第七話 家の主の星使いは
「お誕生日おめでとう、静」
静は母親から誕生日を祝われていた。
目の前には火のついた蝋燭がかかった誕生日ケーキ。そして、同じテーブルには母親と静のほかに姉と父親も同席していた。
だが、何かがおかしい。
見える景色も、どこかぼやけている。
「おめでとー」
「もう静も五歳か。つい先日生まれたばっかりだと思ったんだがな」
その時、静は思った。
これは夢の中なのだと。いわゆる明晰夢というものだ。
懐かしく、静がまだ家族と一緒に居た頃の温かい思い出だ。
静は母親を見た。しかし、顔には靄がかかっていて見えない。
「どうしたの? 静」
母親は、自分をただ見つめてくる静に驚いた。
「なんでもない」
静はそう答えた。
「そうなの? じゃあケーキ食べましょうか。切ってあげるね」
母親はケーキを小さく食べやすいサイズに切り分けた。
それを受け取った静は口いっぱいにケーキを頬張る。頑張って咀嚼を進め飲み込むと、母親の方を向いて笑った。
「おいしいね」
自分の娘の笑顔につられて笑顔になる母親。だが、静はどことない違和感に気がついた。
「おかーさんは食べないの?」
「私はいいのよ、好きなもの食べて」
遠慮がちにいう母親は、どこか様子がおかしかった。姉は気がついていないが、父親も薄々気がついているらしく心配そうに母親を眺めている。
母親は、心配されるのがいたたまれないのか席を立とうとした。だが、その時突如急激な咳込みを始める。不吉な乾いた咳は連続して十数回にも及び、姉ですら心配そうに母親を見た。
「おかーさん? 本当に大丈夫?」
静はケーキを食べるのを止めて、母親の元まで向かった。
「ええ、大丈夫よ私は元気」
そう言いながら優しく静の頭を撫でた。
◇
山の頂上にある静の家。静が知る所ではないが、十九世紀末に造られたという洋館。当然だが、当時は電化されてなどいない。
そもそも、県内で電化が始まったことですら明治三十一年なのだ。当然だが、その当時でも県庁所在地に六百三十二灯ほどである。
そんな県庁所在地から各駅停車の電車に乗り約一時間ほどかかる橡平良、しかも山頂が電化されているわけもなかった。なんでも、当時からこの館は秘匿されていたようで、電気工事士も来れないのである。
もちろんだが、上下水道やガスもない。
そんな現代人からしてみれば大層不自由であろう館にある一室。静が寝室として使っている部屋で、静がベッドの上で体を起こしていた。
まだ眠たいのか、目は虚ろで何か行動するわけでもなく上半身だけ起こした状態のまま数分が経過。徐々に覚醒してきた静は伸びをすると、ベッドを下りた。
リビングへと向かい、時計に目をやる。
「……ああ、そうか」
静は昨晩のことを思い出す。正午ごろに起きることを見越して静は、貴治が来る時刻を午後以降に決めた。しかし、まだ十一時だというのに目が覚めてしまっている。
「……寝るか」
特に何かするわけでもない。もう一度寝ようと寝室へと向かっていた時、ドアノッカーがなった。
本来、この館は普通の人間から見えることはないのだ。だから、ドアノッカーも鳴らされることはない。鳴らせられるのは限られている。
不審に思いながらも、静は玄関まで向かいドアを開けた。
そこに立っていたのは、貴治だった。着ている服も、昨日と全く同じものだ。
「早いわね」
別に静は貴治を非難するつもりはない。午後以降に来いと命じたのは、貴治の睡眠時間を考慮してだ。自分から早く来たのであれば、それに越したことはない。ドアを大きく開けて、早く中に入るように促すが貴治の様子が変だ。
どうしたものかと思っていると、貴治は体をもじもじと動かし始める。
「その、お願いなんですけど……。これから泊めていただけませんか!?」
貴治は大きく頭を下げた。
「別にいいけど。どうしてそうなったの?」
貴治は静から何と言われるのか不安だったが、静は嫌な表情せずに了承してくれた。別に、別に泊まらせることに異論はないのだ。同級生の
