第34話 再びの遠征

 朝日が昇り始めたころ、キリア邸ではシェリー夫人が寂し気な声を発した。

 「また、行ってしまうのね」

 「はい、お母様。仰せつかった役目を成し遂げられるよう頑張ってきます」

 「いいえ、テラ。私の愛おしい娘。何よりも大事なことは、あなたの無事なのよ。だから、危険なことはしないで」シェリーは、愛しい娘の顔を覗き込んだ。

 テラは、静かに頷いた。

 陽の光が優しく包み込むように照らす二人の姿は、一枚の絵画のように美しい。

 

 シンリから戻った一月後にテラが再び魔法団の遠征に同行することになるとは、本人を含め誰もが思ってもみないことだった。

 

 シンリでの疫病は、ほぼ終息したものの今度は帝国の北の端で疫病が蔓延しているという。シンリでの対応において評価を得たテラは、デレク皇太子の補佐として遠征の命を受けた。

 ただし、シンリでテラが危機的状況に陥いった件もあり、単独行動は禁止。外出時には、魔法団から護衛を付けられることになった。

 しかしながら、魔法団は男性ばかりであるため日夜傍にいることは難しく、女性である侍女も一名同行するように指示された。もともとテラの専属侍女でり、テラを崇拝していたリンは喜んで即志願した。


 「リン、あなたも気を付けてね。テラのこと、くれぐれも頼むわね」

 「奥様、私が必ずお嬢様をお守りいたします」魔法団の制服を身に着けたリンは、瞳を輝かせた。


 一団は、今回も移動魔法を使用した後、途中から周囲の状況を把握するために徒歩で進んでいた。

 シンリの時ほど深い森ではなかったが、枯れた木々や泥濘はまるで前へ進むことを拒んでいるかのようである。

 「リン、足元に気を付けてね」

 「は、はい、お嬢様。も、申し訳ありません」

 テラの足取りは軽かったが、リンは足元がおぼつかず息切れし、一行から徐々に遅れを取っていた。

 テラは、先の遠征で知らず知らずのうちに鍛えられていたが、リンにとっては初めてのこと。

 魔法団の遠征への同行は、侍女としての働きとは全く異なる。それ以前に特に鍛えたわけでもない女性にとっては、体力的に厳しいのは、至極当然である。

 

 進む山道から斜面を上った先に小高い丘が見えた。

 「あの丘で、少し休憩を取ることにしよう」デレクの声が響いた。 


 先程までの泥濘とは違い若干湿り気は感じられるが休憩するには適していた。

 「お嬢様、この上に」と、リンが上着のポケットからピンク色の布を取り出し地面に敷いた。「う~ん、ピクニックではないのだけど」と、口から出そうな言葉を飲み込みテラが腰を下ろすとリンは、疲れから崩れる様に地面に突っ伏した。

 

 「これを、」言葉少なにリンに二つのコップを差し出したのは、ドロニスだった。

 ドロニスは、テラがシンリから帰宅したときにデレクと同行しており、その折にリンとも面識があった。

 柑橘の爽やかな香りの中にほのかに甘い香りが漂う。

 「あ、あのう。これは……」リンが戸惑うように言った。

 「ああ、蜂蜜入りの果水だ。疲れに効く」

 「頂いてよいのですか」

 「ああ」

 「ありがとうございます。いただきます」と、コップを受け取ろうとするリンの指がドロニスの手に少し触れた。リンが謝る間も与えず、ドロニスはコップを渡しそそくさと逃げる様にその場を離れた。

 テラは、その時のドロニスの耳まで真っ赤になった顔を見逃すことはなかった。

 

 「ふふふ。ドロニスは、ぶっきらぼうだけど優秀だし裏表のない性格だわ。リンと年齢も近いわよね。うん、いいわ」と、心の中で呟くと、テラは不純だが遠征での別の目標を得た気がしてワクワクした。自然に口元がほころんでいく。

 

 休憩の後もリンは、弱音を吐くことなく足を取られながらも懸命に歩み続けた。

 そのようなリンを、ドロニスが振り返っては、さりげなく朽ち木をどけてやったり、転びそうになるとつかさず手を差し出していた。そのたびにドロニスの顔は赤く染まっていたのだが、幸いと言ってよいのかリンは、歩みを進めることが精いっぱいでその変化に気付くことはなかった。

  

 テラはリンと大きく距離を空けない範囲で、枯れかけた木に近寄っては幹に手を当て語り掛けていた。

 シンリの時とは異なり一団の先頭を進むデレクは、時折振り返りテラの姿を確認し見守っていたが、テラ自身は全くそのことに気付かずにいた。

 なぜなら、テラの注意はリンとドロニスの微笑ましいやり取りに向けられていたからだった。


 「この先が帝国の最北端の地、アイの村だ」

 デレクの声に見遣ると、崖下には、幾つもの丸太小屋の屋根が見えた。

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