静は基本的に日中しか外出しない。そもそも、家は電化していないため日の出とともに起床し日の入りとともに就寝するからだ。
「倉敷さーん?」
暖炉の火を蝋燭へと移し、静の部屋を訪れる。しかし、静がいる気配はない。気になって他の部屋を回るも静はいなかった。
リビングへ戻ってきた貴治だったが、リビングにあるテーブルに封筒が置いてあるのを見つけた。
暖炉の火による光は予想以上に範囲が狭いため、最初暖炉に火をつけたときに影となり見落としていたのだ。
貴治はその封筒を取ると、中身を確認する。
「えっ!?」
中に入っていたのは一通の手紙と、一万円札が十枚。恐る恐る手紙を開いた。
『数日間出かけてきます』
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