第二話 山の上の奇妙な館

 貴治は家から歩いて橡平良公園へと到着した。

 五ヘクタール近くの面積がある公園だ。また、桜樹林や遊歩道も設置されている。

 近所の住民や運動好きの子どもにとっては見慣れている風景なのだろう。しかし比較的家から遠い場所にあり、かつあまり外出しない貴治にとっては、見慣れぬ景色であり新鮮に思えた。


「さて」


 貴治は大祐の姿を探し始めた。時刻は十四時五十七分。到着していてもいいころである。大祐は時間ギリギリに来る人間だっただろうかと悩ませていると、貴治へと近づく足音が聞こえた。

 振り向けば、リュックサックを背負った大祐がいた。


「よう」


「それじゃ山に登ろうか」


 合流も済ませたので貴治は登山口へと向かおうとするが、大祐が貴治を引き止めた。


「だがその前にちょっと待ってくれ」


 大祐が向かったのは遊具が沢山置いてありかつ木々が生い茂る公園のスペースだ。何をするのかと貴治は不思議に思う。


「あっ、いた」


 大祐は何かを見つけると走り出した。

 見つけたのは、小学校五年生くらいの少年だ。彼はリフティングベルトをつけて、リフティングの練習していた。

 そんな彼も、大祐のことに気がついたようで動きを止める。


「あ、大祐にい!」


 少年は大祐の元へと駆け寄った。


「よう、少年。リフティングベルト買ったんだ?」


 大祐が注目したのは少年の使っているリフティングベルトだ。以前から欲しいと言っていたものだ。


「寄付してくれた人がいたんだ」


「そりゃ良かったな」


 大祐は少年の頭をわしゃわしゃと撫でる。まるでおじさんのすることのようだが、大祐と少年は三歳ほどしか離れていない。


「ああ、紹介するよ。少年だ。児童養護施設で暮らしているが、サッカー選手を目指して日々頑張っているんだ」


 児童養護施設。貴治はニュースで幾度も聞いた言葉だが、全く気にしたことがなかった言葉でもあった。今目の前にいるのは児童養護施設で暮らしている少年で、入所することになった経緯などつらいことがあったのは想像に難しくない。

 ……にしても、大祐は少年呼びしているが本名なわけないよね? と思わず訝しんでしまった。


「はじめまして、長谷川貴治です。それにしても少年くんは本名は?」


「名乗るほどのものではありません故」


「あ、はい」


 貴治は大祐の方を方をものいいたげな目で見た。絶対何か変なことを吹き込んだのだと。


「じゃあ俺たちもう行くな。また今度練習に付き合うから。少年も頑張れよ」


「はい、頑張ります」


 少年は大祐たちに深々と頭を下げて見えなくなるまで下げたままだった。小学生とは思えない異常な上下関係を遵守しているため、ある意味将来が不安であった。


「すごいね、彼」


「ああ、たまたま知り合ったんだけどな、あいつは絶対大物になる」


 皮肉を含んだ発言だったが、大祐は全く気にせず素直に少年のことを褒め始めた。

 その後二人は、登山口へと向かい木々が青々と生い茂る山の中へと踏み出す。

 足元は当然だが舗装はされていない畦道。落ち葉はないため、きちんと土の色が見えるが、よくよく見ると地面を這う虫がちらほら。中には、七番目のアルファベットに略されることも多い虫が高速で這っている。だが、家で見るほどの怖さはない。


「ところで貴治、ここって初めてか?」


 道中、会話がないことを嫌ったのだろう。大祐が話しかけてきた。


「そうだね、僕は基本的に運動とかしないから。ここの公園がこんなに広いなんて今初めて知ったよ」


「ここの公園はいいよ。グラウンドとかも広いから、よくサッカー仲間とサッカーするんだ。春なると、桜樹林とか満開で本当に綺麗だからな。桜を見に行くだけで行く価値はあるよ」


 長期休暇になれば増えたり、試験前になると減ったりしているがサッカーはおおよそ週に一回ほどだ。一年間に五十回近く来ているのだから、当然公園の変化に対しても気付けるのだ。


「大祐がそんな桜に興味を持つなんて意外だよ。てっきりサッカーばっかりで他に目もくれていないのかと」


 桜の花の美しさが、正直大祐にわかっているとは思っていなかった。もしかしたら今でも思っていないが貴治を誘い出すために敢えて興味があるように言っているのかもしれない。

 それでも、元々桜が桜が綺麗なことは有名だし、親友である大祐に誘われたとあっては行くことも吝かではなかった。

 その後も、二人は山の中を登り続け頂上へと到着する。それほど高い山ではないため、十分もあれば頂上へと到着できた。


「おお……。初めて登ったけどいいなここ。……ところで、貴治大丈夫か?」


 大祐がふと後ろを振り向くと、そこには蹲って口元を押さえている貴治の姿があった。

 日々運動に明け暮れて体力がありなんてことはない大祐とは違い、貴治は根っからの引きこもり体質。基本的に学校と買い物以外で外に出るということは殆どない。学校の成績は極めていいのだが、体育の成績が残念なおかげで成績優秀者に送られる賞を逃していた。どのくらいひどいかと言われると、中学生三年生であるにもかかわらず小学生五、六年生相当の体力テストの結果なのだ。


「はぁ……はぁ……」


 やがて貴治は、服が汚れることも気にせずに地べたに腰をおろした。腹部は一定のリズムで膨張と収縮を繰り返し、遠くからでも呼吸しているのがわかるほどに深呼吸を繰り返していた。おまけに10月で多少は涼しくなってきたというのに全身から汗をかいており、首元は汗だらけだ。


「タオルあるけど使う?」


 念の為に用意していたタオルを差し出すと、今にも消えてしまいそうな掠れ声で「ありがと」といいタオルを拝借する。

 顔も首も、汗ばむところを全てにタオルを押し当てて汗を吸い取る。

 タオルはすっかり汚れてしまったが、何らためらう様子はない。


「ちゃんと洗って返せよ?」


 大祐は念の為に釘を刺しておく。


「わかってるよ」


 大まかに汗を吹き終えた貴治は、タオルを畳み鞄へとしまった。

 貴治と大祐は昔から一緒にいたため、遊ぶときも汚れるときもいつも一緒にいた。片方がタオルを忘れて片方がタオルを貸すことなど、よくあることのため何ら気を置くこともなく貴治は周囲を見渡した。


「それにしても……」


 山と言っても小さな丘に等しい。山の頂きから見えるのは、まず市街地と日本海。そこから貴治は全方位を見渡してみるものの、標高四桁メートルはありそうな山々、山の上に広がる森。そして見下ろせる市街地。それだけしかない。噂に聞く家なんてものはないどころかそもそも人工物が見つからない。小屋の一つでもあればまだわかるのだが。


「大祐? 本当にあるの?」


 疑いを孕んだ目線で、貴治は大祐を怪訝な目で見つめた。


「そ、そりゃ。山の頂上にあったら視認し放題なんだからもうちょっと人から見えないような場所にあるんだよ。きっと」


 大祐は自分でうなずき、自己肯定化を図る。

 貴治はため息をつきながらも、大祐が言っている星使いの家とやらを探すことにした。

 だが、こんな山の上のどこに家があるのか。

 いくら山が覆われていたとて、さすがに家の一軒くらいあれば衛星写真からも見えるし市役所の担当が来訪してもおかしくはない。いや、別に来ているのかもしれないが個人情報保護云々で秘匿されている可能性だってある。


「大体、山の中探してどうするの? スマホの衛星写真からも見えないし」


 貴治はスマホを取り出しいつも使っている衛星写真を用いた地図サイト、そして別の地図サイトも確認するが、やっぱり家らしきものはない。


「もしかしたら、上から見ると山と一体化しているように見える家なのかもしれない。それに、衛星写真サイトから証拠写真を抹消できるほどの権力者なのかもしれない」


「まあ、前者はありうるかもしれないとして後者はないでしょ。わざわざこんな場所に住む理由がない」


 衛星写真から視認できるような家なんか建ててしまえばどこぞの一軒家を探し求めるテレビクルーが来訪してせっかくの閑散とした生活が台無しになってしまう。そういった意味からも前者の可能性はある。

 だが、上空から見て山と一体化するような家を建てる労力や金があったら他のことに使えるはずだ。よっぽどの金持ちならあり得るが、ここは景勝地でもなんでもないのである。わざわざ建てる意味を感じられない。

 もしも後者だったとしても同様だ。


「やっぱり噂は所詮噂だよ……」


 貴治は早く帰りたかった。一番に理由は体力的にきついからである。まさか自分の体力がここまで衰えているとは思ってもいなかったのだ。親友の大祐と一緒に山の中をくまなく探すという今の状況が決して楽しくないというわけではないが、明日全身筋肉痛にもなってテストの際に最大限のパフォーマンスが発揮できなくなるというのは大問題だった。


「やっぱりそうなのかなぁ……。よし、後一時間探して見つからなかったら帰ろうか」


 同意してくれたのかと思いきや、後一時間。決して耐えられないわけではないため、貴治は後一時間の辛抱とばかりに気合を入れ直し大祐についていくことにした。

 二人はどんどん山の奥へと進んでいく。なおこの山は歩道が整備されていないが、各所に看板があったりと目印になるような物はが所々に置かれている。何かあったら歩道を戻り看板通りに進めばいいため遭難の心配は特にない。

 やがて、大祐が示したタイムリミットまで後十分となったとき貴治は不思議なものを見て大祐にもわかるように指差した。


「ねぇ、あれなんだろ?」


 貴治に見えているのは、地面から出たり入ったりしているわけではない。組み立てられたり解体されているわけではない。文字通り顕現と消失を繰り返す謎の壁だった。


「あれって?」


 大祐は貴治が指差した方向を凝視する。しかし、そこには何もない。貴治が何を伝えたいのかがよくわからなかった。


「あれだよ、あれ。消えたり出現したりしているやつ!」


 貴治は文字通りということを理解しているが、大祐は実物は視認できておらず貴治の言葉に頼るほかない。しかし、貴治が言ってきたのは少々理解するのが困難な文言だ。見えていないことも相まって大祐は完全に混乱していた。

