第六話 惑う言葉と耽る少年
「……眠い」
大祐は、一睡もしていないまま学校へと向かっていた。
学校に行く前に一応貴治からテストに出そうな部分を重点的に教えてもらった。だが、眠さの影響で全く頭に入らなかった。折角教えてくれている貴治に再び教えてもらうのも申し訳がない。
休もうとも考えたが、今日はテスト。赤点になれば補習や課題提出などやることがてんこ盛りだ。
仮に、テストをどうにかできても問題は終わらない。朝食中に母親と姉が貴治のことについていろいろと話し合っていたのだ。家に帰っても根掘り葉掘り聞かれることは間違いない。だが、貴治は静の家に泊まらせてもらう予定のため、そのうち母親や姉の興味が他のものに移るのを待つほかない。
なお、大祐が必死に頭を悩ませている間貴治は寝不足なのを考慮して、正午近くまで寝させてもらっている。
「だるいな、もう」
とはいえ、今日はテストなのだ。真面目に取り組まねばならない。学校へと到着し、教室に向かうと黒板に書かれているテストのスケジュールを見る。
『一時限目:国語』
寝不足の生徒を狙ったかのような選択だ。膨大な文章を読まされ、寝不足の生徒は眠さと格闘しなければならない。さもなければ、赤点になってしまうのだから。
「うわー。一限から国語かよ。絶対寝る自信あるわ」
クラスメイトの声を聞く限り、彼らもまた同じ意見のようだ。
だが、テスト勉強をしようにも眠さが襲ってくる。国語のテストを睡眠時間に当てて残りの教科をすっきりした状態で挑んだほうが総合点は上がるのではないかと考えてみたりもする。だが、確証はない。続く数学で奇問が出るとも限らない。
目を擦りながら国語のノートを見る。
眠さ故に視界がぼやけ、頭に入ってこない。おまけに、ノートに書かれている字は乱雑でなんと書いてあるかわからない。もちろん自分自身が書いたものなのだが。
結局、国語のテスト勉強は全く意味を為さずそのまま朝の会になった。
「よーし、すぐに朝の会始めるぞ。欠席は倉敷と……、長谷川か。珍しいな。さては勉強のし過ぎで体調を壊したな」
基本的に欠席することがない長谷川の欠席は、ちょっとした驚き程度だった。別の友人も、きっと風邪だろうという風に受け流している。
今でこそいいが、数日欠席すれば間違いなく問題になる。今大祐にできることといえば、倉敷のことを信じるだけだ。
そして、一時限目が始まった。
「始め!」
見張り役の教師の合図とともに生徒が皆テスト用紙を裏返し問題を見る。大祐も一応は問題を解こうと努力しているが、眠さ故に厳しかった。だが、とある文章が目に止まった。
『──セリヌンティウスは無言でうなづき、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。──』
国語の時間、幾度も音読させられた内容だが見るたびに驚く。なんとまあ厚い信頼関係なことか。
そんな時、大祐の脳裏に貴治の顔が思い浮かぶ。
大祐と貴治の関係は、親友という意味ではメロスとセリヌンティウスの関係とよく似ていると思えた。
囚われのセリヌンティウス、女性になってしまい学校や家族の元へと帰れない貴治もまたある意味囚われの状態と言えるだろう。
では自分は? 自分は何をしている? そんな思いが大祐を苛んだ。
メロスは、川の氾濫に巻き込まれ、山賊の襲来にもあったが最終的にはセリヌンティウスの元へと駆けつけた。尤も、セリヌンティウスが囚われる原因となった出来事はメロスが発端ではあるが。
貴治が館に真っ先に入ったのは事実だが、無理に触らせたのは自分である。おまけに、貴治を連れて泊まれるように図ったものの断念した。貴治に言われる形で。
そして、悠々と中学校でテストに挑んでいる。
この構図が、貴治のことを見捨てたようでどうにも気に入らなかった。
問題は走れメロス以外からも出題されているが、大祐は走れメロスだけを眺めていた。
メロスとセリヌンティウスの友情。フィクションと理解しているし、他の問題も解かねばならない。にもかかわらず読めば読むほどに苛立ってくる。
メロスはうまくいっていた。途中挫折しかけるも、一応ゴールは最初から見えていたのだ。
一方でこちらは、そもそも貴治を男に戻すというゴールが見えてない。いくらすぐに戻れるとは言われても、実際に努力してくれているのは自分ではない第三者。大祐がいくら足掻いた所で、進捗状況には何も影響がない。
現実でうまくいかないやるせなさを、メロスがうまくいっているのを見てただ嫉妬しているだけなのである。
「もういいや」
大祐は、テスト問題を解くのを止めた。補習でも課題提出でも、なんでも受け入れるつもりだ。ただ、一人で先に抜け出したくはない。それは大祐が、貴治にできる唯一の贖罪でもあった。一人だけ補習や課題提出は寂しいかもしれないが、二人なら怖くないのだと。
結局国語のテストは名前を書いたのみで提出することを決め、残りの時間は全て睡眠時間に充てることにした。その後の数学も、理科も。同様に名前を書いた後は机に突っ伏して寝るのみ。
午後もテストがあるのだが、午前中にたっぷりと睡眠したおかげか午後はだいぶ眠さも和らいできた。とはいえ、午後に行われるテストも同じように名前だけ記入し後は突っ伏す。さすがに寝すぎたためか、伏しても中々眠れる気がしない。そのため、静の元へ行き貴治が何か困っていないか考えていた。
食材はどうやって手に入れているのだろうか? 街中で見た覚えがない。では、必要なお金はどこから?
貴治が困っていない考えているはずだったというのに、途中から静に対する問いへと変わっていった。
自給自足をしていると言っても限度がある。それに、静は橡平良中学校のテスト期間を把握していた。山にずっとこもっていればそんなこと覚えているはずがない。少なからず街には降りていることになる。そして、なぜ一人暮らしをしているのか。「倉敷についてみんな知らないか? 家出しているらしいんだが、教えてほしい。親御さんも困っていた」と少し前に担任が言っていた。
いくら考えても謎が解けるどころかむしろ増えていくのいう事態。他の生徒がテスト問題に頭を悩ませている中、大祐は本気で静を取り巻く謎に頭を悩ませていた。結局、謎を一つも紐解けぬまま午後の授業が終わり帰りの会に入った。
「連絡事項は以上だ。明日もテストだからちゃんとテスト勉強して来いよ? 後、課題提出忘れんなよ。後は……あっ、宗亭。ちょっと残ってくれ!」
帰りの会の途中、大祐は担任の教師から居残りするように要求された。その後、身支度を終えた大祐は担任の元へと向かうが「ちょっと来てくれ」とだけ言うと、そのまま職員室へと連れていかれる。
職員室で自分の席に座った担任は、大祐の顔を見た。
「なあ宗亭。長谷川のこと、何か知らないか?」
その言葉を聞き、大祐は心臓を掴まれたように縮み上がった。手汗が滲み出る。
しかし、この動揺を悟られてはならない。落ち着かねばならなかった。
「貴治に何かあったんですか?」
大祐は少々声が上擦りながらも、自然な発話を心がけた。
「ああ、何でも昨日。宗亭と一緒に山に行くと行ったっきり戻ってきてないらしいんだ。何か知らないか?」
恐らくは、貴治の実家が手がかりを求めて学校に連絡してきたのだろう。対外的には家出の一言で済むが、そもそも貴治は家族と仲がいい。喧嘩だって滅多にしないのだ。そもそも、一々行き先を告げているということは喧嘩していなかったと考えるのが自然だ。にもかかわらず、貴治が家出を行ったというのは家族は到底納得しないだろう。
「い、いえ。橡平良公園で別れた後、それっきり」
担任に嘘を付くのはまだいい。だが、貴治の家族にまで嘘をつくというのは、後ろめたい気持ちでいっぱいだ。緊張故か、不安故か、手汗の量が尋常ではないほどに溢れ出て水滴と化す。
「そうか、わかった。だがこのこと、他に生徒には言わないでくれるか? 無駄な混乱を招きたくはない」
まだ一日だけということもあり、あまり大事にはしたくないとのことだった。
「はい、わかりました。何かあったらまた連絡します」
「ああ、助かる」
大祐は職員室を出ると、真っ先に深呼吸をした。副交感神経を優位に立たせて、このやるせない思いをせめて落ち着かせようとしたのだ。濡れた手を振って水滴を飛ばし改めて帰ろうとした時、大祐の目の前に一人の女子生徒が現れた。履いている靴からして、大祐の一つ上。中学三年生のようだった。
「ねぇ君。ちょっといい……?」
「は、はい。何でしょう」
大祐は、彼女とは特に出会った覚えはない。宗教勧誘か、浄水器の押し売りか、あるいは壺なのか。強く警戒する。
「倉敷静って子知らない?」
この一言により、大祐は別の意味で警戒する。これは言ったほうがよいのだろうかと。
今思えば、静に不登校の理由などを聞くべきだったかもしれないと。しかし、不機嫌になってしまえば貴治を男に戻すことに協力してくれなくなる可能性もある。本人の口から直接聞いてはいないが、闇雲に個人情報を晒すのは得策ではないだろうと考えた。
そして、大祐は話しかけてきた女子生徒を見る。静を捜索をしているのだ。不登校であることくらいは知っていてもおかしくはない。ではなぜ大祐に聞いたのか。彼女は三年生で見かける機会が少ないとはいえ、他の人に片っ端から話しかけてきたら噂の一つできても不思議ではない。
さまざまなことを考えていた大祐だったが、あまりにも考える時間が長すぎた。彼女にとっては、いきなり話しかけられて動揺していると思われたのだろう。
「いきなり話しかけてごめんね。もし何かあったら私、三年二組の倉敷遥に教えてくれる?」
そう言い残すと、他の人に聞くわけでもなく去っていった。
「倉敷?」
名字からして静の関係者だろうかと考える大祐。事実、姉妹がいるという情報は聞いたことがあった。だが、名字ならたまたま被っていたという可能性もある。とりあえずは、安易な憶測で判断せず直接聞いた方がよいだろう。そう考え昇降口へと向かっていると、スマホの音がなった。メッセージが来た音だ。
「ん?」
大祐がメッセージを確認すると、それは貴治からのメッセージだった。『今すぐ来てくれ』と。
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