第49話 シェリーの憂鬱

 「あの声は、エスプリ様の声だったのね」と、シェリーの寂し気な声が誰もいない寝室に響いた。夫は、シリウスと共に執務室にこもったままである。シェリーは大きなベッドの端に腰を掛けると、窓に映る蠟燭の炎をじっと見つめた。僅かに揺れる炎の先の暗闇が自身を吞み込んでいく気がした。

 

 テラがまだ生まれる前のある日、シェリーは夢を見た。

 愛くるしい赤ん坊が光に包まれていて、何故だかその赤ん坊をとても愛おしく感じた。

 「テラ、愛おしい娘」と、何処からともなくその赤ん坊を呼ぶ声がした。透き通ったように響く神々しい声。

 何だか不思議な気分で目覚めた。たった一場面だけの夢。ストーリー性も何もなかったのだけどその夢をシェリーは、鮮明に憶えていた。


 その夢からひと月を過ぎたころ、シェリーが妊娠していることが判明した。

 夫であるキリア伯爵は、二人目となる懐妊に嬉々とした。

 長子であるシリウスは、七歳。自分に弟か妹ができると知り大喜びで、シェリーのお腹に毎日話しかけた。

 家族の期待に呼応するかのように、腹の中の子は順調に育っていった。

 そして、朝陽が葉に付いた夜露をキラキラと輝かせる頃、伯爵邸に産声が響いた。

 生まれた娘の額には、キリア家の家紋であるヒイラギの葉の紋様が刻まれていた。

 だが、そこには、在るべき光が無かった。

 動揺したが、自分が生んだ愛おしい娘に変わりはなかった。

 夫であるキリア伯爵も、光が無いことにはあまり気にする様子もなく、ただただかわいい娘の誕生を喜んでくれた。

 夫に夢の話をして、娘の幸せを願いテラと名付けた。光は持たないけれど、何かが守護してくれる気がしたから。

 

 シェリーは、テラの話を聞いて夢のお告げを理解した。

 でも、何だか心が鬱々として晴れない。

 自分たち夫婦の愛おしい娘が、自分たちだけの娘でないと思うと何だか寂しかったし、愛おしいテラを奪われてしまうような気がした。シリウスが言ったように自分たち夫婦の娘であることに変わりないと、頭では分かっていても心が追い付かない。

 母親というものは、子を愛おしく思う母性と共に独占欲のようなエゴも合わせ持っているのだろうかと、シェリーは思い巡らせた。

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