第十八話 それでも世界は変わらない
四年振りに親に会うのは緊張するものだ。
ただ、忙しくて会っていなかったというだけなら別に緊張しないのかもしれない。しかし、一方的に関係を絶ち、また親に会うとなれば話は別だ。
そのため、静は緊張していた。会う時の服装はこの半纏ともんぺで良いのだろうかと、今まで考えたこともないことが次々と浮かんでくる。
「……そろそろ行かないと」
十月二十四日の朝十時。静は結局そのままの格好で橡平良公園まで向かうことにした。
橡平良公園まで降り、先に待ってくれていた遥と合流する。いきなり実家に向かうのは精神的にもきついと考えてのことだった。
「その半纏気に入ってるんだね……」
橡平良山から降りてきた静を見た遥は、開口一番そう引き気味に発言した。
「ええ、やっぱり落ち着くのよ」
最初、洋館で暮らし始めた時は生活全てが慣れなかった。だからこそ、服装や食事を和風にして安心感を得ていたのだから。
「まあいいや、今日はお父さんに静のこと連れてくるって言ってあるから。もし、仲直りできないようなら私……」
問題があるとはいえ、静も父親も遥にとって大切な家族であることに変わりはない。仲良くしていてほしいと思うのは必然だ。
「そうは言われてもね、でもまあ心配かけたのは悪いと思ってるから」
二人は橡平良公園を抜けると、実家のある方向へと歩き出す。家族と鉢合わせになることを危惧して来ていなかったため、久しぶりに歩くことになる。
「ここの通りも、変わったね……」
慣れ親しんだ建物はなくなり、新しい建物が建っている。
そんな妹の様子を、遥はただ嬉しそうに眺めていた。
「さてそろそろ……ん?」
不穏な音が聞こえた。不穏な人の声が聞こえた。
しかし、そんな訳はないと思いつつ実家のある通りへと曲がった。
そこには、不穏な光があった。
「あそこ……うちじゃない?」
実家の前に停まっているのは、パトカーだ。警察官数人が家の前におり、何かを話している。
「え? 何? どういうこと?」
遥ですらわかっていないのであれば、四年も留守にしていた静がわかるはずもない。
遥は考えるよりも先にその実家の前に停まっているパトカーへと向かった。
「あ、あの。家に何か……?」
パトカーに近くに立っていた警察官に、恐る恐る聞いてみる。
「もしかして、この家の子かな? その、大変言いにくいんだけどね……ちょっとお父さんに覚醒剤所持の疑いがあってね……」
逮捕予定者の子どもに、こんなことを言わねばならないなど警察官も相当苦しい。
しかし、一番苦しいのは遥であった。
その時、実家の扉が勢いよく開いた。
父は、不器用でこそあれどそんなことするはずの人ではない。ちゃんと無罪を訴えるはずだ。
そう信じてやまなかった遥が見たのは、警察官二人に拘束された何の覇気も感じさせない父親の姿だった。
父親は、家の前で絶望を顕にしている遥に目が行った。そして、涙ぐみながら謝罪の言葉を口にする。
「ごめん、不甲斐ない親で、約束も守れなくて……」
父親はそう遥に呟いた。
無罪を主張するわけでもなく、ただ娘に謝罪の言葉をする辺りおとなしく罪を認めたということだろう。
「なんで……お父さん……?」
遥は、その場に立っていられなくなった。
「本当にごめんな、遥……と静」
改めて謝罪の言葉を口にする父親が見たのは、四年間ずっと会いたかった娘。
その娘は、蔑むような視線を父親に向けていた。
「静……よかった……」
逮捕されたとはいえ、一応静の姿を見たことから感極まってしまいそのまま涕泣した。
「こっちは全然良くないわ。最後くらい、立派なあなたに会いたかったわ……」
どこかずれているが、悪い人物ではない。そう考えていた静の、父親に対する印象は完全に潰えた。
そして、父親は泣きながらパトカーに乗せられるとパトカーは警察署へと向かっていった。
誰もいなくなった家の前に、少女が二人。一人は崩れ落ちており、もう一人は残念そうな顔をしていた。
◇
時は流れ、二十七日。
今日か明日に静は寿命を迎えるのだ。
しかし、いつも通りの平凡な日々を過ごしたいという静があった。そのため、二人だけで過ごすことになった。
とはいえ、何か特別なことをするわけでもない。
いつもどおりに時が過ぎ、夕食の時間になった。
「ご、ご飯作ってみました」
貴治は居候の間、居候なりにある程度料理に挑戦した。包丁で指を切ったり、キッチンで
貴治は調理した料理を、遥の目に前に置く。作ったのは親子丼。
しかし、ご飯の上にかかっているのは全体的に黒くなっている卵の層と黒い鶏肉だ。
早速静は箸を使い一口食べる。