部屋は使い切れないほどに余っているし、早朝や夜遅くまで雑用を命じられる存在はむしろ好都合だった。
しかし昨晩の大祐の様子から察するに、贖罪の意味も兼ねて大祐の家に泊まらせるのだろうと静は思っていた。
「そ、それは……」
貴治は、さらにもじもじと体を動しながら昨晩の出来事について語った。
「……なるほど。で、いたたまれなくなって私んちに逃げ込んだと?」
「仰る通りでございます」
語るまでもなく静に思ったことを当てられ、恥ずかしいという思いこそあれど何ら異論はない。だが、あまり静は興味なさそうだった。
「ふーん、わかったわ。早速だけど、家事手伝ってくれる?」
「いいですけど、あんまりしたことなくて」
「元男の中学生なんて、もとより期待してないから安心して」
励ましの言葉なのだろうが、期待していないようにも聞こえてどうにも調子が乗らない貴治だった。
「じゃあまず、洗濯物干してくれる?」
静が指差したのは服などが入ったランドリーバスケット。当然だが静は一人暮らしのためそこまで量は多くない。
ランドリーバスケットを手にして、庭へと向かう。そして、物干し竿に一枚一枚丁寧にかけていく。そんな中、静が身につけている下着をバスケットの奥底から見つける。
今は同性とはいえ、元男である以上貴治に女への帰属意識は薄い。どうすればよいのかわからず静を目で探す。
静は庭にあるコンサバトリーの近くにあるベンチに座って貴治を眺めていた。特に面白いことなどないのだが、手際が気になるのだろう。
しかし、静からすれば下着を持ったまま戸惑っている貴治は面白いものだった。貴治を見るなり、失笑を禁じ得ずに口元を押さえていた。
「普通に干してもいいよ。別に外からは見れないんだし」
静が大笑いしながら述べた。できれば事前に聞きたかったが、雑用の分際であるので仕方ない。その後も作業を続けたが、物干し竿に洗濯物をかけるのはあまり経験がなく、かつ静から見られているので落ち着かないものだった。物干し竿に洗濯物をかけ終えると、木製の洗濯バサミで止めてなんとか作業を終える。空になったランドリーバスケットを抱えながら静の元へと向かった。
「倉敷さん。終わりました」
「そう、なら後は好きにしていいわ。私用事があるから」
そう言い残すと、ベンチから立ち上がる。
元々静一人で十分に行えるほどの家事量なのだ。すべて貴治に押し付けるならまだしも、静もすべて押し付けるつもりはない。
というか、ろくに家事経験のない貴治に変に任せてしまえば大変な結果になってしまうことも想像に難くない。だからこそ、静は簡単な作業しかさせていないのだ。
「用事? 倉敷さんは何するんですか?」
「天気占いだけど、見る?」
天気予報とは違う、天気占い。どのように占うのか、貴治には興味があった。本人が見られることに同意しているということもある。
「あ、はい。見させてください」
貴治はランドリーバスケットを片付けるとリビングへと向かった。使用するのは、もちろんあの巨大な太陽系儀である。
静は太陽系儀の前で呪文のようなものを唱えると僅かではあるが、青白く発光する。しかし、貴治が見た昨日ほどは光っていない。
「なんか調子が悪いかも」
その後も、呪文のようなものを述べ続けてようやく太陽系儀が動き出す。だが、思ったほど動いていないのか静が顔を顰める。
しかし、貴治からすれば太陽系儀の中にある星はきちんと動いているように見えた。
「本来はね、もっと早く動くの。冥王星も一周一秒もかからないくらいに」
太陽系儀という名前だが、中心部に太陽があり、その周りに水金地火木土天海冥と等間隔が続いている。もし現実の距離と比例させようとしたらとんでもないことになるため、誰も作らないだろう。
「うーん……。今日は晴れね。でも、明日の天気がよくわからない」
太陽系儀の目の前に立っている静は、どういうわけか天気占いの結果を知り得たようだ。
