第67話 愛の時代
やわらかな陽射しに包まれた旧宮殿跡。
いつもは、時折空高く飛ぶ鳥の声が聞こえるだけの静かな場所。
だが、今は、訪れた子供たちの声が小鳥のさえずりのように響いていた。
「わあ、私の好きな苺のパイだ」
「苺いっぱいだね。僕も大好きだよ」
「早く食べたい」
「うん、食べたい」
「ふふふ。それは、良かったわ。どうぞ召し上がれ」と、エスプリが目を細めて言った。
苺のパイに目を輝かせているサイラスとセレニテ。
デレクとテラの間に生まれたもうすぐ五歳となる双子たち。
サイラスは、見た目はテラに似て金髪に金色の瞳をしているが、性格は、父親譲りのようで幼いながらも冷静沈着な男の子。
セレニテの瞳と髪の色は、父親であるデレクと同じ紫色であるが、探求心溢れた活発な女の子で、今もまるでリスのようにタルトを口いっぱいに頬張ると口をもごもごさせながら、「サイラス、今日は、泉の向こうに何があるか見に行くわよ」と、言って走り出した。
その後ろをサイラスが、仕方が無いといった表情で食べかけのタルトを皿に戻し「セレニテだめだよ。口にものを入れたまま走っちゃあ、危ないよ。待って、」と、慌ててセレニテを追いかけた。
「あらあら、本当にあなたたち二人にそっくりなこと。まあ、この結界の中は、安全だから自由にさせてあげても良いかもね」
「えっ、似ていますか……どちらがどちらに……」と、テラの声は小さくなっていった。
「ふふ。まあね。あっ、そうそう。今日は、テラが心配していた邪気の封印について先ずは伝えておかないとね。」
テラは、邪気の封印について子供たちにいつかは、伝えるべきだと考えていた。ただ、それがいつどのような程度の内容が良いのか、エスプリに相談しておきたかった。
此処、古の森の奥深く結界で守られた旧宮殿にある聖なる泉。その泉の下には、人間から生じた邪気が封印されていた。邪気はやがて邪鬼となり人間のみならず自然をも穢す災いの種。
その封印を初代皇后であり精霊王の娘でもあるエスプリは、気が遠くなるような長い時を守り続けてきた。
「邪気の封印は、もうないの」
「えっ、どういうことですか。もしかして壊れた……わけではないのですね」
テラは、最悪な状況に陥ったのではないかと一瞬驚き焦ったが、それにしてはエスプリの口調が穏やかであることに直ぐに思い至った。
「簡単に言うとね、封印していた邪気を全て浄化したのよ」そういうと、エスプリは、ハーブティーを一口飲み説明を続けた。
この国がまだなかった頃のこと。
人の悪意によって生まれた多くの邪気は邪鬼となり、人間のみならず自然も蝕んでいった。エスプリは、精霊王である父や他の仲間たちと共に自然を守るため尽力した。
ある日、エスプリは邪鬼に憑かれた人間に襲われた馴染みの村人たちを助けた。その時に瀕死の状態の青年に自身の欠片を与え命を救った。エスプリの欠片の力によって命を救われ邪鬼を浄化する力を得た青年は、勇者となった。
勇者となったその青年は、エスプリと共に邪鬼を浄化する旅に出た。
その青年こそが、人間であるものの精霊王の娘であるエスプリの夫となり、帝国を共に築き上げた初代皇帝である。
二人は、邪鬼を払い邪気の浄化に勤しんだが、邪気全てを浄化することは出来なかった。全てを浄化するには、人間たちから生じる邪気が多すぎた。
仕方なく、古の森奥深く、聖なる泉の下に邪気を封印した。
その封印を守るために初代皇帝と皇后であるエスプリは、此の場所に宮殿を建てたのだった。
「でもね、夫である初代皇帝に与えた欠片もだけど、子供たちに与えた欠片。テラの、あなたの魂に結びついていた欠片も全ての欠片が、私の元へ戻ってきたでしょう」
テラの魂に結びついていたエスプリの欠片は、デレクの命を救った際に、代々女系に伝えられたペンダントの欠片と共にテラから離れデレクの元へと移った。
欠片の力によって一命をとりとめたデレクは、直後、父である先皇帝に憑りついた邪鬼を払った。その時に放った魔法の矢には、デレクの内にあった全ての欠片が込められていた。
そして、邪鬼を払った欠片は、その役目を終えてエスプリの元へと戻ったのだった。
エスプリが、説明を続けた。
「精霊王の娘としての力を完全に取り戻した私は、精霊王である父の力も借りて完全に封印していた邪気を浄化することが出来たのよ」
「全ての邪気をですか…」
「ええ。あなたたちが国を治めるようになってからは、邪気も徐々に減っていたしね。幸せだと心が邪気を生むことは無いわ。逆に思いやりや素直な美しい心は、邪気を少しづつ浄化する。だからこそ、統治する者の心、知恵、手腕が大切なのだと思うわ。あなたたちは、良くやっている」
「あ、ありがとうございます。邪気の封印が無くなって…本当に良かったです」
「ええ、あの子たちの未来に負の遺産は不要よ」と、エスプリが優しく笑った。
泉の向こうから楽し気なサイラスとセレニテの笑い声が聞こえた。
「エスプリ様、私は、子供たちにこの封印のことを歴史のひとつとして伝えます。そして、人として何が大切なのか、幸せを守る術として何が必要なのかを、私たちの行いから学べるよう、その姿を見せていきたいと思います」
エスプリが微笑みながらテラの言葉に頷いた。
「おかあさま、良い物を見つけました」
「おかあさま、」
競うかのように駆け戻ってきたセレニテとサイラスは、ぼすんとテラに飛びこんできた。
「おかえり、愛しい子たち」テラは、優しく二人を抱き包んだ。
「あっ、お母様、気を付けて」と、サイラスが慌てたように言った。同時にセレニテの小さな握った手の中から何かが飛びだした。
ゲコッ…緑色の小さなカエルがテラの顔面に飛び込んできた。
「き、きゃあ―」
テラは、子供の頃は、何ともなかったはずのカエルに声を張り上げた。
そして、自身の子供の頃を思い出した。
(そういえば、私も幼い頃お母様に同じようなことをしたわ。セレニテの性格は、私に似たのかしら)
「ふふふ、」と、エスプリが何か言いたげに笑った。
エスプリに同調するかのように高い空を舞う鳥の声が響いた。
その後、デレクとテラは、人々から『愛の皇帝と皇后』と呼ばれるようになった。いつしかその呼称は、『愛の時代』へと変わり、その『愛の時代』は、二人の子供たちへと引き継がれた。
サイラスは、その額にデレク譲りの金色の光、即ち強い魔法力を持ちながらも思慮深さと実行力の双方を備えた皇帝となった。
セレニテは、テラと同じ紫色の光、癒しの力を持っており、その行動力から多くの人々を救った。
そして、『愛の時代』は、盤石なものとなり代々受け継がれ、長い時を人々は幸せの中で暮らした。
宮廷の書物庫には、帝国の礎を築いた初代皇帝と皇后について記載された書と共にデレク皇帝とテラ皇后の築いた『愛の時代』についての書が、大切に保管されている。
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