「苦いわ。でもまあ全体的に黒っぽいけど、いいでしょう」
決して評価できるものではないが、あまりに残念な料理ばかり作るため静における及第点がどんどん下がっていっているのだ。
とはいえ、仮にも褒められたのだから貴治は嬉しい気持ちだ。
「ありがとうございます。倉敷さん」
貴治も自分が作った親子丼もどきを食べ、片付けも済ませる。
そして、またいつもどおりの光景になった。
「あの……倉敷さん」
本を読んでいる静は、どこか落ち着かない貴治によって話しかけられた。
「何? どうしたの?」
静は読書に夢中で、いかにも読書の邪魔をしてほしくないと言いたげだ。
「本当に、こんなのでいいんですか?」
最後の日かもしれないのに、こんな呑気に過ごしていいのかということだ。
「……何が言いたいの?」
静は、少し間を置いた後で嫌そうに発言した。おそらく、意味を理解しているのだろう。だが、理解していないように、考えないように振る舞っていたのだ。
「最後の日かもしれないのに、こんなことしてていいのかってことです。最後の日くらい、もっと何かしませんか? 悔いの残らないように」
静があえていつもどおりの暮らしをしたいと選択したのだ。貴治には口出すべきではないとわかってる。
それでも、貴治は静にどこか違和感を覚えたのだ。
「はぁ……」
静はため息をついた。悩みがある時に出るものではない。どこか苛ついている時に出るものだ。
静は読んでいた本を勢いよく音を立てて閉じる。
「そんなことして何になるの」
「いや、ですから、最後の日くらい何かしませんか? 最後に楽しい思い出でも作った方が悔いも残らないと思うんですよ」
もし、寿命が近づいているならば貴治はそうするだろう。だが、死が近づいているにもかかわらず冷静さを保っているというのは考えられないことだ。
死の覚悟がとうに済んでいるとは言われても、やはり死の直前には生を懇願するものだと考える。
驚くほどに冷静で、そこに強い違和感を覚えたのだ。
「……そんなことで悔いが残らないとでも思ってるの?」
静の様子が変わった。冷静さが、瓦解を始めているような。冷静さに別の感情が流入し始めているような、そんな微妙な感情だ。一言では到底語り尽くせない。
「あのー、倉敷さん?」
「……嫌だよ。死ぬのは嫌に決まってるでしょう!? もしかして私ってそんなに生に無頓着に見えたの? ねぇ!?」
あの静が、ひどく動揺していた。
今まで、極力人前では泣くことを避けようとし続けた静がだ。
貴治の目線も、一切気にしてないとばかりに咽び泣き、甲高い声で叫んでいる。
その様子は、いつもの静とは全く思えない。
「もっと生きたかった! そう考えたら、きっと馬鹿な真似をしてしまうから! 考えないようにしていたのよ!」
静は、無理に考えたくなかった。ただいつもの日常を送りたかった。
だが、貴治がその感情を刺激してしまった。
貴治は考えた。どうやったら落ち着かせられるのか。否、落ち着かせる必要があるのかと。
「いいじゃないですか、馬鹿な真似したって。すっきりするならば。そうでしょ? 倉敷さん?」
ここは橡平良山の山頂だ。山に登る人など、物好きしかいないためほとんどの日は人がいない。
自由に暴れても、大声を上げても、気にする人なんてほとんどいないのだ。
「泣くと、すっきりするんですよね? だったらいいじゃないですか。もっと泣いちゃいましょうよ。ね?」
泣かないこと、我慢することは美徳。そんな風潮に、今まで貴治は縛られてきた。そして、その呪縛を破ってくれたのは紛れもない静だ。しかし、一番その呪縛に囚われていたのもまた静である。
静はそのまま大声を上げ泣きながら、そのまま床に倒れる。
「……ん?」
どこか様子がおかしい。
おかしいのは今日一日中なのだが、性格ではない。体調的な意味でのおかしいだ。
静は過呼吸気味になってしまっていた。
「え、えーっと。そ、そうだ。紙袋を……ペーパーバック法ってそもそも大丈夫だっけ?」
貴治は、ここまで静の精神が過敏だとは考えていなかった。だからこそ、過換気症候群に戸惑った。一応紙袋を用意して戻ったが、そのときにはだいぶ静の呼吸は落ち着いていた。
「どりみだじだわ……」
静は目を張らせ、涙声になりながら塵紙を何枚も手に取り顔に押し付けている。
「少し、すっきりしたわ」
抑圧した感情を開放した分、かなり落ち着いている。
死は怖い。けれども、取り乱すようなことはもうない。
久しぶりに味わった清々しさを堪能しつつ周囲を見渡すと、太陽系儀が目に入った。
「……そういえばたっちゃんに天占術って教えてないわね」
