第56話 皇帝の邪鬼

 デレクから流れる血が荒い石敷きの隙間を赤く染めていき、逆にデレクの顔色は白く色を失っていった。テラが握るデレクの手も冷たくなっていった。

 だが、テラが愛するデレクに口づけをすると、その様子を呆然と見ていた者から驚きの声が発せられた。

 

 「あれは、何だ」

 小さな光が現れ、まるで炎が拡がるように七色の光がテラとデレクを包み込む。

 「美しい。私たちは、何を見ているのだろうか」

 裁定の間にいる人々が息をするのも忘れたかのように、その光景に見入った。

 その時間が長かったのか短かったのか、誰も分からなかった。ただ、その七色の光が消えた後に、人々は涙した。

 「奇跡だ。我々は、今この場で奇跡を目撃した」

 「テラ嬢の噂は、事実だったのだ」

 「聖女様、聖女様の再来だ」

 裁定の間に喝采が溢れた。


 デレクの止まっていた胸が動き息を吸った。徐々にデレクの顔に血色が戻っていく。胸の傷からは、新たに血が流れることはない。

 「デ、デレク殿下」

 「テラ、私は死ななかったのか」

 「デレク殿下、良かっ、た…」

 テラは、言い終える前に意識を失い倒れた。

 「テ、テラ……」

 

 「あははは、テラは、やはり似非聖女だ」と上段から皇帝の大きな笑い声が響いた。

 ゴォーと、轟音を伴い宮殿内に突如大きな風が吹いた。

 風が止むと、倒れたテラの傍には、白い顎鬚に手を遣る精霊王と、長く美しいウエーブの髪を右手で払うエスプリが立っていた。

 精霊王とエスプリは、旧宮殿から泉を通し事の成り行きを見守っていたが、堪えきれずにテラの元へと駆けつけたのだった。

 「あのお方たちは、どなただ」

 「どこからやって来られたのだ」

 「威厳が滲み出ておられる」

 ざわめきをかき消すように皇帝の怒声が響いた。

 「お前たちは、何者だ。なぜやって来た。早くこの者たちを捕らえないか」

 精霊王がじっと皇帝を見つめた後、ゆっくりと大きな声で話し出した。警備兵たちは、彼らに近づこうとしたが、何か見えないものに足を盗られてしまい近づけない。

 「残念だな。三十二代皇帝よ。もう、お前には、魔法力がほとんど残っていないのであろう。邪鬼に囚われ魔法力をなくし、魔法力をなくした不安から更に邪鬼にいいように操られておるのう」

 「何のことだ」

 「そのままだ」と、精霊王は、杖を皇帝に向けた。その杖に稲光が集まり放たれるのを待つように碧い光がジッジッと、音をたてた。

 「精霊王様、お待ちください。私にやらせてください」と、立ち上がったデレクが厳しい眼差しで言った。

 「良かろう。そなたに託そう」

 「感謝します」と、言うと、デレクは魔法の矢を繰り出し皇帝に向けて放った。

 矢は黄金の光を伴いながら、真っ直ぐに皇帝の王冠の左側面を貫いた。

 「ぎゃっ」と、小さな声が聞こえたが、その声は聴こえた者と聞こえなかった者双方がいた。また、その刹那、黒い靄の塊が消えていったのを、目撃した者とそうでない者がいた。

 デレクが矢を放つ前に、皇帝の王冠にしがみつく邪鬼の姿をはっきりと目にしていたのは、どれほどいたのかは、不明である。

 

 「儂は、何をしていたのだろうか」床に座り込んだ皇帝が呟いた。


 気を失っているテラの胸にエスプリが、手をかざした。

 すると、テラから苦悶の表情が消えた。

 そして、ゆっくりと目を開けたテラは、エスプリの自分に注がれている優しい眼差しをじっと見つめた。

 

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