半月の星使い

豊科奈義

第一話 テストの前のほんの息抜き

 静かで、仄暗い広い部屋があった。

 その部屋の隅には、大きな太陽系儀が鎮座しており天井部分と部屋の天井との間は数センチほど。

 そんな太陽系儀が、青白く光り始めた。そのかそけき光は次第に強さを増していき、部屋全体を明るく照らすほどまでに大きくなる。

 また、その太陽系儀は光ると同時に回り初めてもいる。回転速度も次第に速くなっていき、最終的には一秒間に数回転する程度の速度になっていた。

 太陽系儀というのは、いわゆる太陽系の模型だ。中心に太陽があり、水金地火木土天海冥と続く。冥王星は惑星ではなく準惑星となって太陽系の惑星から外れているのだが、この太陽系儀が作られたのは冥王星が太陽系の惑星から外された二〇〇六年より前に作られたものだからであった。

 そして、太陽系儀の目の前に目を瞑った少女がいた。

 この太陽系儀が光りだしてかつ回り始めたのも全て彼女の仕業である。

 方法は簡単だ。

 太陽系儀の前で言葉を紡げばよいのだ。

 実際、少女は太陽系儀を前にしてただただ言葉を紡ぎ続けている。


「……何も見えない」


 目を開いた少女は、開口一番そう呟いた。

 目を瞑っているのだから何も見えないのは当然かもしれない。

 だが、少女はいつもはきちんと見えているのだ。

 思わず少女は息を呑む。

 最悪の事態を考慮したからだ。


「も、もう一回!」


 何も見えないなんて信じないとばかりに強く目を瞑り、再び言葉を紡ぎ出すと改めて太陽系儀は青白く発光し回転を始める。


「……なんで、どうして」


 そう呟く彼女の顔には、困惑と怒りの色が見える。徐々に怒りの方が強くなっていったのか、歯を強く食いしばった。

 太陽系儀の方も、少女が言葉を紡ぐのを止めたために回転速度が遅くなり光も弱くなっていく。

 この再び薄暗くなった部屋の中には少女の他に誰もいない。愚痴を聞いてくれる相手も、八つ当たりできる相手もいないのだ。そんなやるせない気持ちに、少女はますます怒れてきた。


「あと、一か月もないなんて……」


 少女は、その場に崩れ落ちた。当初はその眼差しに隠れていた涙も、次第に顕現し少女の頬を伝い床へと静に落ちる。


「なんでなの──」


 いくら少女が嘆いたところで、理由も、解決策も何も教えてはくれないのだ。


「お母さん」


 その一言を言い終わると、その場にはただその場には太陽系儀がただ虚しく慣性で回転する音と少女の号泣する声だけが響いていた。



 日本海に面している田舎町、橡平良とちだいら町。海や山に囲まれた自然豊かな場所にある人口一万人強の小さな町だ。

 そんな小さな町の中には町唯一の公立の中学校が建っていた。橡平良町立橡平良中学校だ。

 そんな中学校の一室では、日中ということも相まって授業が行われている。


「竹馬の友っていうのはな、竹馬に乗って一緒に遊んだ幼い頃からの友人っていう意味でな、中国の故事が元なんだ。晋書しんじょに乗っていて──」


 壇上で舌を振るっているのは、国語教師だ。そして、ちょうど今国語教師が担当している教室の担任でもある。

 晋書や殷浩について熱弁しようとしている最中、ふと思っていた反応がなく教室内を冷静になって見てみる。すると、生徒のほとんどは寝ていたり、伏していたり、明後日の方向を向いている。素直に黒板を見ている生徒など十人もいないだろう。

 そんな中、教室の最奥部。いわゆる主人公席と呼ばれる一番後ろの窓側──の隣の隣。ギリギリ直射日光が当たるか当たらないかの境目くらいにいる生徒が、黙々と挙手をした。


「ん? 長谷川か、どうした? 質問か?」


 挙手した生徒、長谷川はせがわ貴治たかはるは、とにかく喋りたいのか自信満々に質問を待ち構えている担任に対してこう冷徹に告げた。


「余談はいいので早く本文の解説を。明日からテストですよね?」


 教師は呆気にとられた。どんな質問かと思いきや、教師への叱責である。とはいえ、余談ばかりしているのも事実であり、おまけに明日は中間テストである。弁解の余地はなかった。


「え? ああ、うん。そうだな」


 教師は少し落ち込むも、授業である以上手を抜くわけにもいかない。渋々本文の解説に入る。

 しかし、気を抜いてしまうのが人間の本性。すぐに話が余談に逸れるも、すぐに貴治から叱責が入る。その結果、あまり解説が進まないまま授業を終えて帰りの会を迎えてしまった。


「よしっ」


 何がいいのかはわからないが、教師は黒板に二学期の中間試験の日程を書き記し終わると、振り返り生徒一同を見渡す。そして、教壇を強く叩いた。


「いいか、そろそろ中間試験だからな。休むなよ。全員赤点もなく……」


 教師が受け持っているクラスと人数は全員で三十四名。しかし、目の前の席に座っているのは全員で三十三名。一つだけ、空席があった。

 たまたま保健室にいるとか、早退したとか、運悪く風邪を引いてしまったとか、そういうわけではない。

 教師がクラス担任を受け持ってから、一度たりともここの席に座るはずの──倉敷くらしきしずかは来たことがない。そもそも、入学してから一度も来たことがないようでもあった。

 同じ小学校出身の生徒なら見たことがあるのではないかと、教師も聞き回った。しかし、顔を見たものは少ない。また、どんな顔かと聞いても覚えていないという意見が多かった。なんでも、小学四年生の頃から来ていないのだという。

 いじめが原因なのか、あるいは他に問題があるのか。教師は彼女の実家に行ってみたのだが、彼女はいなかった。

 不思議なことに蛻の殻というわけではなく、親や姉はいるのだ。だが、静本人のみいない。何度行けどもいない。小学四年生の頃に家出をしてしまって以来、一度も顔を合わせていないのだという。

 元からいなかったなんて噂や、実は亡くなっているなんていう噂もある。とはいえ、一応住民票と戸籍もある。何より、彼女の父親は大切そうに写真を見せてくれたのだ。

 高校であれば除籍でいいが、義務教育である中学ではそう簡単に除籍できない。最初は教師も頭を抱えたそうだが、すっかり気にしなくなっていた。


「まあ、全員か。来年度は受験生だからな。普段勉強しない奴でも勉強しておけよ。それじゃ、解散」


 教師は言い切ると、生徒はこの言葉を待っていたかのように一斉に動き始める。

 そんな中、貴治はスマホを開き何か自分宛てにメールやメッセージが来ていないかを確認すると教科書とノート、そして塾の教材たちを大量に鞄に詰め込み始めた。


「なぁ、貴治。半月の星使いの噂知ってるか?」


 声をかけてきたのは、貴治の隣。ちょうど窓側の陽の当たる席に座っている少年。宗亭そうてい大祐だいすけだった。


「星使い?」


 貴治はその噂を聞いたことがなかった。また、星使いという言葉だけでは想像しにくい単語に興味を惹かれた。


「ああ、知り合いから聞いたんだがな。『半月の日、星使いと星使いの家が山の頂上に現れる』らしいんだ」


 解説を聞いても、いまいちピンと来ない。そもそも、星使いとは何なのか。なぜ半月の日にしか現れないのか。何らかの見間違いではないのか。

 そもそも、なぜ星使いだとわかったのか。直接訪れて見聞きでもしているのか、あるいは噂を流した張本人が厨二病なのか。どちからでもない限り星使いという単語が中学生から浮かんでくるとは思えない。


「ほーん……」


 あまり興味を持てない内容だった。すぐに帰り支度を再開する。


「もしかして興味なさげ? 一回くらい行ってみないか?」


「まあ、暇だったらね。で、その家ってどんなの?」


 大祐は、言葉に詰まった。あくまで家というのは、あくまでも伝聞だ。実際に目にしたこともない。


「さあ? とりあえず行こうぜ」


 大祐はあまり細かいことを気にしないのだ。


「わかったよ。で? いつにするの?」


「今日。確か、今日半月の日だったろ? 今から行こうぜ」


 そう言って大祐は貴治にスマホを見せる。朔望月さくぼうげつのカレンダーだ。今日、十月十三日はちょうど半月の日のようである。

 とはいえ、明日はテストなのだ。貴治は決して大祐と一緒に行くのが嫌というわけではなかったが、さすがにテスト前日に遊ぶのは遠慮したかった。


「え? 今日いくの? テスト勉強しないといけないし、学校の中間テスト終わったら次に塾のテストがあるし──」


 来月ではだめなのか。

 そう聞こうとするも、貴治の言葉はすぐに大祐の言葉によって遮られられた。


「別にいいだろ。だって貴治って毎日勉強してるから今さら勉強しなくても大丈夫だろ? それとも別のにするか? 隣町に営業している店が一つもないっていう商店街があって、治安悪化してるらしいんだがそこよりはいいだろ」


 大祐の言っている通り、毎日勉強しているためテスト前日に詰め込むことなどない。今までの勉強の復習をすれば十分なのだが、貴治は腑に落ちない。

 とはいえ、大祐はそういう性格なのだ。それは親友である貴治がよく知っている。これ以上拒否してもどうせ連れて行かれると考えおとなしく言う通りにすることにした。


「……わかったよ。ところで、昼でいいの? 夜じゃなくて?」


 夜の方が月の形がはっきりしている。だからこそ、貴治はすっかり夜に行くものとばかり思っていた。


「半月の日なら一日中星使いの家が出てるとは聞いたけど」


 貴治は納得した。昼でも月は隠れているだけできちんと存在しているのだ。夜はよくて昼がだめということはないのだと。


「じゃあそれで」


 あまり乗る気はないが、半月にだけ現れる人物と家というのは貴治にとっても少なからず興味を持てるものだった。本当であればの話だが。


「じゃあ今日の十五時。橡平良公園な」


 橡平良公園というのは、橡平良町の由来となった橡平良山の麓にある大きな公園のことだ。山の登山口の役割も果たしているが、運動公園としての役割も強く多くの子どもが遊んでいる。


「わかった、じゃあ行こうか」


 貴治は荷物を詰めた鞄を重そうに背負うと、大祐へと振り向く。


「おうよ」


 そう応えると、二人は一度帰って支度をするために学校を出た。


「それにしても、星使いって人も現れるんだよね? どんな人?」


 貴治はふと疑問に思ったことを大祐へと問いかけた。


「ああ、何でも若い女らしいぞ」


 何人も伝い大祐に伝わった話では、身長百六十センチ前後の女。顔はよく見えなかったそうだ。

 だが、噂は噂。おまけに何人も伝ってきたので途中で改変された可能性も高く信憑性は低い。


「服装は普通だったそうだ。どうせならローブとか着てくれた方が面白かったんだがな」


 大祐が歩きながら理想を嘆く。


「ローブって……」


 確かに、星使いというのはわからないが怪しい女ならローブを着ていてくれた方がしっくりとくるのだ。


「まあ、実際はそんな大したことないんだろうな」


 噂というものはどうしても誇張されやすいのだ。実際はただ山に住んでいる老人だということもあり得る。


「そうだね。見つからなかったらすぐ帰るか」


「ああ」

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