 一方の貴治が、大祐が視認できないことに苛立っていた。そのため、どんどん早足でその壁へと近づいていく。高さは、貴治が見上げないと一番上が見えないほどに高い。八メートル近くだろうか。横は五、六メートルはありそうだが、顕現のたびに範囲が変わっている。横は三メートル近いときもあれば十メートル近いときもあるのだ。


「おい、貴治」


 混乱していた大祐はすぐに貴治の後を追いかけた。そして、貴治が壁の目の前についたにもかかわらず視認できていないのか辺りを不安そうに見回している。


「だーかーら! この壁だよ」


 貴治は目の前に現れた壁を叩いた。触ることに不安もあったが、近くで見れば見るほどにただの壁だということがわかった。顕現と消滅を繰り返していなければの話だが。


「ん? って、え! なにこれ!?」


「えっ!?」


 大祐は、ようやくその壁を視認することができた。しかも、視認したのがちょうど壁が目の前にある時だ。驚きのあまりその場に尻もちをついてしまう。

 そして、貴治も同じように驚いていた。自分が触った瞬間、顕現と消滅を繰り返していた壁は消滅を止めて全体像が見えたからだ。

 その見えたものを表すのに一番ふさわしい言葉は、『魔女の家』だ。高さから察するに二階建てなのだろう。庭らしきものはないが、中世ヨーロッパにありそうな比較的大規模な庭付きの洋館。二人はそう思えた。


「これが……星使いの家?」


 貴治は驚きを隠せなかった。なにせ貴治はすっかり星使いの家の噂をただの流言飛語だと思い込み現実にはないものだと思っていたからだ。

 大祐も同様に、ただ何をするわけでもなく貴治同様に家を見る。もしかしたら、今まで生きてきた中で一番建築物を凝視していたかもしれないと思えるほどには。


「ん? 貴治?」


 貴治は、この家に呼ばれているような気がした。

 決してそんな声がかかったからというわけではない。不思議と足が勝手に動いたのである。そして、貴治自身もその奇妙な出来事に困惑しつつも足を止めようとは思えなかったのだ。まるで引き寄せられるように、どんどん貴治の足は星使いの家へと近づいていく。


「入ってみよう」


 貴治は、不思議な気分だった。勝手に人の家に入ってはだめだと親からも学校でも散々教え込まれたことだというのに謎の高揚感に支配されていた。


「貴治!」


 大祐の制止の声が届く。しかし、貴治は何食わぬ顔で大祐のことを無視すると庭に入った。敷地内を囲う壁は柵はないためだ。

 そして、庭の中にある扉までの整備された歩道を進み星使いの家の扉に触れた。そして、ドアノブを思いっきり捻るとゆっくりとその扉を開けた。

 中は薄暗い。まだ太陽は沈みかけているとはいえ登っているというのに夜中ではないかと錯覚させるくらいの暗闇だが奥から僅かな光が漏れていた。恐らく、家の主とされる女は留守にしているのだろう。


「お、おい……」


 大祐はすっかりその背徳的な行為に尻込みしてしまったようでいつものような元気さはない。

 玄関、廊下を抜けて最奥部にある広いリビングへと到着する。そこには机や椅子といった現在でも通用するようなものは存在するが、数多の星々が描かれた絵。見たこともない文字の羅列。そして、リビングの中央に鎮座するのは巨大な太陽系儀だ。大きさは三メートルはあるだろう。若干発光しており、常に中の星は動き続けていた。

 他人の家に入ることにすっかり尻込みしていた大祐だったが、いざ入ってみるなり感じられる非日常感に心躍らせずにはいられなかった。

 一方の貴治は、巨大な太陽系儀に思わず心を奪われた。どうやって動いているのか不思議だったが、それ以上に触ってみたいという謎の魅力を感じる。まるで磁石で引っ張られているような。

 しかし、仮にも他人のものである。不法侵入している分際で説得力がないのは理解しているがさすがに他人のものに触れるのはまずかろうと思った。

 貴治は手を太陽系儀に近づけては遠ざけを繰り返す。

 そんな行為を、大祐は目にした。不法侵入しておりもう罪は犯しているのだからちょっとくらい触ったところで大した問題はないだろう。そんな軽い考えだった。そして、大祐は思い切って触らせてあげようと貴治の後ろからこっそり近づき、思いっきりその体を押した。


「うわっ!?」


 何が起きているのかも理解できていない貴治はそのまま今立っている場所に踏みとどまれずに太陽系儀に勢いよく触れる。しかし、異変が起こった。

 太陽系儀は一瞬、閃光を放ったのかと思うなりすぐに光を失い動きも止まった。

 また貴治と大祐が意識を失う。そして、リビングにはまるで時が止まったかのように静寂が訪れた。

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