「どうやって知っているんですか?」
「……ん? ああ、なんかわかるの。うまく言葉では表せないけど」
貴治にとっては理解できない事象ではあるが、貴治自身自分が性転換してしまったのだ。どうにかして天気占いの結果を知り得た程度など、対して不思議とは思えなかった。
「そういえばさ」
静は太陽系儀の星々を触りながら突如貴治に話しかけた。
「はい」
「私の家って他の人から見られないようになってるんだけど、どうして見えたの?」
静は、このことをずっと疑問に思っていたのだ。一応は他人から見えないようになっているはずなのだから。
しかし、貴治は疑問に思った。どうして見えたのかと問われたところで、見えたのだから仕方ないと返すほかない。他にどう答えろと。
「そうは言われても、見えたものは見えたので……。そういえば大祐に誘われたときに、半月の日に星使いの館がここに現れるって聞いてたんですけどそれって関係あるんでしょうか?」
大祐が聞いたという噂を述べてみるが、その時静の顔色が変わった。何か思い当たる節があるというような顔だ。
「……半月の日?」
静は反芻するように聞き返した。
「ええ、そうですよ」
貴治の言葉が聞こえたのかはわからないが、静がほんの僅かな時間熟慮した後頭を抱えた。
「……そういうことだったのね」
静は一人で納得する。しかし、貴治からすればわけがわからない。
「……どういうことです?」
わからない貴治のために静は説明してくれた。
「星使いはね、星々の配置によって調子がいい日と悪い日があるの。それで、私は半月の日に調子が悪くなるってわけ」
静は説明する。しかし、貴治からすればイマイチ理解し難いものだった。思わず首を傾げた。
「……それってどういう?」
そもそも新月満月云々により何が影響されるのか。そして、よりにもよって新月満月のいずれかではなく、よりにもよって半月である。
「満月や新月ならわかるんですけど」
「そういうものなのよ。飲み物だってそうでしょ? 熱い飲み物は美味しいし、冷たい飲み物もまたおいしい。けれど、ぬるい飲み物っておいしくないでしょ? そういうことよ」
言っていることはわかるのだが、どうにもうこうにも腑に落ちない説明を聞きとりあえずそういうものなのだと受け流すことにした。
「そういうもんなんですね。……ということは、新月や満月が近づくと僕はこの館が見えなくなるんですか!?」
新月や満月が近づき、貴治がこの館が認識できなくなってしまったら住む場所を失ってしまう。これは困ったことだと、内心は大慌てだ。
「ああ、それなら大丈夫よ。あなた達が寝ている最中にあなた達二人を天占術で例外的に見えるようにしておいたから」
平然と言ってのけるが、とんでもないことをしているのではないかと思う貴治。しかし、今までの常識を超えた事象の数々によりどう反応すればよいのかわからなかった。
ただ、一つの単語が気になった。
「天占術?」
「天を占うとかいて天占術。星々の位置から物事を読み取ったり、逆に呪文みたいなのを唱えて星々に影響を与えてそれらで理を改変するんだよ。そして、天占術の使い手が星使い」
天気を占うのに使ったあの太陽系儀も、天占術と関係があるのだと知る。
「占うと書くのに、占い以外にも使えるんですね」
「その理屈だと『クラゲ』の文字が入っている『キクラゲ』はクラゲと同じ刺胞動物か
物事の内容や方法が変化するのに字面は変わらないことは多い。そういった意味でも、天占術は昔占う術だけだったことは想像できた。
「その、なんかすみません」
一応貴治は静に謝った。仮にも静は星使いだ。天占術そのものを悪く言われれば星使いにとって気分が良いものではないのはわかりきっている。
「まあ、いいけどさ……」
静はあまり気にしていないようだが、その口調はどこか愁嘆さを醸し出していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます