第59話 皇帝の思い

 「ああ、セシリア戻ったのか。すまなかった…」

 ベッドで横たわる皇帝が、セシリアの頬を優しく撫でながら力なく言った。

 「お父様、」

 大粒の涙がセシリアの瞳から零れ落ちた。 

 シリウスに救い出されアイの村で徐々に回復したセシリアは、宮廷へ帰還後すぐに病床の父の元へと駆けつけたのだった。

 (お弱りになられたわ)

 およそひと月振りに会った父は、殆どの魔法力を失っていた。額の光は、僅かばかりとなり生きる意欲さえも失って見えた。

 「セシリア、シリウスのおかげで回復したそうだな。本当に良かった」 

 以前の父の言葉なら、そこに棘のような何かしらの意図を感じたのだが、今は、シリウスへの率直な感謝の思いであることが伝わった。

 (そう、もともとは、こういう人だったわ。威厳に溢れていたけどそのための努力もされていたし、何より民を思い正義を尊ぶ人だった。私には、とても優しい父だった)

 「わしは、許しを請うことのできない大きな間違いをしてしまった。自分の減少する魔法力に怯えながら、いつの間にか皇帝の本分を忘れ冠にしがみついていたのだな。情けない父で、すまぬな」

 「いえ、お父様。お父様は、私にとってお父様は、かけがえのない方です。あのようになるまでは、大きな愛を私に与えてくださいました。そして、今もそうでしょう」

 「ううっ。セシリア……」皇帝がセシリアの両手を握りしめ嗚咽した。


 その日からセシリアは毎日欠かすことなく皇帝を見舞った。

 再び皇太子の称号を取り戻したデレクも、混乱の中で父の代わりに政務をこなし多忙であったが、三日に一回は父親を見舞った。

 そうするうちに、デレクと皇帝の確執も徐々に消えていった。

 皇帝自身は、邪鬼を祓われてからは、デレクやテラへの妬みのような感情は消えていた。ただ、今後の帝国の在り方、皇室の在り方をベッドの中で模索していた。魔法力の減少は、自身だけではなく他の者たちにも現われていた。魔法士の減少がそのことを表していた。

 「そういえば、精霊王が人間の邪な気によって生まれた邪鬼に憑りつかれると、魔法力が減少すると言われていたな」

 「ええ、父上」

 「そうか。儂は自身の魔法力におぼれ、豊かな暮らしの中で他者や自然に対して傲慢になっておったのだのう。その傲慢さゆえに邪鬼を生み魔法力を失い不安に駆られ、更に邪鬼に支配され皆を窮地に追いやってしまったのか」

 「……」

 「なあ、デレク。儂はもう皇帝を退こうと思う。混乱させておいてそのまま退くこともどうかと迷っておったが、お前なら安心して帝位を譲ることが出来る。何よりもう儂には、この国のためにできることが何もない。せめて、速やかに帝位を譲ることしかな」と、言うと皇帝がふっと微笑した。

 「父上、父上は、この国にとってまだまだ必要なお方です。どうか、」l

 デレクの言葉を皇帝が遮った。

 「デレク、もうよい。自分がどのようであるかは、分かっておる。それにしても、頼もしく成長してくれたな。皇后が生きておればな、」

 「父上、」

 皇后はセシリアを出産する際に命を落としていた。だからこそ、皇帝は母のいないセシリアを目の中に入れても痛くないほどに可愛がり、デレクには立派な皇太子に成長するよう厳しく接した。

 当時幼かったデレクは、夜になると優しかった母の面影を思いベッドの中で一人涙していた。夜が明けると勉学と鍛錬に勤しみ、小さな妹を慈しみながら成長していったのだった。


 デレクも一緒に父を見舞ったある時、セシリアが尋ねた。

 「お父様は、お母様が亡くなられたあと、新たな皇后をお迎えになられなかったのは何故ですか」

 「ああ、確かに側近や高位の者たちから新しい皇后を迎えるように度々進言された。だがな、どの后候補を見ても、気が進まなかった。儂は、亡くなったユリシア皇后をずっと愛しておる。今でもな」

 「お父様は、それほどお母様をお思いになられてたのですね。そんなお母様の命を奪ってしまった私に憎しみは、お感じになられなかったのですか」

 「何を馬鹿なことを。亡くなったユリシアは、デレクは勿論のこと、娘達、まだお腹の中にいたセシリアにも大きな愛を注いでおった。デレクもセシリアも、他国に嫁いだ娘達、全てが儂とユリシアの大切な子だ」と言い、皇帝はデレクとセシリア二人の顔を感慨深げに見た。

 「ところで、お前たちにも儂のユリシアへの思いと同じく思う者がおるのだろう」

 「な、何を」

 「そ、そのような」

 デレクとセシリアが慌てて同時に声をあげた。

 「いや、隠す事はない。デレクは皇位を継ぐにあたって婚約者の存在は必然だ。セシリアも、縁談の話がいくつも上がっておる。まあ、二人ともよく思案しておきなさい」

 皇帝は二人の真っ赤になった顔を愛おしそうに見ると「フォッ、フォッ、フォッ」と、楽しげに笑った。

 

 

 

 

 

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