静から星使いを継ぐというのに、肝心の天占術を何も教わっていないというのは随分と致命的だ。
「もう時間はないから、一つだけ教えるわ。後は、他の星使いから聞いてくれる?」
そう残念そうに言うと、貴治を太陽系儀の目の前に来させる。
「行くわ」
「はい!」
そして、静の介助もあり貴治は人生初の天占術に挑戦する。行う術は未来を見る術。当然だが難易度は高く、精度も低い。占うのはもちろん倉敷静のこと。余命のことだった。
◇
後日、半月の星使いの噂は消えた。なんでも、あの噂は遥が流したものらしい。
元々、橡平良公園に通っていたのは知っていたらしい。そして、静から聞いた星使いという単語、その二つを合わせて橡平良山に静がいると推測。しかしながら、当時は師匠による完璧な秘匿術が使われていたため遥では視認できなかったのだ。そのため、誰かが見つけてくれることを信じてこの噂を流したようだ。
「
橡平良中学校のとある一室では、担任兼国語教師が扇の的の解説を始めるが、早速脱線していた。
しかし、いつもなら早速咎めていたであろう勉強熱心な貴治の姿はない。
貴治が学校に行かなくなってから一箇月が過ぎようとしていた。
貴治は星使いとして一応頑張ってはいるが、しょっちゅうヘマをするらしく沙苗に教えてもらっている。
遥は、転校することになった。親が逮捕されたため、遠くの親戚に預けられることになったからだ。
「なんだかな……」
大祐は腑に落ちず、担任教師の余談など聞いている余裕などない。
「ん? もう終わりか。まあいいや。復習しとけよ」
チャイムが鳴り、授業が終わる。最後の授業だったため、すぐに帰りの会を終えて放課後になった。
大祐は教師の顔色を窺うが、何か話しかけてくる様子はない。あれ以降、担任は大祐を詮索しなくなったのだ。
帰り支度を済ませ、教室を出る。貴治が来なくなった当初は何かと噂が絶えなかったが、やがて落ち着きただの不登校扱いされ噂は消えた。
代わりに、ある噂が生まれたのだ。
「貴治! 来たぞ」
大祐は笹団子を手土産として携え、いつもどおりに橡平良山の山頂へと向かう。
「いらっしゃい、大祐」
笑顔の大祐の出迎えを受け、大祐は家にあがる。結局、答えは保留にしたままであるが、貴治は気にしないようにしていた。
「あ、君も来たんだ」
リビングには先客、沙苗がいた。今日も天占術の指導に来ているようだ。
「あ、それここらへんの名物の笹団子って奴でしょ? 初めて見た!」
大祐は笹団子のことを沙苗に一任し、改めて貴治の目の前に座った。
「なあ、貴治。学校である噂が流れてるんだ。『新月と満月の星使い』だってさ。なんでも、新月と満月に現れるから」
貴治が行った術は欠陥まみれで使い物にならない。そのため、今は沙苗が代わりに行使している。
自分のことに言及している噂。しかし、貴治は不服そうだ。
「語呂が悪い。それに、どうせならウィークポイントじゃなくてストロングポイントで呼んでほしいよね」
「なるほど、半月の星使いって訳だ」
貴治を
「そ、そういえばもう一つ話があるんだ。この前の話だ」
何の話は言及していない。しかし、何の話は貴治はすぐにわかった。
「考えたんだ。俺。改めて言わせてほしい。俺は今まで義務感で女になった貴治を見てきた気がしてた。でもさ、違ったんだ。改めて考えて、気づいたんだ。俺、貴治のことが好きだ」
大祐も相当に緊張しているのか、顔を紅潮させている。顔は熱いことこの上ないだろう。
もちろん、そんな告白を受けても貴治もただでは済まない。嬉しいことこの上なかった。
両者はあまりの気恥ずかしさに、何をするわけでもなく互いに顔を見合わせては改めて顔を真っ赤にして何もしない。
そんな様子を、沙苗はニヤニヤしながら笹団子を食べながら眺めていた。
「でさ、貴治。親御さんにも、言わないといけないと思うんだ」
貴治が失踪して一箇月。今すぐ親に言わなければ、どんどん言いにくくなってしまうから。
「……そうだね。でも、ちょっと怖い。だからさ、付いてきてくれる?」
貴治は手を差し伸ばした。
「もちろん」
大祐はその手をとった。
「で、いつ行く?」
「早いほうがいいからな。今から行くか」
突拍子もない行動だ。しかし、嫌なわけではない。
「……うん」
貴治は頷くと、すぐに準備を始めた。
「じゃ、行くか」
大祐の伸ばした手に、貴治がその手をとる。そして、二人はゆっくりと山を降りていった。
半月の星使い 豊科奈義 @yaki-hiyashi-udonn
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます