第28話 あれが邪鬼なのか
シリウスは、テラに保護魔法をかけ直したのち、テラと共にシンリの名所である泉の噴水を眺めていた。
「ああ。ここは、相変わらず美しい所だ。」
「ええ、お兄様。確かに美しいですわ。でも、私が初めて訪れたときには泉の水も枯れかけていました」と、テラは、当時の誰も人がいない閑散とした様子を思い出していた。今は、まばらであるものの母娘や夫婦、老人たちが憩いの場として訪れていた。
商店も完全ではないが、営業を再開する店が徐々に増えている。
「いらっしゃいませ。テラ様、本日はお連れの方もご一緒なのですね」と、人懐っこい笑顔で声を掛けたのは、この茶店の孫娘のダリアであった。テラは、同世代のダリアを友人と認めていた。テラにとっては、貴族も平民も関係がない。ダリアは、テラに対して当初は、他の令嬢にするように接していたが、幾度も会話を交わすうちに打ち解けていった。
「ええ、ダリア。今日は、兄と来たのよ」
「ああ、お兄様だったのですか。失礼しました。私は、てっきり」と、ダリアはまずいことを言いかけたという表情をして言葉を止めた。
「ああ、はじめましてダリア。妹が世話になっているようだね」
「いいえ、お世話だなんてそのような。私の方が気にかけていただいて、この店にもよくお越しいただいてありがたく思っております」と、緊張した声で言ったダリアのそばかすのある顔は、耳まで赤く染まっていた。後にテラは、ダリアからシリウスの美しさについて熱弁を聞かされる羽目になった。
「きゃあー、」
テラとシリウスがハーブティーを味わいながらダリアを交えて談笑していると、急に耳を劈くような女性の悲鳴が聞こえた。
「テラは、此処にいるんだよ」と言い、シリウスが素早く店を出ていった。
テラは、自分も行きたかったが堪えた。今、兄の言葉を無視し危険を冒してしまうことは出来ない。そのようなことをすれば速やかに帰宅させられてしまうかもしれない。
「大丈夫。お兄様が行かれたのだから、大事にはならないはずだわ」と誰にともなく言った。
だが、テラの性格上行かないことは無理だった。ほぼ間をおかずに店の扉を押しのけ走り出していた。
広場の端にある大きな木を背に大柄な男が、若い女性を羽交い絞めにし首元にナイフを突き付けている。煌びやかな装いのその女性は、顔色をなくしガタガタと小刻みに震えていた。
「だ、誰か。娘を助けてくれ」と、その二人の前で仕立ての良いスーツを身につけた父親と思われる男が叫んだ。
「お前たちは、俺の娘を見殺しにしたんだ。ただ同然の安い給金で四六時中働かせやがって。病に罹ってもこき使いやがって、娘はもう、」と言ってその男は涙を流しながら言葉に詰まった。
「す、す、すまなかった。そんなつもりはなかったんだ。金ならほら」と言って、胸元から財布を取り出そうとした。
その言動に犯人は、憤怒しナイフを握る手に力を込めた。僅かに刃が触れ、白い首元に血の赤色がじわっと滲んだ。
「バカにするな。もう、俺の娘は虫の息だ。優しい親思いの真面目な娘だったのに。これから人生が始まるって時によ。お前たち父娘にも同じ気持ちを味あわせてやる」
男がナイフで切りつけようとしたその時だった。
ナイフの先が白い肌をわずかに掠め弧を描くようにはじかれた。
シリウスが魔法を使ったのだ。
テラは、シリウスがいつも魔法を使うところを見てはいたが乱闘シーンを見ることはなかったので、一瞬何がどうなっているのか分からなかった。ただ、ナイフがはじかれる直前にシリウスの額の家紋の光にいつもと違う鋭利さを感じたのだった。
ナイフがはじかれた男は、その場に脱力したように座り込み大声で泣きだした。
「あれ、あれは何なの」テラは、その男の背後から小さな生き物が逃げていくのが見えた。小さな人のように見えたそれは、手足ががりがりに痩せ腹は栄養失調のようにぱんぱんに飛び出し、ぎょろりとした大きな目、不揃いの尖った歯を持っていた。その姿は前世で言い伝えのある餓鬼のように見えた。
「もしかして、あれがエスプリ様のおっしゃっていた邪鬼なのかしら」
男の娘は、父親が言っていた通りに裏道で発見された。かなり危険な状態だったが、発見時にその場でシリウスから回復魔法を受けることができ、難を乗り切ることができた。そして、今は救護所で保護されている。
捕縛中の男は、娘が回復した後にシンリ追放の命が下される予定で、父娘共にウルジルで預かることとなった。
「ねえ、お兄様。あの時のことなのだけど、あの父親の後ろから何か変なものが逃げていかなかったかしら」
「はて、何も見なかったが。何かいたのか」
「…いいえ。私の見間違いでした。おかしなことを言ってごめんなさい」
テラは、森の中の出来事をシリウスに伝えるのは気が引けた。邪気のことを言えば当然精霊王や私を娘と言う初代皇后のエスプリ様についても説明しなくてはいけない。自分自身が半信半疑なことを伝えることは、止めた方がいい。
何はともあれ、兄に連れ帰られずに済んでよかったとテラは、ただ安堵した。
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